この作品には一部残酷な表現が含まれます。
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 のどかなのは青空だけだ。
 荒れた山の車道では、車がネックレスみたいにくっついて並んでいる、たぶん。そしてそれをぐるりと取り囲んだり行ったり来たりして並んだ車を見ている人がいる、きっと。推量だらけなのにもご勘弁いただきたい。こっちにはこっちの事情があるのだ。
 遠くから、機械音がする。せっかくの晴れの日、ちらちら入ってくる光、山なんだから小鳥の声なんか聞きたいのに。緑のにおいもしないな。ガソリン臭くてしょうがない。
 そういえば、車といえば、赤ちゃんが乗っていますステッカーについて、別れた嫁と喧嘩したことがあったことを思い出す。わかばマークだとかシルバーマークだとか、車には色々つけると便利なステッカーがあるものだけれど、嫁は赤ちゃんステッカーだけは理解できないと叫んでいたっけ。どうしてそんなにそのステッカーを憎むんだ、親の仇でもあるまいし、と呆れ果てた昔の僕が尋ねると、彼女はたしかこう返した、気がする。
「媚びてるみたいできらいなのよ。だって、つまり、赤ちゃんがいるから見逃せってことでしょう? 車内で赤ちゃんに関するトラブルが起きて、それで車を脇にとめて、速度なんかも落ちて……そうやってみんなに迷惑かけるのに、そのステッカーでゆるしてもらえると思ってるんでしょう?」
 すっかりムキになってしまった元嫁の金切り声を、今でもおぼえている。
 そんなの、しょうがないじゃないか、赤ちゃんに限らず、車の中で予期せぬトラブル起こるなんてよくあることなんだし、迷惑をかけてしまったら、やっぱり誠心誠意こめて謝るしかない。次から気をつけるしかない。そして、自分たちが無事かどうか、そこを大事にしなきゃいけない。車のトラブルなんていのちに関わるものばっかりだ。
 僕はといえば以上のような意見を述べて、尚更元嫁の不興を買ってしまったわけだけれど。でもそうだと思う。人がハプニングで困っていたら手伝うし、自分だってそうなるかもしれないんだから、助け合うって大事だ。今でも意見は変わっていない。いや、あれが離婚の決定打になったわけじゃないけど。そのせいで子どものひとりもいなかったとかそういうんじゃないけど。
 ひとりでドライブ。山からみた、遠くにある海岸、いや、沖が見たくて。せっかく休みを続けてもらえたんだから、のびのびしたかった。それなのにな。台無しだよ。いや、のんびりしてるといえばしている、のだろうか。
 機械音が近づいてくる。
 本音を言えば、また元嫁に会いたい気持ちがないわけじゃなかった。いや山盛りだ。嘘をここで自分に言ってなんになる。今くらい、素直になろう。そう、彼女に会いたかった。でも、何も歴史に残るような大恋愛をしたいだとかそういうかわいらしい理由じゃない。あのステッカーの件について、話したかった。あのステッカーの、本当の意味を。
 何も知らなかった。教習所でしっかり色々たたきこまれて、それで免許をとったはずなのに、何も知らないまま生きてきた。元嫁は耳が少し悪かったから車を運転するということから避けていて、そういう意味ではサポートしたかったのだけど、何にも助けになれなかった。
 暑いのだけれど、声を出せない。元嫁に言いたいことをまとめて、顔をしっかり思い浮かべてみたいのだが、呼吸もうまくできなくて、意識が朦朧とする。誰か騒いでいる。いや、きっと、周囲をうろつく人がみんな、がなりたてているんだろう。頭の奥がキンキンいっている気がする。
 うるさい。エンジンの音だ。車じゃない、もっと、違う、人間が、物を破壊する音だ。隣の車だろう。そうか、いよいよ隣まで来たのか。
 この年齢でこんな小柄なの、気にしているのに、それを突きつけて嗤ってくるような、エンジンの音。小柄でもいいことだってあるから平気、とずっと自分を鼓舞してきたのに、靴が石とすれる音がする、うん、結局小柄な体格がこの状況を招いた。山道。頬に食い込んだ、何か。最初はすごく痛かった。どうしようかとパニックになった。叫んだ。でも無理だった。突然の落石で、町から遮断された車とその中の人々。町は遠い。見下ろせば地球すべてが手に入ったような気分になれる、自然のパノラマ展望台。
 もう痛くない。頬どころか、腕も、足も全部。ただ、あつい。誰かがどこかでずっと怒鳴っている。
 なあ、あのステッカー、本当は、お前の言ってたそういうのじゃなかったよ。僕もお前が言っていたのと同じ意味だって前提で言い合いしてしまったけれど、違った。ほんとうは、ほんとうは。
 エンジンの、おとが、つよくなる。





「次のニュースです。×日に大規模な落石事故があり孤立状態にあったA山では、連日、救難活動が続けられていましたが、残された車の処理中に、作業員が誤って中にいた男性を巻き込んでしまうという事故が発生しました。男性は崩れた車の隙間に入り込むように落ちた状態になった体勢で発見され、上にあった車の残骸を切断するまで外側から発見することが困難であったとみられています。救助隊隊長のBさんは『隊員で手分けをしてすべての車を巡回し、声をかけたり少しずつ部品を避けながら、取り残された人がいないかくまなく確認した。また落石からかなりの日数が経過していたため事故車の切断に踏み切った』と発言しておりますが、過失であるとの線が濃いとして、警察は事故当時の詳しい状況を調べています。尚、事故に巻き込まれた男性はすぐに救急隊員によりC病院へ搬送されましたが、病院へ向かう途中で死亡した、ということです……」














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15/07/11 【第54回フリーワンライ】
使用お題:時間切れ
一次創作もの #深夜の真剣文字書き60分一本勝負

※文中での「本当の意味」というのは、現実では都市伝説の可能性が高いようですが、なんにせよ思いやりのきっかけになればいいと思います。