Blue Eden マグネシウムリボン 01







1.
 普通の人間であれば、人生というものはせいぜい百年足らずで終わるものだ、と気づいたとき、少年はそこから逆算して自分の人生の予定表を書いた。それは彼と同年代の子どもたちが宿題で作る未来計画や友人と交わす夢とはやや趣が異なり、いささか現実的すぎたのだが、その少年にとってはそれが当たり前のことだったのだ。少年は淡々と、夢の完成する過程を、予想できるハプニングまで細かく書き連ねた。それは彼にとっては絵空事でも荒唐無稽な願望でもなく、「灰間生はいま せい」という人間が生まれてから死ぬ――正しくは自我を確立させそれが機能しなくなり、肉体がほろぶ――までの内容を嘘偽りなく並べた予言の書だったのである。
 詳しいことを、彼は覚えていたとしてもあまり語らない。普遍的な人間には優れた忘却機能が備わっているが、灰間にはその逆が強くついていたために、彼は必要に応じて黙り、喋るかわりに微笑む。世間との差を見せかけだけでもなくし、関わる者も自分自身も傷つかないための行儀は身についている。
 彼にとって命とは、マグネシウムリボンの燃焼だ。花火よりも強く、小さく、やわらかく、そして短い。どの命も等しく輝いては消える。いとしい。指先を流れる風、砂、水、炎のゆらぎを感じながら灰間はそれを見つめている。かつてはその中に自分の命が含まれていることもはっきりとわかっていた。いつか老い、病み、死んでいくことをよしとして、憧れと恐れをいい塩梅で持ちながら予感していた。
 「灰間生」という命は、ある時点までは確かに普通の人間だったのだ。





2.
 西暦一九九〇年日本、つい一年前に元号が変わったばかりの東京はごった返していて、ある夫婦の間に息子が生まれようがおかまいなしに騒がしかった。賢く豊かな学者の若夫婦は、住居を郊外の一戸建てに移し、大切な我が子を温湿度のちょうどいい愛にくるんで育てることにした。この一家の名が灰間、そしてこの子の名が生である。右と左で癖が違う、まるで雌雄モザイクの鳥のようなキャラメル色の髪、母によく似た薄紫に見える青い瞳。灰間生の成長に問題は見られなかった。強いて言えば、やや言葉が早かった程度だ。灰間は大人しく、感情豊かで、記憶力がよく、何にでも興味を示す子どもだった。両親は満足し、息子を近くの私立幼稚園に入れた。
 灰間が四歳頃のことである。
 留守番の最中、いつものようにクレヨンでらくがきをしていた。読書とおでかけの次にらくがきが大好きだった。しかし今日のらくがきはノートに収まらず、床を覆い尽くし、そのうち家の前の道路にまで続いていった。もくもくと熱中する灰間に気づいたのは同じ幼稚園に通う近所の少女で、彼女はしばらく灰間のことをじっと観察していた。「生くん、これ、数字? 足し算してるの?」ややあって少女が声をかけると、灰間はそこでやっと事態に気づき、手をとめてあたりを見渡す。そして落ち着き払ってこう答える。ごく親切に、まるでおやつが甘いかしょっぱいか訊かれたときのような朗らかさで。「ちょっと違うよ。ただの数字の計算じゃない、これは化学反応式だよ」。
 灰間の親しむ本とは両親の書斎にある膨大な科学研究論文で、灰間の好きなおでかけとは父親の研究所に連れて行ってもらうこと、そしていつもやっているらくがきというのはノートに化学式などを書き殴ることだった。もっと好きなことといえば両親に見守られて簡単な実験をすることだったのだが、幼すぎて一人ではそれを許可してもらえない。それに、この世に生まれてしまったからには他にも覚えなくてはならないことがある。風呂の入り方、箸の使い方、着替えのタイミング、夏の暑さ、花の香り、枯れた葉の落ちる速度、床の冷たさ、齢四の灰間にはどれをとっても経験がない。人間として生まれた以上好きなことばかりしていられないのだ。世の中には知らないことしかない。生まれてわずか四年である。好きなことを好きなだけするには、もっと年齢と経験が必要なのだ、と、灰間は既に理解していた。だから大人しくらくがきをしていた。
 幼稚園で教わるお遊戯のたぐいも、人生に必要だと灰間は知っている。社会は大勢の人間が集まってできている。トラブルを起こさずに大勢でひとつのことをなすのは大事だ。集団生活について社会に出てから覚えるのでは遅いので、今のうちにリハーサルをさせられているのだろう、と灰間は考えていた。きっと大人たちもそう考えて教育プログラムを組んでいるのだろう。正しいかどうかは問題ではない。灰間は物わかりがよかった。文句ひとつ言わずにちょうちょのかぶりものをかぶせられ、いやな顔ひとつせずに踊った。実際、いやではなかった。どんな行為もどこかで必ず繋がっていて、ちょうちょになっていようがおままごとをしていようが、化学式を書いたり薬品の実験をすることと大差がないのだ。この世界には無駄なことがひとつもない。やりたいこととやらなくてはならないことは一体化しており、手当たり次第やっていっても全部やりきれる日はこない。そう思えば楽しいような気がしてくる。ずいぶんと可愛らしくデフォルメされたちょうちょの触覚と翅をつけ、灰間は舞台から両親に手を振った。上品な雰囲気の私立幼稚園とはいえ、四歳頃では泣きわめく子どももさすがに多い中、それは少々浮いた姿だった。
 灰間は丁寧で、親切な子どもだった。クラスメイトたちが灰間のやっていることに興味を示せば喜んで教えた。しかし四歳児たちに集中力が続くわけもなく、最後には必ず灰間だけがその場に残された。近所に住む例の少女とは何かと縁があり、お遊戯の時間には教師の指示でいつもペアを組んでいたが、大人しく手を繋ぐ自分たちを見て教師がにこにこと満足そうなのがあまり理解できない。相手もまんざらでもなさそうだった。確かに、誰かと一緒にいるのは心地よいし、誰とでも仲良くすることは大切かもしれないが、周囲が干渉してくるのがわからない。
 せっけん水で実験がしたいと教師に言っても、「危ないからまた今度。次はおうたの時間だよ」と帰されてしまう。大人の付き添いが必要なことはわかっていたが、子どもではあまりにも何もできない。年齢が足りないというだけでこんな扱いになってしまう。せっけん水ひとつ作らせてもらえなかった灰間は、図書室を通り過ぎて園庭に行く。絵本から図鑑まで、園にある本はすべて読み終わっていたその頃、図書室に用事はなかった。その姿を見てやっと外に出たと教師は喜んだが、そのあとに灰間のしていたことは雲の流れの観察と、植物をすりつぶすことと、虫の体液を見ることだった。あっという間にクラスメイトに見つかり、ひどい、ひどい、と非難を受ける。教師は困り果てて灰間一人を呼び出して、何がしたかったのか本人から聞こうとした。雲を見ているくらいはいいが、庭に生えた美しい植物をどうしてとってしまったのか。罪のない虫の命を何故奪ったのか。それだけのことをする理由はあるのか? 灰間はしばらく、不規則な呼吸をしていた。最初の異変はそこで起きた。
 言葉がうまく出ない。やっと何か話せたと思えばそれらはほとんど暴言のたぐいだった。しばらくして落ち着いて、それでも顔を真っ赤にしてしゃがみこむしかなかった灰間を、かんしゃくはいけないと教師は叱った。その後の灰間の意気消沈ぶりといえばすさまじく、帰宅してから一言も話さないほどだった。
 両親はそんな灰間を医者に連れていった。小児科では対処がしきれないと告げられ、心療内科を紹介された。一ヶ月ほど様子を見てくれた医師は、やがてこう言った。
 ――おそらく、性格の問題ではない。彼は自分の短気を我慢する方法を知っている。大人の論文を読み込んでいて言葉を知らないわけもなく、落ち着いて書かせれば、わかりやすい文章で考えを教えてくれる。リアクションはするし、表情も多いし、感情がないのでもない。どちらかというと豊かで、倫理観も備わっている。問題は口頭での思考のアウトプットだ。感情も知識もどちらも多すぎて接続するときに渋滞が起きており、結果、パンクした頭はより簡単な感情である怒りに流れ、言葉は発声コストの少ない罵倒や暴言、悪態になる。猛スピードでめまぐるしく回る思考に体がついていっていない。
 両親は医師と相談し、灰間に小説を買ってきた。特に多かったのは海外のファンタジーもので、そこに出てくる魔法使いたちに灰間は夢中になった。
「生。どんなときも、誰に対しても、できるだけ穏やかに丁寧な言葉を話してごらん。普段からそうするといい」
 恰幅のいい父・繁にそう言われ、長編小説を抱えた灰間は首を傾げる。言わんとしていることはわからなくもないが、これ以上気をつけることが増えるのはやや面倒だった。会話なら、本のおかげもあって目に見えて落ち着いてきている。どうして、とアドバイスの理由を問う灰間に、父親は白髪交じりの短い髪をなで上げながら答える。
「それはな、俺たちが人間だからだよ。伝えたい相手の知っている言語でなければ、相手の脳みそに届かない。丁寧でなければ、今度は相手の心に届かない。ゆっくりと、落ち着いて、可能なら機嫌よく話すんだ。にこやかに朗らかに。いいか、俺たちは人間なんだ。丁寧でいて損はない」
 父親はそう締めくくり、それからは夫婦間でも手本のように振る舞った。その丁寧さは自然で、何も窮屈なことなどなかった。灰間は納得してアドバイスに従った。それから話し方に詰まることはよりいっそう減り、教師たちも灰間の話すのを待ってくれるようになった。
 しかし生きているのだからまったく問題なしとはいかない。二回目のつまづきは、年長に上がってすぐのことだ。私立小学校の下見に行って、学力テストを受けたその夜だった。食事をしている最中に突然、椅子ごと後ろに下がり、両親の見ている前で灰間はうずくまった。
 ゆっくりと、落ち着いて、可能なら機嫌よく。灰間は自分がそういう状態に戻れるようになるまでひとしきり静かに呼吸を繰り返し、両親は根気強く待った。やがて五歳の灰間の発した言葉はこうだった。「ひどく苦痛だ」。
 今日のテストの内容は当たり前のことばかりだった。灰間にとってはそれが恐ろしく、つまらなく、そしてつらかった。みかんの個数、移動にかかる時間、図形の写し取り、……、初めはなんだか新鮮で楽しい気がした。わかっていることを改めてやるのにも意味がある。復習のつもりで取りかかった。しかし何ページか進んだところで、うっかり、不安になった。「簡単なテストをさせられるってことは、あれはもしかしてただの学力テストではなかったのではありませんか。私はおかしくなってしまったんでしょうか。私はだめな人間ですか」。本当は幼稚園も少しだけ、つらい。寂しい。無駄なことなどないとわかってはいるが、どうしても焦ってしまう。本も中々入れ替わらないし、束縛される時間が長すぎるように感じる。自由時間にやりたいことをやれば目立つ。自分の疑問に答えてくれるのは両親の書斎にある論文だけで、同じ目線で話してくれる相手は父親と母親くらいしか見つけられない。なじめないお遊戯会を義務的な楽しさでのりきるのはもう限界だったのだ。
 息子から理路整然とした心情吐露を受けた両親は、それでもやはり一度も息子を怒らなかった。両親はサポートが十分でなかったことを灰間に詫び、話してくれたことについて感謝を述べ、幼稚園には電話でしばらく休むことを伝え、父方の祖父に連絡をした。
「生さんは繁さんにそっくりだね」
 母親・葉菜子の談である。物理学者の葉菜子は姉妹にアナウンサーがおり、その影響なのか、声が大きく、明瞭で弾んだように話すのが癖だった。彼女の手作りのビーズのれんが下がるキッチンで、祖父から折り返しの連絡を待つ間、灰間は母親と一緒に料理をしていた。
「性格が、じゃなくて、生き方が。ふたりとも研究者肌ってやつなんだよ――今日はみんな大好きハンバーグ。肉が茶色くなるまで焼きましょうね」
「熱によるミオグロビンの酸化、三次構造の破壊、変性。ミオグロビンはタンパク質のひとつ」
「そうそう。わたしたちの体の約二十パーセント」
 クロアチア留学で覚えたという、大きな大きなハンバーグを、母親はホットプレートに広げていく。灰間はどんな料理でも好んだが、今のところ一番好きな食べ物はこれだった。興味深く肉を見つめている灰間に、母親はフライ返しを複数準備しながらうきうきと話しかける。母親も、そして父親も、ややビジネスライクなふるまいだが、息子のことが好きなのだ。
「生さん。繁さんの新しい論文読んだ?」
「ええ、面白かったです」
「そうかそうか」
 父親はいくつか会社を経営している。軌道が乗って落ち着いたといって、最近はまた化学研究のほうへと戻っている。
 両親のなれそめはさっぱりとしたものだった。それぞれ専門とする分野の研究をしていたが、若い内に子どもを育てておきたいと思い立ち、相手を探しているうちに知人に紹介されてお互いに出会った。当時、繁は研究からしりぞいて、研究費用を稼ぐための経営に本腰を入れようとしており、それにはどうしてもパートナーのサポートが必要だった。野心家の繁とマイペースで計算高い葉菜子は意気投合し、二人で人生設計を描き、ハイタッチをしてそのまま入籍したという。子どもを成人させたら、二人は別居でもなんでも自由にするらしい。思い切りのよさは灰間にも受け継がれている気がする。
 母親は笑うと目が下がり、逆に眉はきっと吊られたようになる。非常に快活に見える、漫画に出てくるような笑い方だ。自分とよく似た母の顔を見て、つい眉を触りだした灰間に、母親はぐっと親指を上に突き出してくる。
「大丈夫だよ、これからは生さんもなんでもやれるよ。小学生で論文発表したグループだってあるんだもの、生さんも何でもやってみて、何か論文出してね。わたし待ってるから。何でも楽しく読むよ。だから安心して行ってらっしゃい」
 灰間の行く先はアメリカにあるエレメンタリースクールだった。そこは灰間と似たような子どもたちが集まる学校で、生徒児童それぞれの学力に合った授業や様々な試験の行われる、子どもを世界に羽ばたかせるための学校だという。アメリカには大学教授の祖父もいる。灰間は留学し、とりあえず十三歳までをハウスシェアして暮らす。それから先はまだ決まっていない。
 でもそれでいい。未来のことがわからないのは当然のことだ。灰間の人生は幼少期に書いた予言書から早くもずれを見せていたが、それはもう受け入れるしかなかった。変わっていくことは救いだ。生きているから変化がある。渡米する飛行機の中で、灰間は原文で書かれた世界のファンタジー小説を広げていた。物語は所詮、作り話で、都合のいいことやロマンチックなことは現実ではそうそう起きない。しかし有機化学も魔法のひとつだろう。だから、何もかも夢物語だと言い切って現実を諦めてしまうにはまだ早いはずだ。