財布を開いたら、十円玉しか入っていなかった。
 確か今朝、高校に行く前に開けた時には千円札が五枚くらい入っていたはずだ。そういえば、もしかして、と背筋が一瞬だけ総毛立ったがすぐに治まる。気にしたってしかたがない、ないものはないんだ。
 さてここはゲームセンター。花の金曜日ということも手伝ってか、夜の十一時も回った今、騒がしさは頂点だ。さびれた小さな田舎町なのに、いや、だからこそなのか、ここはいつも賑わっている。いつもというほど常連でもないのだけれど。
 煙草のパッケージをゆすって一本だけ頭を出し、そこを銜えて引き抜きながら百円ショップで買ったライターを探す。お金あったら遊べたのに。特に好きなゲームはないけどとりあえず時間も暇も潰せただろうしストレス解消になったろうに。くたくたになったジャンパーのポケットのどこからもその蛍光色の火付け役は出てこなくて、急に肩の力が抜けた。かじらないように煙草を上下に唇で動かす。なくした千円札にもライターにも、もう二度と会えないんだろう。さっさと諦めて、黙祷しよう。
 ひとりしずかに心が凪ぐ中で、内臓をゆさぶる音の暴風が、ゲームセンターに吹き荒れている。



 そう治安がいいとはいえない、低学歴の高校での最近の噂といえば、もっぱらタチの悪い盗みの件だ。
 不良グループがありすぎてなにがなんなのだかよくわからないのだけれど、せせこましいことにちまちまと生徒たちの財布事情を調査し、いつ、誰が、というのを悟られないようにぱっと目当ての金額をとっていく、そういうグループがあるらしい。らしいだとかわからないとか不確定な表現になるのも許していただきたい。何しろ、グループは星のようにあるわ教師も被害者もされるがままだわで、今の学校は無法地帯にもほどがあるのだ。自分こそ真面目に通ってはいるけれど、内情に詳しいわけではない。どこのグループにも所属していないから尚のこと。
 不良っていっても、なんだろう、ド派手な特攻服とかツナギ着て、バイク改造して走り回ってるくらいだったら分かりやすいのに。気に入らない教師にガンとばすとか、後輩いびるとか、そういうのだったら、まだなんとか。いいわるいの問題ではないけど、まだわかる。そうじゃないから厄介だった。誰も彼もが持て余していた。一番持て余しているのは彼ら自身なんだろうけど。
 とかそういう目をしてるから、やられたのかなあ。
 ぼんやり財布のボタンを閉じる。普段だったら結構うるさいと感じる、あの独特の、ぱとん、という音が、まったく聞こえなかった。それはそうだ、ここは音の暴れるゲームセンター。今座っているベンチの目の前にはダンスの機械があって、そこでどのリズムか音楽かわからないけれど、とにかく何かに必死に合わせて踊っている人がいる。その足が履いている、よく見かける有名なロゴ入りのスポーツシューズは、裏側が擦り切れていた。
 目を閉じるとなんとなく変な感じがする。臍のあたりから根が生えていくような、それでいてふわふわと浮かんでいくような。なんでこんな場所に来ちゃったんだろう。やりたいゲームがあるわけでもなし、クレーンだってガンゲームだって苦手なのに。いつもそう思う。ここに迷い込んでしまった夜には、いつもいつも。
 ひどい音だ。小学校の頃ドッジボールを顔面にくらったことを思い出してしまう。靴底のにおい。汗の染み込んだ、ワックスをかけられた床。色とりどりのビニールテープ、肋木。
 ここどこだっけ。いまいくつだっけ。そんなことも、忘れそうになる。





 数十分は経っただろうか、ゆっくりと体を起こしても、世界は変わり映えのしないものだった。ずっと踊り続けている若い男性と、奥のほうでプリクラを何回も撮っている女性。クレーンでぬいぐるみだのフィギュアだのを取っては交換している集団、アーケードゲームの筐体に向かってずっと口を動かしている人。
 筐体に。
 よく見ると明かりが点いていない。画面に貼り紙があって、店員のものと思しき雑な字で何かが書かれている。マジックペンのにじみのせいで解読できない。
 無意識で立ち上がり、銜えっぱなしだった煙草をようやくはずして指先でいじりながら、その筐体のほうへ行く。そこに座っている人は何の反応も示さないボタンを押しながら、何かずっと話し続けている。真っ暗な画面には白い紙、そしてそこには「故障中」の文字が舞っていた。
 そういえばこの横顔に後姿、全然知り合いではないのだけど、確か先週来たときにも見たような。毎週いるのだろうか。
 関わったらいけないタイプかな。
 と思ったときには既に遅く、くるりと目の前の人間が振り返った。同い年くらいだがやっぱり顔見知りではない。こちらも向こうも私服だし素性は知れなかった。相手はこちらをまっすぐ見つめて何か話してくる。正直、聞こえない。無視しようかとも思ったけれど、あまりに真面目な顔つきで話しかけられてしまって、困ったことにそんな風に人に接してもらうのが久しぶりすぎて、うっかり逃げ出すタイミングを失った。せっかくなので耳を寄せることにする。
「ここ、座りますか」
 壊れてる筐体に用事はないんだけど。そもそも所持金、十円だし。
 というようなことを、こちらも手をメガホンにして相手に伝えてやる。相手はごくごく神妙な顔つきで頷いた。
 それにしても、こんな場所で何をしていたんだろう。
 こっちから一方的に見ているだけだったときはそのまま関わらずに去ろうと思っていたが、色々話してしまうとまた別だ。気になっていたことがはっきりと形をもちだして、このまま解消せずに家に帰ったら数日間は気になり続けるだろうところまできてしまった。仕方ない、訊くか。別にあやしい奴にも見えない。
「歌ってました」
 なんでまたこんなとこで。カラオケ屋ならすぐそこにある。夜、フリータイムなら安いんじゃないかな。
「金曜日です。人がいっぱいで、部屋がなくて」
 なるほど。
「それに、今、十七円しかないんです」
 遊ぶこともできなくて、と相手が笑って財布を振った。ぺちゃんこの財布からは、一枚の十円玉と七枚の一円玉、確かにぴったり十七円が細かくばらばら降ってきたのだった。



 とりあえず外、というジェスチャーに従い、店の前を少し逸れた、賑わう夜の大通りで話すことにする。
 にしてもわざわざゲーセンにこもらなくたって。結構あぶない奴来るっていうし、巡回もわりとあるのに。さっきの会話にそうこちらから続きをつなげれば、相手はしんみりした顔でこちらを見て笑った。よく笑う奴。
「家とかで歌うと、へただ、へただって怒られるんです。田んぼの真ん中で歌ってても補導されますし、同じ補導ならどうせこっちがいいです。色んな人がいて、みんな自分のことに夢中になるあの場所なら、この声、誰にも聞こえませんから」
 確かに誰にも届かない。さっきみたいに思いっきり口と耳を近づけないと会話がなりたたないくらいに、あそこは騒がしい。
「ここじゃ、人が通るから、歌えませんね」
 歌えばいいのに。
 相手のまんまるになった顔に向かってそう言った。なんだか、どうでもよくなった。五千円の弔い。ライターなくしちゃった弔い。気にしなくていいんだ。こっちの気持ちを知らないままで、相手は茶目っ気たっぷりにほほえんだ。
「お金、とっちゃいますよ」
 十円でいい? そう返して、すっからかんの財布を振ってみせる。相手は星空に抜けるような声で笑った後、
「合いの手、お願いしますね」
 とそう言った。こっちもつい笑った。
 お金とっちゃうよ。今度はこちらからそう言ってみると、相手は一瞬だけ目を大きくさせ、こう返してくる。
「十七円、払います」
 悪くない。来週の学校とか、相変わらずの不良グループと盜みの話とか、なくしたライターとか、散々だけど、悪くない。今になってから、結構あの安っぽい蛍光グリーンのライター、気に入ってたんだな、と自分の心に気がついた。あばよ相棒。
 でもライターなら百円ショップ行けばまたいつか買える。今は目の前に線をひいて流れていく歌声と、また来週の金曜日の夜に二十七円のコンサートをひらけるならば、それでいい。





おしまい



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15/06/26 【第52回フリーワンライ】
使用お題:偶然、3回続けば必然
一次創作もの #深夜の真剣文字書き60分一本勝負