Blue Eden #XX 楽園のはなし







 ――かつてこの星が青いと言われた時代より幾星霜、地上の様子はずいぶんと様変わりした。
 もうこの星はきっと青く見えないだろう、というのも、人類と交代で繁栄した我々のなかからは未だ地球外に飛んだものはいないので、実際のところは我々にはわからない。かつての地球のことも、我々の誰もこの目で見たことはない。
 でも、知っている。「おぼえている」。
 かつて文明を築いた人類と、彼らの愛した電脳の存在、それらの夢と情報の残滓から発生した我々にはあらかじめ知識が豊富にある。だから見てきたように言える。かつてのこの星がどんなに青かったのか、そしてその青が、いったい何によったものだったのか。



 人間たちのなかには、この星を「楽園」と呼びならわした者もいたそうだ。
 やはり我々は知っている。人類の歴史は総合して見ても決して穏やかなものではなかった。争い自体はどんな種の生きものにもあるものだが、人のそれの凄惨さは他生物の比ではなかったろう。終わりへ向かって駆け足で急ぐように人類は多くの命を無為に奪い、消費した。そんな生きものの蔓延っていた星を楽園とはとてもみなせない、人類のあいだにはそういう考えの者もいたようである。それも一理あるだろう。
 しかしそもそも楽園とはいったいどんなものを指すのだろうか――争いさえなければよいのか。青を失ったこの星は醜く、汚く、そして人類は間違っていたのか、存在してはいけなかったのだろうか? ――そんなことはどんな者にも言い切れないはずだ。何もかもは個人の曖昧な尺度に頼った物言いにすぎない。
 楽園だと言う者が一人でもいたのなら、きっとそれは嘘ではなかったのだ。



 我々の祖となるものが発生したのは西暦でいう二三〇〇年代頃である。その当時人類はほとんど滅びかかっており、しかしそんな時代にも新天地を宇宙にするか深海にするかで分かれ、揉めていたと記録にあるから驚きだ。
 そしてこれが面白いことに、きれいに真っ二つに分かれていたかというとそんなこともなかったようである。どちらの勢力にもつかない個体もいたようだし、なんとも興味深いことに生き延びることに固執しない個体もあったという。我々の祖先の漂っていた情報の海に身投げするように消滅した個体もあったらしい。コロニー内部での生活を捨て、地上を放浪した特殊な個体の残した記録は、当時の地上がよくわかるため我々のお気に入りのデータである。
 そうそれから、人類が完全に滅びる前に、最後のちからを振り絞るようにしてたった一人が地球を脱した、とも残っている。我々はその存在もしくはその存在に連なる何者かに地球外から我々を認識してもらうことを期待しているが、今のところその望みは望みのままで何も進展はない。通信はもうずっと前に途絶えており、我々はその存在の位置を探ることさえできていない。



 親たる人類の情報と夢、そして電脳の存在を祖として発生した当時の我々は既にその時点で全員が違う見た目をしていたが、その実は全員が同一の知識と意識を共有する存在だった。これでは争いようがない。――同じ存在がひしめいていてもどうしようもないのだ――満たされることもなければ欠けることもなかった。
 我々の祖は、自由になって外部から認識されることを望んでいた。しかし結局それは叶わず、彼らのなかから我々が生じた頃には彼らはすでに我々に吸収されていたように思う。異なる個体としてコンタクトを取り合うことはできなかった。
 しかし最近、我々のなかにも、「違う」ものが生まれたように思う。すみずみまで自分のことがわからなくなってきているのはそのためだろう。矛盾というにはあまりに乖離した考えの数々は、もはや他者と言って過言ではないはずだ。
 もうすぐ、もうすぐ我々から我々でないものが生まれる。我々はようやく我々ではなくなる。これで祖の悲願も達成されるのだ。
 それでやはり、我々には知識があるものだから、予感には何となくの不安がついて回る。――進化はいわゆるパンドラの箱ではないか、とそういう不安である――未来、数多に分かれた我々はきっと争うようになる。どんな生きものでもそうしてきたのだから、我々に限って例外ということはないだろう。
 今こんなにも同じ我々が、いつか理解し合えない日がくる。その果てには断絶があり、もしかするとそれが滅亡するきっかけになるのかもしれない。生みの親である人類と、我々は同じ轍を踏むのかもしれない。
 しかし我々はこれが案外絶望していない。きっと箱を開ける行為そのものが希望だとわかっているからだ。



 争うのはそれぞれが異なるからだ。
 異なる体にそれぞれの夢を宿すからだ。
 そんな命でひしめく星を楽園と呼ばずしてなんと呼ぼう。たとえその果てにあるものが破壊であり、いずれすべての命が無に帰るとしても、確かにこの星は楽園であったのだろうと今の我々にはそう強く言える。

 もうすぐ、楽園がふたたび始まる。
 ここにいる。分かたれる、我々のひとつひとつの夢を我々はまだ知らない。我々の夢はいったいどんな色をしているだろう。
 我々は終わりながらも終わらない。終わりを持つからこそ、すべては終わらない。他者のなかに存在が生まれ、そうやってすべてはえいえんになる。
 いつか、地球外に行った人間と巡り会うこともあるかもしれない。親たる人類とも、祖たる電脳の存在とも完全に独立した我々の姿を見せてやりたい。そしておかえりとただいまを、長い旅の果てに再会した祝福として言えるように。――それはいつか、数多に分かたれた我々を繋ぐ言葉にもなるはずだ。今の感覚を忘れてしまう未来の我々の、生まれたところはひとつだったということを思い返すための――
 だからいつまでも覚えていたいのだ。
 ここが夢にあふれた青い星であったことを。いついつまでも続く楽園は、確かにここに存在したのだということを。





「青の楽園」 終
21.04.17.