この作品には一部残酷な表現が含まれます。
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 無言で耳たぶをひきちぎられた。
 正確に言うならば、ピアスだ。ちょうど一週間前にサークル仲間とふざけあって開けたピアス。酔っ払っていた俺たちに消毒だとかピアッサーだとかそういう思考はなく、そのへんにあった安全ピンで、もう成人近いのに、まるで中学生みたいに開けた。あれからまだ一週間、このくらいじゃファーストピアスは取れない。ホールは生傷のままだからだ。それでもやっぱり俺たちはばかで、ふざけあった勢いそのままに欲しいピアスを次から次へと買った。そして日替わりでつけていた。
 で、たったいま、俺の両耳にぶらさがっていたでかすぎる白い蝶を、目の前の女子高生がひっぱったのだ。
 面白いくらいに両耳がかっと熱くなるのを感じる。開けたときも熱かったけれど眠れないほどじゃなかった。開けるときは冷やせとか言うけど、あれは迷信で、逆にあっためたほうがいい、なんて雑学をひけらかす友人に教わるまでもなく、酔っていた俺たちは色々熱かったし暑かったのでそのまま開けたんだけれど。
 ばたばた音がする。今、見なくても分かる。両の耳たぶと肩はペンキでもぶちまけたみたいに真っ赤になっているんだろうな。なんのカーニバルだよ。隣に並んで歩いていた兄貴が絶句してるのがわかる。兄貴は昔からこうだった、予期しないことが起こると、驚きすぎて、心配だとか対処だとか肝心なことに頭が回らなくなるのだ。
 そして目の前で赤く染まった蝶をもてあそんでいる幼馴染の女子高生は、しれっとした顔でなんと唾を吐きやがった。
「きしょくわるい。誰の許可得て体に穴増やしてんですか」
 気色悪いのはどこからどう見てもお前のほうだ。
 優等生を絵にかいたような姿の幼馴染は、パーマもカラーも生まれてから一度だって知らない真っ黒なポニーテール頭で、高校でやっているサックスのケースを背中におぶっている。白と青のセーラー服がまぶしかった。清楚清廉という言葉がぴったり合う顔つきの上、他の友人にはめちゃくちゃ愛想がいいくせに、俺にだけこの態度だ。俺と同じく付き合いの長い兄貴もこいつのこういうところは知ってるけど。
 両耳の熱をほったらかしにして、勝手に冷えていく両肩に意識を傾ける。なつかしかった。俺も数ヶ月前まで、同じ白と青の波にまざっていたのに。



 ――とりあえず、てあて、しようね。
 元々口数の少ない兄貴が、きっと全身の細胞を総動員させてそう口火を切ることによって、ようやく時は動き出して、幼馴染は血みどろの蝶をふりまわしながらそのまままっすぐ駅のほうへ行ってしまった。あいつアホかな、あんなもん持って人ごみん中行ったら怪しまれるだろうに。というか返しなさい。次会ったら言おう。
 と、なんやかや思ってはいたけれど言葉はなんにも出てこなくて、無口な兄貴よりも無口になって、俺はされるがままになっていた。
 びしゃあ、と間抜けな音がして、俺は今度こそ自分の身に何が起きたのか分からなくなる。一瞬してから強烈な痛みが右耳を襲う。さっきより鋭く的確に痛すぎて、すっとんきょうに叫びながら耳を押さえ、そしてむっと漂うマキロンの香りについで鼻を押さえた。ど、どういうこと。厄日か今日は。
 ベンチで向かい合って手当てをしてくれていたはずの兄貴の手がとまっている。なに、どしたの兄貴。
 ――なんでもないよ。
 なんでもなくて弟の大ケガした耳にマキロン大噴射するかよ。
 ――ごめん。なんでもないんだって。
 ……まあ兄貴が言えないんならそれでいいけど。一応手当てしてもらってるんだし。それよりも兄貴に被害がなくてよかった、俺たち兄弟にどうにも容赦や遠慮が欠けているあの幼馴染は何をしでかすか分からないから。今日は俺だったってだけ。今日は……今日も、か。そういえばこの前に会ったときも俺だったな。高校の卒業式くらいきちんと出ようと思ってたら、学ランのボタンというボタンが根こそぎなくなってたんだった。ぼろっぼろの状態で仕方なく最後の登校をすれば担任に生ごみ見るみたいにして扱われて、クラスメイトが爆笑してきたり後輩が心配してきたり。あのときは結局、下校して家の前に先回りしていた幼馴染に、ボタンの詰まったビニール袋を投げつけられたんだった。あの学ラン、兄貴のお下がりだったのに。その前は……、その前はどうだったっけ。おかしいな、思い出せない。なんか最近ずっと俺ばっかりこういう目に遭ってる気がする。
 兄貴はというと、飛び散った血混じりのマキロンを黙々とティッシュにしみこませている。母親によく似て線が細くて、ついでに顔の印象も薄い兄貴。なんか、笹みたいだ。そんな兄貴をぼんやり見ながら、兄貴の手当てだけじゃ足りないんだ、あとで病院いかないとちぎれた耳たぶは治らないんだ、と俺は考える。今はまたマヒしているだけで、感覚がしっかり戻ってきたらとんでもない激痛が走るんだろう。ピアス開けたときなんか比べもんにならないくらい、熱くて頭痛もして眠れなくなるんだろう。
 いつも忍ばせている救急セットから小さな絆創膏が現れ、兄貴の指が俺の耳にピアスみたいにそれを貼ってゆく。そっと離れる指を目で追って、うっかり兄貴の口の中で動く舌を視界に入れてしまった。吐息が響く。
 ――ただ、なんか、みんな、しあわせにみえるな。






 ちゃりちゃり音をさせてしばらく遊んでいたけれど、飽きてしまった。なんでこういうの、皆は憧れるのかな。敗血症っていうんだっけ。アレルギーとかさ、色々あるのに、皆こわくないのかな。
 ちゃんと消毒すれば怖くないよぉって親友は言ってた。大会もうすぐなのに、フルートのメンテナンスも楽譜の整理もさぼって。
 あんた、まじめすぎるんじゃん。つまんない子って言われるよ。
 とまあこんなふうに、すっごいこと言われるけど、彼女のことを私は大事に思ってて、大会間近なのに練習しないでいられる精神だとか、実は嫌いじゃない。どうかとは思うんだけど、よくわからないけど、何かが、どこかが、すごいんじゃないかって。
 そんな彼女は、私が幼馴染の兄弟に悪口雑言を撒き散らしていることを、知らない。
 白いちょうちょなんて悪趣味な。清純派気取りたくなったのかな、あいつネオンカラー大好き人間だったくせに、と、私は大学に入ってから急にピアスをしはじめた幼馴染兄弟の弟のほうを、思い返す。一緒に歩いてたお兄ちゃんのほうはまたびっくりしてたな。ごめんお兄ちゃん。多分気軽に謝っていい問題じゃないんだけどごめんなさい。お兄ちゃんが何かんがえてるのか、私、きっと知ってる。でも知っててこうやって生きてる。
 鉄くささがいい加減、気分の悪さをつれてきたので、駅の公衆トイレに入って洗い流してしまう。もうきれいになったかな、とあたりをつけてハンカチで拭いてなんとなく鼻のあたりにもってきた。まだ鉄っぽいにおいがすると思ったけど、そういえばこれ樹脂とかじゃないんだった、金具でできてるんだった。そりゃ金具のにおいするよね、あー気持ち悪い。
 ……ああいうことやってみたかった。ああいうことだけして生きていきたい。清純とかまじめっ子とか言わないでよ。
 横目で見ると、鏡に写った私の鼻先に、白い蝶が二匹とまってるみたいだった。薄くリップを塗った形のよすぎる唇が、ゆっくりと動く。
「きしょくわるい」
 毎日つまらなすぎて、吐きそうよ。








おしまい



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15/06/19 【第51回フリーワンライ】
使用お題:報われない・焦がれる
一次創作もの #深夜の真剣文字書き60分一本勝負