おれたちの関係はきっと長続きしないけれど、そんな瑣末なことはどうだっていいのだ。おれたちの関係性よりも、おれたちの命のほうが、きっと長続きしないものだから。おれたちはそれを知っているから。



 観客席のはるかむこう、金網の上、調光室の中で、毎日のようにさびしいいのちが口付けあっていることを舞台に立つ人間たちは知らない。関係者以外立ち入り禁止の扉を開け、正反対の道からこの大きなホールへやってくるおれたちはふたりきりになる。
「ものずきだよね」
 整備以外なんの予定も入っていない日、暇を持て余したおれはありったけのカラーフィルターを切ってスタッフルームのカーペットに散らした。そんな虹の海の中で彼女は呟くのだ。
 ものずき、ものずきねえ。鸚鵡のように同じ言葉を繰り返しながら、確かにそうかもしれないなんてうすぼんやりとおれは考える。数多ある職業の中から、劇場ホールのスタッフなんてマニアックなものを選んだおれたちふたり。地元の高校に通う演劇部や、奥様方の何かの発表会、幼児たちの音楽会、伝統芸能発表のリハーサルなんかをちょこちょこと手伝う毎日で。これは色んな人間模様を見ては関わらずに消える職業だ。花をそえるだけで何の記憶にも留まらず、一瞬で消える仕事だ。
 舞台にあがったものを、浮き上がらせる。悪趣味な色で染めて暴力的に。音を付着させる。生々しさが際立つように。
「仕事のはなしじゃないの。あなたがわたしのことを選んだこと」
 しゃ、と手元で鋏が停止した。中途半端に切れたカラーフィルター十五番、一番気味の悪いピンク色の向こうにいる彼女は眉一つ動かさずに、音響卓へそっと指を添わせている。誰もいない舞台。何も入っていない機材からは、静寂しか流れない。
 何も答えずに彼女をカラーフィルターの海に引き倒した。
 最近入ってきた後輩がおれたちの関係に気付いてることを、おれもこいつも知っている。知っていてそのままでいる。後輩は黙っている。ゆるされない場所で起こるゆるしてはいけない行為は、誰も口を挟めない場所のせいなのか、見て見ぬ振りをされて今に至る。
「ねえ。舞台のことを日常に持ち込むのも、日常を舞台に持ち込むのも、」
 真っ黒なブラウスに真っ黒なジーンズを穿いた彼女は海面に浮いていた。明暗くっきりとした、笑みと存在感に眩暈がする。
「どっちもご法度なのに。わたしたち何か勘違いしてるんじゃないかな、そう思うのにとめらんないなんて」
 ガタン。
 それで気配を殺したつもりか、おれがそう思ったと同時に、下で彼女が口角をあげて首をのけぞらせた。カラーフィルターに絶対にない色、純粋な黒と白、そしておれがそれを覆う。とめるつもりか咎めるつもりか何なのかは知らないが、扉の向こうに、いつものあの後輩が、いる。別々の帰路に着くおれたちを、朝礼のときも終礼のときもやけに凪いだ視線で見つめてくるあの後輩が。でもどうだっていい、今、おれたちは舞台のチェックが済んでしまって暇なんだ。そして扉の内側には、そう、内側にはおれたちふたりしかいない。
 おまえみたいなすきものを相手にできるのはおれみたいなものずきじゃないとだめなの。
 わざと大きめの声で告げれば、腕の中の体が震えた。彼女は今きっと扉の向こうの後輩の顔を思いえがいて笑っている。背筋が粟立つほど悪趣味。

 刹那がほしかったのは、これ以上ない程に刹那的な人生だからだ。じゃなかったらこんな仕事に就かない。おれが消えてもこいつが消えても、もしどっちも一気に消えても、ここは替えが効くはずだ、他の職場よりもずっと。たやすいいのち。
 どうせ永くは生きられないと初めに宣告された存在同士、ここで慰めあうことくらい、ゆるしてほしい。お望みどおりこの職場からも人生からも世界からもさっさと退場してやるから、だから、どうか。



 おれが切り損ねた十五番のカラーフィルターが、彼女の細腕でも覆いきれない、おれの痩せた背になだめるように落ちた。幕のあがらないままに、舞台がまた始まる。









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15/04/12 【第44回フリーワンライ】
使用お題:交じり合う
一次創作もの     #深夜の真剣文字書き60分一本勝負