Blue Eden #01 ぼくらの夢







 ――僕の夢は、なんだっけ。
 すとん、と書類が机にぶつかる音に、青年は唾を呑み込んだ。
「さて、次の質問でわたし直々のこの面談も終わりです。その様子では何を訊かれるのか見当がついていそうですが、どうぞ肩肘張らず素直に答えてください」
 素直に、素直に、素直に。光り輝く若い星は心で三回唱えて祈る。予想通りの問いでありますように、そしてどうか、答える間の一瞬でいい、目の前にあるみっつのどでかい存在のことを忘れられますように。社長、直属の上司、ライバル部のトップ、彼ら彼女らの威圧感を彼方へ吹き飛ばせますように。
 これ以上ないほど畏まる新入社員へ、黒い軍服に薄い黄土色の髪の毛を流した社長がふわりと微笑んだ。
満天光星まんてん みつぼし、あなたの夢は、なんですか?」

 ――それは、
 それはもちろん、この星の希望になることだ。
 人類が滅びないよう、宇宙か深海か、命の根付く先を人々に指し示し、選択してもらうことで、この会社に貢献する。
 そしていつか近い未来、自分自身も選んだ場所へ向かう――

 やがて年齢不詳の社長は光星の答えを受け、こっくりと頷いた。天上天下てんじょう てんげ、冗談のような名前だがそれに相応しい堂々たる存在感を放つ社長。ふさふさと麦穂のようにウェーブのかかった豊かな髪が黒い軍服の上をいったりきたりする、その流れのまま小さな首が傾き、彼女は両脇の人間ふたりを少し窺う。
「わかりました、ありがとう。三名とももう退室して結構です。――光星、夜半、そして永遠、お疲れ様でした」
 その言葉を皮切りに、社長の両脇を固めていたふたつの影が動いた。いや、その動きばかりに気を取られてはいけない、促されたのだから自分も退室せねば、そう思って立ち上がり、礼をしてその部屋を後にする。ふたつの人影が今度はこちらの両側を挟んでいることは無視だ無視無視。
 それでもやはり気になる。緊張で心臓がどうにかなりそうだ。
 かたや同期として入社してきたはずがいきなり直属の上司に抜擢された、灰がかった白い髪と金の瞳の青年――宇宙開発部のトップ・夜半、
 かたや自分たちのライバル部、会社のアイドル広告塔として立ちはだかる、ブルーのリップとメッシュが目を引く黒髪の麗人――深海開発部のトップ・永遠とわ
 しかし悲しいかな、互いの存在をがっちりと感じながらそれでも無視をしようと抑えていたのは三人とも同じだったとでもいうのか、彼らはこちらのことなどお構いなしに、社長室の扉が背後で閉まった途端に額をぶつけてこう叫びあう。

「「なんでおまえがここに!」」

 宇宙と深海を支配せんとする彼らの大声は、廊下といわずふたりに挟まれていた哀れな新入社員の頭蓋まで揺らし、目から星を飛ばした光星はそこでついに気を失ってしまうのだった。



***



 そもそもどうしてこうなってしまったのか、話は少々遡る。
 満天光星まんてん みつぼし。生まれつき、髪の毛が黄色で星形のように癖がついていて、名前も相まってこれはもう宇宙に行くために生まれてきたようなやつだと皆から期待されてきた。家族仲は頗るよく、友人の数も多く、気立てがいいおかげで特に苦労もなく育ち、今話題の短大を卒業してからストレートで希望の会社に入ったエリートだ。まだ世間を何も知らない、今時珍しいほどだろうと自負しているくらいに無垢な二十歳の青年がどうしてこんな目に遭っているのか――
 社長に対して答えたことに嘘はひとつもない。この会社を輝かせ、人類を宇宙へ導いて存続させること。そして自分もいずれ宇宙へ旅立つこと。それがずっとずっと夢で、目標だった。だからただまっすぐこの会社、ブルー・エデンに入るため生きてきたのだ。
 ブルー・エデン。人々を率いる、三百年の歴史を誇る巨大なグループ。天上家というひとつの家に端を発する由緒正しい会社である。
 これからは宇宙か深海か、人類は住むところを選ばなくてはいけないのだから。この星はそういう環境に、時代になってしまったのだから。
 満天光星は宇宙をとった、宇宙に行くためにこの会社に入った、そして人類すべてに「生き残るなら宇宙へ行こう」と呼びかける。社長たる天上天下が方針として選択肢に深海も残している以上、そちらを選ぶ人間もまた多くいるのかもしれないがそれは仕方がない。光星は光星のできることをするだけだ。そう、ただそれだけの話であるはずだった。
 念願の社の念願の部に配属が決まって数日、光星は浮かれっぱなしだった。入社前の試験やら面接で手応えがあったために受かることは確信していたのだが、如何せん若すぎるがゆえに不安もあり、こんなにうまくいくとは思っていなかったのだ。入社が叶ったとしても末端に配属されるだろうと思い込んでいた。しかし、現実は本人の予想を裏切り、光星は宇宙部上層チームのメンバーに抜擢された。正直意味がわからないほどの大抜擢だがそのときは不安より嬉しさが上回り、新しい紺色のスーツにアイロンをかけて鼻歌を歌ったりして数日が過ぎた。
 そんな蜜月の最中、会社に宛がわれたマンションの一室で、光星はやがて疑問を覚える。他に入社の決まったやつはいないのか? 世界を統べるブルー・エデンだ、入社希望者はたくさんいた。もしかして光星だけが受かってあとは皆消されてしまったのだろうか、と考えると、後ろめたさはなくとも寂しさはあった。同じ夢を持つ同世代の仲間と働くこともまた彼の夢のひとつだったのだ。学生時代からの友人は皆、違う職場に就いたと連絡があった。なんだつまらない。ちょっとは気骨のある仲間たちだと思っていたのに、結局誰もブルー・エデンには来なかった。彼らは人々を指導する側ではなく、指導されて生きる受け身側を選んだのだ。
 しんとしたフロアを見渡す。挨拶をと思えど、隣室は何度尋ねても留守だった。
 溜息をつきつつ会社への道順を覚えようと外へ出たところで、自分と同じように歩いている人間がいることに光星は気づいた。マンションを出て、居住スペースからブルー・エデンの中枢へと向かい、宇宙へと手を伸ばす会社を見上げる青年の姿。もしやと声をかけて正解だった。いないとばかり思っていた他の新入社員が、その青年だった。
 喜々として様々な話題をふる光星に、少々物静かなきらいはあったが青年はしっかりと反応してくれた。実は彼こそがずっと留守だった隣室の住人だとそこで判明し、二人並んで帰路に着き、マンションの広いロビーで軽食を広げたりもした。相手もまた、新入社員は自分だけかとやや不安になっていたという。それが思い過ごしだとわかり、二人で笑った。こんな裏切りだったら大歓迎だ。若いのに念願の会社へストレート入社、しかも配属先は上層チームのメンバー、どうやら憧れの会社は光星の予想を簡単に飛び越えるのが得意らしい。
 だが、現実は少し、光星を裏切りすぎたのだ。



***



「まさか同期の新入社員がいきなり上司になるなんて」
 自室へ担ぎ込まれて発した第一声がこれである。光星はベッドの上、ふわふわした思考のまま唇を動かしていた。
 記念すべき初出勤だと喜び勇んだところで、待っていたのは社長からの呼び出しだった。このくらいの驚きにはもう慣れた、と言いたいところだったが、そんな強がりが浮かんだのは隣人の存在が胸にあったからなのだ。新入社員なのだから、彼もきっと呼ばれるだろう。顔を一回でも見られたなら緊張も薄れる。
 しかし社長室の前でいくら待てどもその青年は来ない。もう時間だと意を決して入室したところに――まさかのその相手がいたというわけだ。
 絶句してしまった光星の前で、可憐な少女のような風貌の社長は口を開いた。満天光星、あなたを歓迎します。初めて顔を合わせますね。わたしが社長の天上天下です。さあこちらへ。こっちの黒いのは深海部の部長です、ご存知、うちの広告塔の。ああ、そこの彼ですが――急遽、宇宙部の部長になってもらうことに決定いたしました。長く空席でしたので。
 ……思い出すだに背筋が震える。もうどこから指摘を入れたらいいのか混乱してしまっていけない。
「何だったんだあの面談。僕の入社動機ならこれまで何度も主張してきたことだし、社長だったら知ってるはずでは? 本当に単なる顔合わせか? まさか僕が怯えてないか観察するためだったとか? どういうことなんだよ」
 というより体は無事だろうか、緊張のせいでどこか不具合でも起きてはいないだろうか。光星の体感にすぎないが、先ほどの面談だけで四肢のデータが爆発したような気がする。右腕、左腕、両足、順番にそっと動かして、自慢の髪の毛をふわふわと触り、最後に恐る恐る指先で唇をなぞる。無事だ。
 唇、といえばライバルである深海部トップの青いリップを思い出す。あの人間はなんだったのだろう。
 社長からは、とわ、と呼ばれていたろうか。そうだ、入社が決まってから上司のことをきちんと覚えるようにとデータが届いたためそれは分かる。永遠と書いて、とわ。またこじゃれた名前だ、と光星は自分のことを棚上げして何となく憤慨する。全身真っ黒、シルエットが見事な海月型で、その中で真っ青なメッシュとリップが鮮やかにきらめき、すがめられた目がやたら美しく、音高く鳴るピンヒールやらちらちら見える素肌やら、とにかく抗いがたい何かを感じる人間だった。年齢も性別も公表していないうつくしき海の者。今まで十年間、人類を率いるこの会社の広告塔をやっていたというのも頷けるといえば頷ける。認めたくはないが魅力があるのだ。しかし、はて、別れ際にこちらの上司に向かって「ほんとなんでおまえがここに」と改めて忌々しげに毒づいていたようだったが――
 ゆるしがたい。生真面目な光星にとっては存在そのものがアレルゲンだ。独り言も出るというものである。
「大体なんだあの態度。顔とか服装とかそんな細かいことはひとまずいいんだよ、そうじゃなくてさあ! 美人なのは認める、年上で偉い人なのも分かる! でも――それにしたってあの態度は駄目だろ!」
 よしもう決めた、今決めた、あいつは敵だ。決めたというより肌が合わない。何の因縁があるのか知らないが、曲がりなりにも自分の上司に向かってあんな汚物を見るような視線を向けて、ただで済むと思わないでほしい。
 自分の同期、いやもう上司なのだが、彼は――夜半はとにかくいい人なのだ。数日前、仲間がいたのだと知ってでれでれしてしまった光星を疎む様子もなく、やや寡黙ではあっても、それでもしっかりと受け答えをしてくれた。何より同じ宇宙部配属というのが嬉しかった。本日付で社長によって、彼は宇宙部の部長に、そして光星は彼の右腕に、と社内の立場としては圧倒的な差をつけられてしまったのだが、少なくとも夜半はその場で取り乱したりはしなかった。無表情だが心根が優しく面倒見もよく、その上胆が据わっていて根性もしっかりしているとは。
 夜半部長。耳の前から長く腰元まで伸びる真っ白な髪、昨日まではややグレーが濃く見えたのに唐突に変わっていたのはひっかかるが、まあつまりきっと心も真っ白だということの表れなのだろう。深海部の鼻につくあの黒いやつとは違って聖人に決まっている。廊下での叫びに夜半のものも重なっていたことに関しては都合よくダストボックスへ放っておこう。ああ夜半部長、あなたが上司でよかった。僕の未来はきっと明るい。光星はひとりで熱を上げてこれからの日々を思い描いては興奮する。
「夜半部長! あなたのことは僕がお守りしますからね! 目指せ宇宙、倒せ深海!」
 天井に向かって吠え、勢いをつけてベッドから起き上がった光星は――そこで凍りついた。

 いた。目の前に、今まさに守ると豪語した相手である、宇宙部部長の真っ白な男、夜半が。

 本日二度目の気絶をしそうになった光星の意識を呼び戻したのは、静かで深い夜半の声だった。危ない、憧れの上司の前で二回もやらかすわけにはいかない。
「光星。その様子じゃもう大丈夫なんだな」
 大丈夫ではないがそんなに真剣な眼差しで言われたら大丈夫になる。気まずさを感じているのは光星だけなのだろうか、光星の百面相やら独り言やらを見ていただろうに、夜半はというと一切動じていないように見える。いくらなんでも胆が据わりすぎではなかろうか。
「だ、大丈夫です。失礼しました夜半部長、運んでいただいたようで、僕、体はデータ化したからやや軽かったかとは思うんですけど」
 真新しい紺色のスーツに包まれた自分の手足を光星の目がなぞる。触れるし、データ化する前との違いは頑丈さくらいで、これは紛れもなく重量のある「肉体」だが、それでも生まれたままの姿ではない。
 人類が体や心や記憶をデータ化しはじめて約三百年が経つ。三百年前、大体西暦でいう二〇一〇年あたりのことだが、人類は、電流などで人間の心身のゆらぎすべてを表せるところまで到達し、情報へと変換させる偉業を成し遂げたのである。今や成人でデータ変換手術を受けていないものはいない。道行く誰もが「体」か「心」か「記憶」のどれか、もしくはそれらのうち複数をデータに変えて生きている。年齢不詳の少女のごとき社長、いやに中性的で妖艶な深海部のトップ、そして目の前の上司もそうだろう。みっつのうちどこをどうデータ化するか、選択は個人の自由だが、今の地球において「データ化せずに人類として生きていく」という道だけはないのだ。それでは最早人類とは呼べないし、そもそも国際的に法で決まっている。この地球の全人類は、十八から二十歳までの間に、必ず変換手術を受けなくてはならない、と。生まれたままの心身では宇宙や深海には行けない上、荒廃したコロニー外に一歩でも出たら死んでしまう。遺伝情報も心も、簡単に元に戻せて共有できるようにクラウドサービス上においておけば半永久的に生きていける。人類でありたいのなら、変わらなくてはならない。これはひとつの進化だ。人類の選んだ世の中なのだ。
 いや光星が本当に謝罪したいのはそっちの関係ではなく、
「そのえっと、同期だと思って軽く接しちゃってすみませんでした」
 こちらの問題がかなり気になっていたのだが、予想は外れ、夜半の首は横に振られた。ぱさり、長い長い白髪と、そして両耳から後頭部で繋がる金のチェーンピアスが揺れる。
「気にするな。同期には変わりないだろう。それに俺だって入社していきなり宇宙部のトップになるとは夢にも思ってなかった」
 分かりづらいが、どうやら相手もそれなりに戸惑っているようだ。そんなところも等身大で好感が持てるな、とまたも光星が相好を崩した瞬間、夜半は精悍な顔つきのまままっすぐこちらを見据えてくる。
「変だろう。なんで俺が部長なんだ? お前より十年分人生経験はあるが、新米には変わりないだろうに。お前だってエリートとはいえ新入社員なのに部長の右腕だなんて、おかしいと思わないか。急すぎる」
「それは……思いますけど、もう気に病むのはやめましょうよ。嬉しいことじゃないですか――待ってください、じゅうねん?」
 この人もしかして三十路近いのか、と光星は歳の差に震える。いや、データ化が普通になってからは五十歳差の友人関係だとか子供より若い見た目の親なんていうのも当たり前に増えたのだが、知らなかったとはいえ年上にフランクに接してしまった自分が怖い。光星が生きる上で大事にしている信条に反してしまう。
 慄いている光星をおいて、夜半はというと腑に落ちないのか眉を寄せてしばらく考え込んでいた。ややしてから唇が再びうごめく。
「光星よ、お前だから言っておくんだが」
「なんですか」

「俺は社長を信用していない」

 とつぜんこのひとはなにをいいだすんだろう。
 キャパシティオーバーで今度こそ四肢も思考も飛びそうだ。くらくらし始めた頭を抱えてなんとか相槌を打つ光星へ、夜半は淡々と畳み掛ける。
「参ったな、俺はただ宇宙にいきたいだけで、ややこしいのは避けたいんだ――でもまあ、とにかく、お前のことは信頼してる。これから二人三脚で宇宙部を引っ張ってく仲だ。世の中、俺だけじゃできないことが山ほどある。そんなときは助けてくれよ、宇宙部の期待の星」
 目の前に差し出された大きな手を見て、光星の迷いがすうっと止まる。
「――もちろんです、夜半部長。僕が右腕になったからには安心ですよ。いずれ全人類が宇宙を選ぶでしょう。そうでなくともあなたと僕の夢は絶対に叶えてみせますとも。お任せあれ」
 空いている腕で力こぶをつくる真似をしてみると、ずっと無表情だった上司はそこでようやく笑ってくれた。
 ――素直なひとなんだ。
 混乱しているのは同じ、置かれた状況もほぼ同じ。これからは運命共同体だ。宇宙を目指す仲間として、皆を率いる上の者として、支えあうのだ。
 深い琥珀に落ちる金の瞳、温かなてのひら。この人が上司で本当によかった。思いを噛み締めながら握手を終え、そこで気の緩んだ光星は禁断の質問をしてしまう。
「そういえば夜半部長、深海部のトップの黒い人はなんだったんですかね? 永遠とかなんとかいうらしいですけど」
 ああ、とぼやきながら夜半が窓辺へと歩いていく。
「あいつ、高校の同級生」
「は」
 しまった目眩が。せっかくデータ化したのにこの頭、頑丈になってない恐れがあるぞというか高校の同級生ってなんだなんなんだ、この人無表情で淡々としてるけど発言がたまにぶっとんでる気がするぞ、
「広告塔の人間があいつだって気づかなくてな、それがいざ会ってみれば広告塔どころか深海部のトップとは――俺もつい驚いて――、光星、おい――光星!」
 上司の声が次第に遠退いていく。だめだ、堪えきれない、ああ夜半部長、ストレスに弱い部下をどうかお許しください、そこで意識はふっつりと途切れる。
 かくして満天光星は、本日二度目の気絶をめでたく遂げてしまったのであった。