羊たち





幕間　隣町の少年少女




『もしもし、私です。――非常に言いづらいんですが、急に当直を任されてしまって。しばらくそちらに顔をだせそうにありません、本当にすみません、――デートどころか今晩のお使いさえ果たせなくて――でも来週末は間違いなく休めるので、よかったらそのときに埋め合わせさせてくださいね。――じゃあそろそろ、……また連絡します、貴女も電話なりメールなりいつでもどうぞ。どんなに遅くなっても必ず折り返し連絡します。では』



1
「みいつけた。ララってば思ったよりワルなんだ。こんなところまで来ちゃっていいの？　学区外だよ」
「ざんねんだったな、俺はもう中学生なので関係ありません。――久々に会って第一声がそれかよ――お前こそこんな場所にいていいのか、小学生」
「一人じゃないからセーフ。今日のせんろはパパとママのお買い物の付き合い、今は自由行動中なの。ねえララ、さっきから見てたんだけどこんな土手で何してるの」
「見てたんかい。ならわかるだろ？　チャリのパンクだよ、――だめだこりゃ。押して帰るしかないか」
「ふびん。お、ララもお買い物したんだ？　袋の中身はなんだろな」
「古本だ。まとわりつくんじゃない。担任が読めって言ってきた本が絶版でさ、一縷の望みをかけて遥々ここまで来たわけ、貴重な休日を使って」
「なんだあ新作ゲームじゃないんだ、また教えてもらえると思ったのに」
「そう頻繁に買ってられねえよ。オジョウサマのお前と違って俺はビンボーなの」
「口が悪いんだから――それで、目当ての本は？」
「あった。おかげで今の俺の総重量はたぶん人生最大」
「なるほど、自転車も壊れるわけだ」

2
「何にする。炭酸？　アセロラ？　ココアあるぜ、あったかーいやつ。春も近いしこれで見納めかもな」
「じゃあココアにする。ありがと。奢ってもらっちゃっていいの？　さっきお金ないって言ってたじゃない」
「飲み物くらい平気だよ、変な遠慮すんな。そんなことより俺について来てよかったのか？　じっとしてないと親御さんが心配すんじゃねえの」
「そこまで子どもじゃないもん。四時までに戻ればいいんだ、何よりララが一緒だから、パパもママも安心すると思う」
「信頼してもらってるとこ悪いけど、お前の両親と俺ほぼ他人なんだが」
「病院で何回か見てるでしょ、もう家族みたいなもんだよ。――でも、ララが過敏になるのもわかる。最近物騒だよね。この公園も不審者が出たとかなんとか、学校でみんな騒いでたよ。ララは何か聞いてない？」
「いろいろ忙しかったからな。テレビも見てないや。そんなにやばかったの」
「詳しいことは知らなーい。もう解決したかもね、話題になってたの結構前のことだし。それよりほらほら、ララも座りなよ、ぶらんこ」
「飲みながら漕ぐな、あぶねえから。いい。俺は柵でいい」
「相変わらずいけずなんだから。久しぶりなんだしせんろのお願いくらい聞いてよ。ねえ何で最近病院来ないの？　もしかして通院さぼってる？」
「人聞きが悪い。通ってるよ、すれ違ってるだけで。そういうお前はどうなの」
「相変わらず毎週行ってるもんね。あっ、狙って会いに来てもいいんだよ」
「行かねえ。俺が不審者になるだろうが」
「そう？　灰間先生たちもララに会いたいかも」
「甘いなせんろ、お前はあいつをダチだと思ってんのかもしれないがな、向こうは患者をモノとしか判断してねえ。そういうもんなんだ」
「またそんなこと言って。ばちがあたるよ。ララだって先生に助けてもらってるくせに」
「関係ないね。あの日事故で足がひん曲がらなきゃ一生医者知らずでいられたんだ。俺が病院かかるのは生まれたときと死ぬときだけのはずだったのに」
「生きててよかったじゃない」
「そりゃ感謝はしてるよ。でも俺はいやだ。あいつらやたらへらへらしてやがるくせに目は笑ってない。だから言ってやったんだ、医者なんてみんな信じられないって」
「……それで？」
「『私が不安がれば患者はもっと不安に思う、私が迷えば治療が遅れる、だからどんなに動揺してもせめて笑顔でいる』『感じることを患者任せにして申し訳ない』、そう返されたよ。食えねえ野郎だ」
「そっか。まあダトウっていうか、せんろ的にはいかにも灰間先生の答えそうなことだなあって感じだな」
「せんろ、お前病院長いんだろ。今まで嫌になったことねえのかよ」
「最初はいろいろあったよ。でもモノ扱いしてもらわないと治療ってやってられなくない？」
「そういうもんか？　最低限人間扱いしてほしいが」
「それはそうなんだけど。心に対しては人間扱いしてほしい、でも体にはさ、もっとフェアに向き合ってもらわないとむしろ不安になる。わたしの場合一生ずっと治療が続くことを思うと……なんか恥ずかしくなるしさ、じゃあ余計な情なんていらないやってなる」
「俺は……ごめん、俺、風邪とかもぜんぜんひかないし、たぶんお前のことわからない」
「いいよ別に。他人なんだししょうがないじゃん。ララのそういう素直なとこきらいじゃないよ。でも、ほら今みたいにね、患者同士だって痛みはわかりあえないでしょう。苦しみなんて人それぞれだもの。だからわたしは……それを理解しているお医者さんたちに外側から見つめてもらえるのはありがたいと思うな」
「あいつがそんなタマかな。なんか霧みたいだぜ、掴みどころなくて。見張ってねえと」
「灰間先生、ララのそういうところを信じてるんじゃない？」
「どういう意味？」
「うまくいえないけど。ララ知ってる？　先生、医療ミスのニュースとかすごい目で見てるんだよね。先生は……もしかするとお医者に向いてないのかもってたまに思うんだけど……ララは本人から聞いたんでしょう。笑顔の理由はそう見えるように努力してるだけであってさ、ほんとはいっぱい悩んでるはずなんだ。せんろはね、先生みたいな人にこそそばにいてほしいな。たくさんの苦しみを知ってると思うから」

3
「悪かったよ、こんな話ふって。お前の言い分はわかった――冷えてないか？　そろそろ戻ろうぜ」
「……うん。ねえねえねえ、おんぶしておんぶして」
「無茶言うな、こっちは荷物多い上にチャリ押してんだぞ勘弁しろ」
「どけち。――あっ、ねえこれは知ってた？　灰間先生、結婚するんだって。看護師さんたちが言ってた」
「あの病院暇なの？　ていうかあんまり興味ないんだがその話どうしても聞かなきゃだめなの」
「せんろは気になる。相手の人ね、先生が不良だったときに更生のきっかけになった人なんだってさ。学校が一緒だったってことかな」
「待って、あいつが？　不良？　だった？」
「そうなんだって。でも悪さって言っても夜中家を抜け出して散歩してただけらしいよ。本人すごい反省してるみたいで恥ずかしがってたから……掘り起こすのはやめといてあげて」
「いやここ最近でいちばんのびっくりなんだが」
「にしても結婚かあ。もちろんお祝いするけど、せっかく担当医になってくれたのに、引っ越してあそこ辞めちゃったりしたらどうしよってちょっと怖いんだ」
「確かに。そういう場合は患者は困るよな。まああいつはなんだかんだ残りそうな気がするが」
「でもホントは正直、どこにいても別にいいんだけどね。せんろ、大人になったら先生をうちのお抱え医師にスカウトするって決めてるんだ。ここだけの秘密だよ」
「スケールがでけえなお前は。俺は医者にかかるのは金輪際やめたいよ。金ないし」
「さっきからそればっかり。ララは野望とかないの？」
「野望ねえ、とにかくさっさと働きたい。それで親をうんと楽させて俺も贅沢する」
「そう、――ねえララ、うちで雇ってあげてもいいんだからね。ほんとのほんとにどこも行くとこなくなったらきっと来てよね。うち広いからお仕事いっぱいあるよ。いちばんお給料いいのはわたしのボディーガード。一日中ゲームして遊ぼう。どう？」
「……そりゃ一石三鳥だな。覚えとくよ。ありがとな」



『こんばんは、灰間です、――昨日はありがとう。久しぶりに顔を見られてほっとしましたよ。あのあとよく眠れましたか。――それで例の件なんですが……もし貴女さえよければしばらくうちに来ませんか。ここからなら貴女の職場も近いしどうでしょう。――こんなに大事なことを留守電で伝えるのは心苦しいんですが、次いつ会えるかまた雲行きが怪しくなってきたので取り急ぎ――なんだか貴女、最近とても疲れているようだから、ほっとけないんです――もうこんな時間だ、すみません慌ただしくて。そろそろ切ります。また連絡しますね。さっき言ったこと、考えてくれたら嬉しいです。じゃあ、今日もお疲れ様でした』








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