Blue Eden #14 イミテイション・メシア 後編 「気づいてたのよ」 そう言ってレストランの扉を閉める 扉を閉める前に最後に見えたのはあどけない幼子の姿をしたヘヴンの瞳に映る数字だった。あの数字は宇宙部と深海部の残り人数のカウントダウンだ。どちらも順調に減っているようだった。扉を閉めると外の物音が途端にくぐもり、感覚がますます海中のようになるので、ほんのわずか溜飲がさがる。些細なことでも制御下におければ安心する、そういう自分のさがをどうこう思う気持ちは今の夢前にはない。自分自身を責めさいなむにも余裕がなければできないものだ。 赤い絨毯に小ぶりの林檎が点々と、転がっている。 「気づいてたって、なんにでしょう」 カウンターの奥から空気ばかりで中身のない声が漂ってきて、夢前のもとまでやってきてふっつりと消える。声の主は そもそもこのレストランに隠れているのが夢前たち以外にはいないせいなのか、廊下ではたくさん見かけたヘヴンたちもレストランには来ない。レストランまで来る道々、特に大フロアと玄関のある一階では動揺のおさまらない社員たちが右往左往しているのが見て取れた――エレベーターやエスカレーター、ワープゲートといった会社の設備はいずれも停止しているようだった――固く閉ざされた玄関の扉の前、警備員と数名の社員が気絶して倒れているのを遠目に確認し、夢前たちはそこへ近寄らないことを決め、喧噪を避けてここまで逃れてきたのだ。不自然にブラックアウトさせられた者もいるように見えたが、 少しずつ少しずつ、何かが削れていくような感覚がずっとある。 ここは静かだ。こんなことになってさえいなければこの場所では食事を楽しむことができたはずだった。夢前たちが来る前に誰かが荒らしていったらしく、エネルギーになりそうな食品はほとんどなくなっており、奥の調理室は無人だった。残っているのはやたらと小さな林檎だけだ。荒らした者たちは盛大に入れ物を倒していったらしく、林檎はばらばらと外まで続いていた。すべてを拾って集める暇も余力もなく、夢前はひとつだけを手にかかえて、しゃがみこんでいる恋の近くまで行って腰を下ろす。 そう、今は恋に話しかけられていたのだった。夢前が気づいていたことというのは、 「永遠先輩のこと。わかってた――こんな裏切りがあるなんてここまで予想できてたわけじゃないわよ。そうじゃなく――あのひとが本当はちっぽけなひとだってことくらい」 「いつから」 恋はそっけなく訊ねてくる。あまりにそっけないのでいやいや話をしているのかと疑うほどだが、こんな風にさりげなさを装いながらも相手に吐き出させるという、これが恋のやりかたなのだということは、夢前も知っていた。恋はどんな人間相手にもこうやって律儀に会話を繋げてくれるのだ。そっけないのは気まずさも少しだけあるかもしれない。騙されていたのだとはいえ、全員が永遠と関係を持ち、それを今はお互い知ってしまったのだから。 思い出しかける気持ちを振り切って夢前は話し続ける。手の中の林檎はつややかだった。 「いつから。いつからかしらね、たぶん、初めての挨拶のときからかしら」 いちばん最初、永遠がここに来たときのことをよく覚えている。夢前は記憶をデータ化していないが、あのときのことは忘れない。永遠を一目見て不敵なひとだとそう感じた。そして本当に不敵ならば、あっさりと夢前が見抜けるわけはないだろうから、永遠のそれはきっと何か事情のある張りぼてなのだとなんとなくそう思ったのだ。 恋は夢前の答えに納得がいかないらしい。 「なんか意外すね。てっきり夢前さんはハナから永遠さんに首ったけだったのかと思ってましたけど」 「最初っから、ってわけじゃないわ。あのね、弱いのに背伸びしてるところがよかったの、自分みたいで」 言いますね、と恋は笑った。夢前も笑おうとして結局できずにやめる。取り繕ってももはや無意味だ。必死に立っていようと見てほしい相手ももういない。敷き詰めてある暗いワインレッドの絨毯を、大きな獣でも可愛がるようにゆっくりと撫でさすった。非日常なことが起きると自分のずぼらさが愛しく思えてくる。もっと他にやるべきことがあるような気もするが、しかし、今、すべてが遠い。 「だってそうでしょ。あのね、そういうところをぼんやり薄目で見ていると自分の存在も含めて何もかもうまくいってるような気持ちになってくるのよ。こういうのありきたりかもしれないけど、あたしにとっては大切なことだった。そうやって自分を騙すことが希望につながってたから」 恋は頷いたが、それだけだった。余計なことは何も言わなかった。分厚く揃った漆黒の前髪の真下、小さく鋭い瞳が何かを掬うように憂いている。夢前は林檎を膝の上に載せ、鷲鼻の目立つその横顔を隠すように両手の指を編み、つい今し方の自分の発言を反芻する。 「そうだわ。騙したり騙されたり、希望に繋がってたのよ。それでもいいと思ってた。だからあたし、――この傷が必要なことだったなんて絶対言いたくない、もちろんショックだけど――騙されたことがいやなんじゃないのかもしれない。嘘をつかれたことに傷ついてるわけじゃないのかも」 「永遠さんがどうしてこんなことしたのかとか気にならないんです?」 「もちろん気にならないわけじゃないわ。でも、もう、そっちはいいの。許してるわけじゃないわよ、あたしはぜんぜん、何も受け止められてない。先輩にどんな事情があろうとそれで許す許さないが決められるわけでもないし、先輩のしたことはしたこと。あたしたちの状況も変わらない。事情なんか聞いたってどうしようもないわ。だからいい。大事なのってそこじゃなくて」 夢前がいちばんいやだと思っているのは騙されていたことでも永遠が弱かったことでもない。だから永遠の事情も、どこからどこまでが自分の意思だったかというのも、もちろん気にはなるがどうだっていい。そうじゃない。 恋はじっと黙って聞いている。それが己の役目だとでもいうように、もとからそうしていたと錯覚するほどに根気強く夢前の答えを受け止めている。その口元が誠実だった。恋の目とは似ても似つかないのに、同じところがあるとしてもせいぜいで色ぐらいだというのに、恋の視線を浴びると夢前はうっかりと永遠の目を思い出してしまう。 いつのまにか永遠を追いかけるのが当たり前の毎日になっていた。追いかけたり追いついたりする白昼夢も何回見たのかわからない。追いかけられる、という願望まみれの夢を見たこともある――いや、あれは、そうだ。夢でも願望でもなくあれが「そう」だったのかと夢前は腑に落ちる。あれが永遠の細工だったのだ――夢らしいところもあれば、非常に実感を伴って思い出せるものもある。永遠を何度も追いかけた場所で二人で戯れながら夜を過ごしたこともあったのだ。 それらすべて嘘ではないのに嘘だったという。 首を横に振る。 そう、いちばん初めの知り合ったばかり、永遠の存在が気障りだった。永遠はまったく周りに敬意を払っていないように見えた。薄っぺらであろう強さもまるで夢前自身のことのようでむずがゆかった。それに個人的な好みの話だが、もっとおとなしくて気の優しそうな人に上司になってほしかった。生意気な小僧のような人間が上司になるなんて耐えられそうになかった。それなのにいつしかまんまと夢中になっていたわけだ。この気持ちのどこからどこまでが永遠のしむけたことなのかはよくわからないが、とにかくそうなっていた。いやで見つめていたのが次第に、何となく視界にその姿を求めるようになっていたのだ。 永遠は自分で気づいていないかもしれない。状況が芳しくないときに目元が別人のように険の抜ける素直なところを、何も自覚していないのかもしれない。ときどき、計算でないと言い切れるタイミングで永遠の張りぼての強さがなくなっていたのを夢前は知っている。たまたまにしろなんであれ夢前はその瞬間を目にしてきた。それで永遠が見た目からは想像できないだろう何か、弱さを持っていることに気づいた。それが忘れられなくなった。あれがわざとであればもう本当に何も信じられない。 ――このひとは本当に弱いのかもしれない、――気に入らなくて見ていた相手に対する気持ちがみるみる手懐けられていく感覚は腹立たしく、それでいて心地よく、なんとも心細いものだった。 それでも態度を崩さないようにと取り繕い続ける永遠に惹かれた。派手だから毒があると思って近づいたら全然そうではなく見せかけだけだった魚のようで、心の底からにくらしく、そしていとおしく思った。弱さまでも魅力にしてしまった永遠のようになりたかった。自分のようにひねくれた者に愛されてしまう、この自分に愛されている永遠のことが眩しかった、なりかわりたかった、だからこそ、セレのようにもなりたかった。永遠に信頼されてそばにおかれる一番の部下になりたかったのだ。二人はまるで同じ体の一部のようだった。だから夢前の不機嫌はいつまでも治らなかった。夢前がいつだってせかせかして余裕がなかったのは、圧倒的な憧れ、嫉妬、焦燥、憎しみ、寂しさを感じる相手を少なくとも二人、常に意識していたためだった。 自分で抱くように両肩をさする。ペールブルーのスカートの上にある林檎が身動ぎにあわせて傾いた。 「あたしってやっぱりずるいわね。ぜんぜん素直でもない。気づけばいろんなことに蓋をしてたわ」 天井の照明がゆっくりと暗くなっていくのを引き留めるように視線を向ける。海底からたちのぼる泡のように声が揺れる。 「そうっすねえ。でもそれで助かってますよ、オレみたいなもっともっと弱い人間は、周りが弱いほど嬉しいんです。何しろオレはそういうひとの役に立つためだけにここにいる」 「――だけ? 恋くんは宇宙部でしょう。宇宙に行きたくてここにいるんじゃないの」 夢前の問いかけに、恋は暗がりの合間でほんの少し微笑んだ。自嘲しているようだ。 「オレはね、ここなら困ってる人がいっぱいいると思って入社したんです。とにかく他人の役に立ちたくてね。こんな事態になって、もしかしたらオレは喜んでいるのかもしれません、みんなが困れば困るほどオレは必要とされるかもしれないから」 あくまで気楽な世間話をしているような調子で恋は話してくる。おそらくは天上天下を除いて他の誰も知らないであろう恋の秘密を、今、恋は夢前に打ち明けている。 「入社のとき社長に訊かれたんです。あなたの夢は、って。たぶん全員に訊いてるんでしょう。でね、オレは、夢とかなんとかそんな大層なもんじゃないけど人の役に立ちたいってそう言ったんです。相手は誰だっていい、ってね――夢前さんはメンテ部の人苦手でしょ。あの一癖も二癖もある人たちのこともオレはぜんぜんいやじゃないんです。困った人たちだとは思いますけどね、でもオレが言えたことじゃない。オレが怖いのはメンテのときのブラックアウトであって、あの人たちじゃない――あなたたちが宇宙や海を好きなのと同じように、たぶんオレは人が好きなんでしょうよ」 がっかりさせてしまうようだけどオレはそんなに宇宙に執着していないんです、と恋が結び、それに夢前は何か言葉を繋げようとする。以前の夢前ならば今の言葉で恋に愛想を尽かしたかもしれない。この会社にいるにはあまりに不純だと思って怒っただろう。しかし今はこう思うのだ、誰だって案外そんなものなのかもしれない、と。 「責められないわよ。あたしだって結局、海に行きたい一心でここに来たつもりだったのに、それだけじゃ生きられなかった」 何かたったひとつだけに忠実でいられたらどんなにかいいだろう。海に行きたいという単純な気持ちでここに来たはずだった。最初はきっとどんな人間でもそうだったはずだ。それが気づけばたくさんの寄り道をしている。 ――まったくままならない。データ化をして人生がもっと楽になるかと思っていたがとんでもなかった。生きるというのはこんなにもコントロールがきかないものなのか。いったい何が足りないのだろう、こんなに欲張って手を伸ばして、それで求めるものにはまだ遠い。 「それにしても、天下社長はいったい何がしたいんすかね。もし社長が会社のエネルギー止めてるんなら争う間もなくどっちも全滅しちまいますよ。こうして話してるうちにオレもブラックアウトさせられるかも」 話の流れで思い出したのか恋はぶつぶつ言っている。先ほど彼が夢前に明かしたブラックアウトがいやだという言葉は誇張でもなんでもないらしかった。 天上天下。今回のことは彼女の暴走なのだろうか。――そういえば永遠も夜半も天下がとつぜん連れてきた。永遠と夜半はここに来る前から既に知り合いだったという。 夜半の顔を思い浮かべ、夢前は恋に話を向ける。 「夜半部長のところに行かなくていいの? さっきの社長のアナウンスがあったし、夜半部長を狙う人だっているかもしれないでしょう。――あたしはそんな気ないけど――誰かの役に立ちたいのなら今がそのいい機会なんじゃないかしら。夜半部長は同じ部署の仲間の助けを必要としているかもしれないわ」 あんまり気乗りがしなくて、と恋は俯いた。予想していない反応だったために夢前はやや驚く。つい先ほど恋の事情を聞いたから尚更だ。恋はというと決まり悪げに頬を掻いている。 「夜半部長って誰の助けも必要としてないように見えません? 夜半部長のこと見てるとオレそのものに価値がないような、なんだろうな。そういうことを考えることがまず意味ないっていうか、そんなかんじする」 なんとなく恋が落ち込んでいる理由が夢前にもわかってきた。 しかしそれならそれでいいのかもしれない。恋がいくら他人の役に立ちたいのだと言っていても、周囲がそれをいいように利用して助かろうとするのはいくらなんでもおかしいだろう。ただ、恋が自分自身を見失って心細くなっていることもまた確かだ。いつかはこうなる日が来るのだとしても今折れてしまうのは危険だ、たとえ心をデータ化していたとしても――夢前は自分自身の心を見つめてそう思う。 「光星くんのことは? 彼、きっととまどってるわ」 助け船のつもりで恋に言って、はたとそこで光星の溌剌とした表情を思い返し、夢前は動きをとめる。 「光星さん? 夢前さんのほうが適任なんじゃないですかね。教育係だったんでしょう」 恋に言われるまでもない。光星はどうしているだろう。もう夢前には連絡を寄越さなくなったので独り立ちだと思い込んでいたが、こんな事態になって光星はうまく対処できているだろうか。そういえば彼の教育の件で永遠から合格をもらえた場合、報酬として永遠と食事ができたはずなのだった、――夢前は眉間を抑える。今更だがとんでもない公私混同だ。光星の教育と永遠との食事はなんの関係もない。さすがあの天上天下の会社とでも言えばいいのか――あのときの永遠もいったい何を考えていたのか、初めから煙に巻くつもりだったのかそれとも叶えるつもりだったのか見当もつかない、まさかうまく行くはずがないと決めつけていたわけではないだろう。単に夢前に本気を出させるための方便だったと考えるのが妥当かもしれないが。 光星は今、夜半のそばにいるのだろうか。夜半のことをしっかりと守れているのだろうか。光星と初めて振り子の広場で話したときのことを思い返す。信じられる相手を見つけて、とあのとき夢前は助言のつもりでそう言った。夜半部長のことを好きかそうではないかと訊ねると、光星は「もう好きだ」と答えてきた。今でも彼のその気持ちには変わりがないのだろうか。二人はどうしているのだろう。向こうのトップは部署の仲間たちを裏切りそうにない。光星は安心して夜半とすっかり絆を深めているのかもしれない。 ――信じられる相手。 「あたしは、」 結局何もかも夢前の外側で進んでいたわけだ。夢前はセレのように永遠に必要とされることもなくただいいように使われただけで、そして社長である天下は社員を顧みることなく勝手なことを初め、物事の中心には彼らしかいない。勢いの衰えない振り子が円を描いて立っている柱をつぎつぎなぎ倒すように夢前はすっかりはじき出されてしまったのだ――こんな状態で信じられる人も何もない。あんなことを偉そうに言っていた昔の自分が道化のようだ。―― しかし、 「ねえ、恋くん、やっぱりあの人たちを探しましょう」 ――海はまだここにある。宇宙も変わらずここにある。夢前が永遠ばかり追いかけているあいだもずっとあったのだ。――かえらなくてはならない。報いなくてはいけない。かえりたいし報いたいのだから、ここに座っていてはだめだ。 訝る恋を尻目に夢前は勢いをつけて立ち上がる。立てる。まだ大丈夫だ。大事に抱えていた林檎をそっと、カウンターに置いてやる。これでいい。林檎はたちまち夢前から離れて背景の一部に同化する。これがいい。 「あたしはまず永遠先輩を探すわ。もう隠れるのはやめ。いつまでも蚊帳の外なんだとしても、でも、あたしなりにちゃんと正面切って向き合って、せめて永遠先輩に対してぐらいは答えを出してやるわよ」 どこまでが自分の意思でどこからが永遠の細工だったのかはやはり何もわからないがそれでも確かなことは、夢前が永遠を大事に思っていた、ということだ。これだけは事実である。皮肉なことに永遠が細工をしていたとわかったことで逆にそれが消えない証拠となった。他ならぬ永遠が証明した形になったのだ。 一度だけ固く拳を握りしめてから出入り口へと向かう夢前の背に恋の心配そうな声がかかる。 「永遠さんのそばにはセレさんがいるでしょうよ。ぶつかったり置いて行かれたりしたらどうするんすか」 「だったらセレくんに対してもあたしの答えを見せるだけだわ。あたしがセレくんになれないことはもうわかった。もうそんなこと気にしない。あたし、こんなにちっぽけな自分のままだけど、それでも今、間違いなくあたしはあたしよ。誰の手も入っていない自分自身。だからこそ、何かできることがあるかもしれない」 転がった林檎の道の果て、扉に手を添えかける。後ろ髪を引かれるというのはこのことだろうか、いつも見ていた夢を思い出し、それで咎められたような気がして一度だけ扉から離れたが、それ以上は怯まない。 ひとつも忘れていない。咲き乱れる実感の芯に永遠がいる。永遠となんの憂いもなく平和に過ごした時間をはっきり覚えている。今でも夢前の存在のすべてが、永遠のことをどんなに大事に思っていたのかわかっているのだ。だから顔も上げたままで一歩も戻らずに行きたい、たとえ目の前に永遠の背中がなくてももう平気だと、夢前はそう自分自身に声をかけてやりたかった。裏切られたとしても、もとから嘘だらけだったのだとしても、そしてこれからがどうなろうと、残る感情は悲しみだけではないはずなのだ。 扉の取っ手は店内の照明を反射してやわらかく光っている。 やがて夢前の背後で恋の立ち上がる音が聞こえた。 「オレ、メンテ部に行ってみます。何かわかるかもしれない。光星さんと夜半部長のことはそのあとで探してみます」 振り返り、夢前は恋に向かって首肯した。恋もどこまでもまっすぐ夢前を見返してくる。 「ここまで来たら宇宙も海も関係ない。今回の競争はまず一旦やり直しを求めましょう。あまりにもフェアじゃない。でもオレたちが社長に直談判しようったって、まず居場所に心当たりがまるでないし何より無謀ですから。手始めに夜半部長たちをとっつかまえてそれからなんとかしてもらいやしょう」 「ありがとう、恋くん。そっちは頼んだわ。あとで合流できたらいいわね」 初めから嘘だった。こちらのことを初めから騙す気満々の嘘つきのことをそうと知らずに夢前は愛した。嘘と気づかずに嘘そのものに夢前は惹かれた。だから何も変わっていない。得たつもりで、つもりだけで、何も得ていなかったのだから、失ったわけではない――あの相手に何もできないのだろうか。ずっと騙されてきたとして、一矢も報いずに別れたままでそれで夢前は平気でこれからを過ごせるのだろうか。――そんなわけがない。 宇宙と海のこの争いの結末がどちらの勝利に終わろうと、夢前の思いはこのままでは終われない。 力を込めて扉を押し開ける。姿形の違う無数のヘヴンたちが廊下を行き交っている様子が視界へ飛び込んでくる。永遠の背中のない白い廊下へ踏み出すため夢前の足が持ち上がった。 そっと唇を割る。 「まだ終わりじゃないわ。他の何が終わったってあたしたちは終わってない。あるはずよ、弱いままでもできることが」 |