或いはひとつの門出





 だれか、こんな話を聞いたことはないだろうか。
 ひとは皆、自分だけの空をどこかにもっている。自分の空に出会ったひとはいつか必ずそこに帰ってしまうのだという、そんな約束ごとを。

 いつも大学の最寄のコンビニで購入するカフェオレよりは、自宅で兄と飲む野菜ジュースのほうが私に優しい。
 皿がテーブルにぶつかって音を立てた。シールを集めて交換してきた、愛想のない役者のようなその皿の上では、兄が和えてくれたサラダが陽光を反射している。
 ――そういえばトイレットペーパーのストックがなくなっていたから、昨夜帰りがけに買っておいたよ。
 焼きあがったトーストを、まるで弾むボールでも受け取るように捕まえた兄が、ふとそんなことを報告してきた。なにも朝食時にしなくてもいい話じゃないかと思われるかもしれないが、これが我が家の光景だ。兄と私の時間が重なる穏やかな朝。このときの私たちはさながら、地球という美術館に並べられている展示品である。
 そのうちのひとつであるところの兄は自由に動き、報告ののちは食べることに集中している。買いためておいているメーカーのウィンナーソーセージにフォークを立て、水切りの不十分なレタスを巻き込みながら器用に口へと運んでいくのだ。私とてただその光景を見ているだけというわけではなく、数日続いて飽きてきた目玉焼きを箸でせっせと白身と黄身に選り分けていく。今週の朝食当番は兄なのだが、半熟を好む兄の仕業で私は黄身を丸呑みすることを余儀なくされている。破けて皿が汚れるのがいやなのだ。
 私のその癖を知っているのに半熟の目玉焼きを頑なに作り続ける兄はというと、トーストを口に詰め込んでいた。バターで光る指を視界に入れながら、ありがとう、と一言告げる。兄は兄で忙しいだろうに、文句ひとつおくびにも出さずに家事を分担してくれる上、気を回して生活用品の有無までチェックしてくれる。だからこそ心を籠めて言う。ありがとう、と、この食卓ほどにシンプルな言葉を。
 生返事をして兄は朝食を食べ終わり、手を合わせて皿を重ねていく。まだ切り取った白身と格闘している私を残し、一足先に玄関で靴を履いている姿に、私はいつも通りの日が始まったのだと漸く認識した。先に行くよ、という声に重なる扉が閉まる音、そして、ぬるくなってしまった私のジュース。グラスは窓の向こうを映している。
 今日も晴れだ。

 ひとが一生のうちに出会う空というのは、たったひとつなのだという。
 何の気なしに見上げたときに目に入ってくるあの広大なもののことではなく、そのひとだけの空、というものがこの世にはあるらしいのだ。
 自分の空がどこにあるか、いつ出会うかは分からない。他人の空を見ることはできないので誰かと共有することも不可能である。誰も明言しないものだから、どこに誰の空があるのやらそんなことは皆、知らない。それなのに、ひとにはそれぞれ空があるというおかしな確信と事実だけは堂々といつも意識に鎮座している。空は使い古された伝説の赤い糸の恋人のように、私たちの覚悟を待たず、向こうの都合で勝手に現れる。そんな不文律がしめやかに人々の脳を繋いでいる。
 私も例に漏れずに他人の空を見ることはできない。ただ、出くわしてしまうのだ、ひとが空を見ているらしき場面や、自分だけの空と出会ってしまった運命的なシーンに。
 例えば、同じものを映している筈のテレビ売り場で、たった一台に急に吸い寄せられて口を半開きにしたまま動かないひと。自動販売機から取り出したペットボトルの蓋を捻り、飲もうとしてその姿勢でぼんやり立ちつくすひと。お菓子を食べようとして四角い箱を開け、そのまま会話もままならなくなったひと、こういった具合に、私は意図せずして何度もその場面に立ち会ってきた。
 誰が狂っているのか分からない。私か、周囲か、そうではなく世界そのものだろうか。もしかしたら空なんてものがそもそも本当はどこにもないのかもしれない。そう思うと私はどうしても他人と答え合わせをする気にはなれないのだ。
 そう、テレビは値段が良心的だっただけかもしれないし、ペットボトルの中には虫が浮かんでいたのかもしれない。お菓子の箱もそうだ。否定の要素はゼロではない。
 ただ、取り憑かれたように何かの向こうを見ていた人々が次の瞬間には活き活きと他のことを再開し、それまでの様子なんてものは全く覚えがなく――その部分だけは会話の辻褄も合わないのだから、そうなるともう私の幼稚な否定など届く気がしない。
 空と出会った人々はひっそりと消えていく。事件性を疑われても当然なのに、誰にも騒がれず、いなかったことが当たり前のようにして、いつの間にかいなくなっている。残された私物を手に取る周囲も何事もなかった顔でいつも通りの日々を続け、そしてひとと空との邂逅は繰り返される。
 消えてしまった人々は、自分だけの空へ帰ってしまったのだ。そう確信するしかない。
 鏡を見る。私しかいない。コンパクトを開ける。磨り減ってきている偽の肌色。資料の詰まった鞄、転ばないための地味な靴。傘立ての底は土埃だらけだった。扉を開けて外に出て、すぐに鍵をかけ、兄も通う大学の方向を見やる。昨日と同じ、うんざりする晩夏の快晴。蝉の声が痛々しい。
 生まれてこの方十九年、私は私だけの空に出会ったことがない。

 実をいうとまだ夏季休暇の最中なのだが、大学には毎日のように学生が集まる。休暇中であっても食堂や図書館が開くためだ。
 とは言ってもやはり、休みだからこそ遠くへ遊びに行ったりと自由に過ごすことに余念のない若者も多いわけで、昼過ぎの食堂は割りと閑散としていた。道中で買ったカフェオレを振って椅子を引き、暫くの間は黙ってレポートを進めようかと思ったところで、数少ない私の友人がこちらに向かってきていることに気付く。
 おはよう、と若干時間のずれた挨拶をすれば、返ってくる声は二人分。友人とその彼氏のものだ。友人のほうはこの春に講義の席が隣り合ったことが切欠で仲良くなったが、その後恋人だと紹介された彼氏のほうは実は私の小学校の旧友だった。地元の狭いところで生きているのでこんなことはしょっちゅうある。
 レポートの進捗具合だの、昨日のドラマの感想だのをぽつぽつと話しながら、三者三様やりたいことを進めていく。途中友人の彼氏がイヤホンを両耳に突っ込んだまま昼寝を決め込んだり、友人が私のカフェオレを誤って飲んでしまったりというささやかな事件はあった。自由気ままではあれど、贅沢三昧の学生というわけではない証拠のくしゃくしゃのシャツを引っ張り、友人は人好きのする笑顔で謝罪してくる。仕方ないなあ、と私は遠く返す。お情けみたいに彼女の胸元についたパールが光った。
 食堂の時計が午後五時を教える。それを合図に友人の彼氏が身を起こし、よく寝たよく寝たと欠伸を繰り返す。こいつは寝に来たんだろうか、と私は思ってしまうのだが、夏休み中に大学の食堂で何をしようとその人の勝手なので黙っておく。ただ何となく、人間の行動というのは幼少から変わらないものなのだな、と、つくづく不思議に思ってしまっただけだった。彼は小学生のとき、よく授業中に居眠りをしては教師に叱られていた。
 ――もう夕方かあ、夕飯どうしよう。
 生まれつきだという、何を言っても深刻そうには聞こえない声音で友人が呟きつつ視線を動かした。スタッフの入り始めた食堂のカウンターと、無情に進む時計の針とを見比べ、一回だけ溜息をつく。彼女は地元の人間ではない。一人暮らしをしているので食事は生活費にも関わる切実な問題なのだ。
 結果として、少し早いが夕飯は学食で今済ませてしまうと決めた友人二人を置いて、私は自宅で夕食当番の仕事を全うするために席を立った。課題は順調に進んでいるのだし、ここらで切り上げても支障はないだろう。
 立ち去る寸前のことだった。ショルダーバッグを持ち上げた私へと、じゃあな、と無愛想に手を振ってくる友人の彼氏の隣、自分の食べる分を早々にトレイに載せてきた友人が固まっている。その視線の先には、傍目には何の異常もない醤油ラーメンのどんぶりがある。カウンター越しにいつも海苔のサービスを強請る友人の、黒の多めなラーメン。油分がきらきらと砂金のように浮かんでいる。女子大学生が食べていると色気がないなんて無責任な雑誌なんかで吹聴される、安価で手軽でとても美味しいもの。
 ぼうっとした瞳、無表情で器に釘付けになっている彼女を置いて、今度は彼氏のほうが食事を取りに行ってしまった。券売機の近くでサークルの友人か誰かに捕まったらしく、騒いでいるのが聞こえる。見ろよハンバーグ定食売り切れじゃん、お前に絡まれたせいだわ、じゃあこっちのカツ丼頼めよ、いやだよそれ高えんだもん、――
 ふいに友人が顔をこちらへ上げてきた。――どうしたの、もしかしてご飯困ってる?
 今日は奢ろうか。
 短い付き合いだけれど、私が兄と二人で暮らしている事情を知っている彼女はこうして何かと気遣ってくれる。彼女のほうが一人暮らしで何かと大変だろうに、恐らくは根が親切なのだ。ありがたい言葉と、何事もなかったかのような笑顔にこちらも笑顔を返し、ううん大丈夫、と首を振る。
「色々ありがとう。じゃあね」
 じゃあね。
 気のいい友人は箸を持った手を振ってくれた。一気に人口の増えてきた食堂を抜けながら、私はカウンターで並んでスプーンを取っている彼氏のほうを見る。彼女がもうすぐ空へ帰ってしまうことを、彼氏のほうは気付いていない。気付くわけもないのだ、他人の空を見ることは誰にもできない筈なのだから。
 彼女が彼女の空へ帰ってしまったら、彼氏はどうするのだろう。寂しがって困って彼女の実家や警察に電話をかけるのだろうか、それとも、今まで私が見てきた何人ものひとと同じように、どこまでも当然のこととして何も話題に上らせずに済ませてしまうのだろうか。私は多分、大人しく送ってしまうだろう、今までと変わらずに泣き言ひとつ零さず。何故彼女は空に出会えたのだろうという嫉みだけをひっそりとつつきながら。

 帰路につく途中、図書館の前に広がるちょっとした中庭のベンチに兄が座っているのを見かけた。
 この分では兄の帰宅は遅くなるかな、と私はごく自然な倫理観から目を進行方向へと戻した。兄と並んでベンチに腰掛けている相手も見えたからだ。兄にも恋人がいて、こうして時々構内で二人睦まじく一緒にいるのを私は知っている。兄も隠しているわけではなく、交際が決まったときにしっかり紹介してくれたのだが、本心ではきっと二人きりでいたいんだろうという私のお節介のせいで、恋人のほうとはあまり会話をしていない。
 夏の終わりの午後五時過ぎは、下手をすればおやつ時ではないかと錯覚しそうな明るさを街に振りまいていた。
 ――小学校にあがるかあがらないかの頃、私の父は交通事故に巻き込まれて死んだ。幼い私と兄には、人の死そのものが中々理解できなかったけれど、とにかく母は父の不在の理由を何度も言い聞かせてくれた。会社に辿りつく前、悪天候だったせいでタイヤが滑ったことによる、空き家への衝突。他に怪我人は出なかった。豪雨の中、父一人が何の落ち度もなく世界から消えた日。
 どちらかというと父の不在を受け入れられずに泣き続けたのは私よりも兄だったように思う。兄は物心ついたときから所謂お父さん子で、一人遊びが好きだった私とは違い常に父と何かをしていた。母が泣き暮らしている様子から、とにかく父は二度と帰ってこないということを早々に嗅ぎ取った私とは別に、兄は玄関で父をずっと待っていた。そんな我が子が不憫だったのか、母は火に油を注がれたように仏壇の前で一層涙の量を多くした。
 しかしおかしなことに――今振り返ればそうでもないのだが、――兄を母が慰めにくる、ということはあまりなかった。四十九日も終わり、涙ももう枯れ果てた生活の中で、やがて母は無言で家事とパートの仕事をこなす働き者になった。それはいきすぎた悲しみのためだったのかもしれないが、私にはそうは思えない。家事の合間を縫って、階段の下の戸を開けては無表情で食い入るように見つめる母を、私だけはこっそり知っていたからだ。
 母が何を見ているのか、何に取り憑かれてしまったのか、幼い私は勿論興味を抱いた。兄は黙って父を待つだけ。それなら私が暴いてやろう、あんなに熱心に見ているのだからもしかするととんでもない宝物かもしれない。兄が強引なクラスメイトに遊びに誘われて出ていってしまった夕方、母がキッチンで洗い物をしている隙を見計らって静かに戸を開ける。内心興奮しながら奥を見た私の予想に反し、そこは閑散としたものだった。薄汚れた戸の中には生活用品しかなかった。保存のきく缶詰、単三電池。災害に備えてのペットボトル飲料。僅かなものばかりだ。ぎゅうぎゅう詰めでもなければ、からっぽというわけでもない、埃っぽい普通の戸の中。私を見つめ返す木目。
 拍子抜けしてつい缶詰のラベルなどを見始めてしまった私は背後の気配に気付かず、いつの間にか洗い物を終えて立ち尽くす母を振り仰いでしまい缶詰を盛大に落とす羽目になった。何故か怒られてしまうと感じた私の必死の言い訳などに耳を貸さず、母はただ、焦点の合わない瞳で戸の奥を見ていた。玄関へと転がっていく缶詰にもまるで頓着していなかった。
「おかあさん、」
 戸の取っ手に両手をかけてぼんやりしている母の汚れたエプロンに縋ろうとして、何度も迷って、結局やめたのを覚えている。もう一度呼ぼうとした瞬間、
 ――今日も青く晴れてる、
 と、そう、すっかり色のない唇をした母が呟いたのを、私は確かに聞いてしまったのだ。私に同意を求める言葉ではないことにはすぐに気が付いた。母は誰のことも認識していなかった。母が言い終わると同時にぱたんと戸は閉められ、次いで玄関の扉が勢いよく開く。ぐちゃぐちゃになった兄が遊びから帰ってきたのだと分かるまで十数秒要した。――ただいまあ。あいつらメチャクチャだよ、今日雨なのにサッカーしようとか言うんだもん――おれ雨キライなのに。だってパパが――ねえパパは?
 兄の問いかけに母は無言を返し、玄関にいつも積み上げている清潔なタオルで兄の頭を拭いてやっていた。兄も母から何かが返ることを期待して訊いたわけでもないらしく、されるがままになっていた。私はというと、今しがたなだれこんできた様々を処理するのに精一杯で、兄が訝しげに缶詰を拾い上げたのにも反応できなかった。
 おかあさん、今日は雨だって。おにいちゃんがびしょぬれで帰ってきた。晴れじゃない。青空なんか見えない。
 おとうさんがいなくなった朝と同じ、今日は雨。
 ――ふ、と、私はそこで首を振り現実に戻る。言いたくて言えなかった、幼少期の叫びが重かった。十字路では耳に馴染んだ旋律が無機質に流れていて、つい脳内で口ずさむ。とおりゃんせ、とおりゃんせ、
 あの日の母との一件以来、私は他人がそのひとだけの空に出会ってしまうことに過敏になった。母は空を見ていた。兄や父に雨を降らせた空とは違うものに取り憑かれていた。幼い私は母に何度か戸の件を尋ねようと試みたが、母は勿論、あのときのことどころか戸の奥を見つめる自分自身に気付いておらず、私が訊くたび全く砕けないという顔を返してきたばかりか、私のほうを心配する始末だった。
 そんな母が空に帰ってしまったのは、私たち兄妹が高校に上がろうかという頃のことだ。
 突然だった。母は相も変わらずひっそりと戸の奥を見る日々を送っていたのだが、でもこうして日常というものは続いていくんだろう、と私が油断した矢先のことだった。もう私にとって、戸の奥の空に会いに行く母という存在はすっかり普通のものとして定着してしまっていたのに、あっさりと、空も母も私を裏切った。
 母の私物は何一つ欠けていなかった。意を決して戸を開けた私の視線の先には、変わりなく乾電池なんかが転がっていた。仏壇の父の写真は若々しく笑っているだけで何も教えてくれなかった。
 私たち兄妹は一戸建ての家に住み続けることを望んだ。どう考えても我儘だったのに、何を思ったのか祖父母たち親戚一同は私たちの後押しをしてくれた。そして、決して留年しないことを条件に、兄妹揃って大学にまで入れてもらって今に至る。生活に何の不満もないのだが、母が消えたときに葬式も何もなく、親戚も兄も、元から母など存在しなかったかのようにあまりにも自然に振る舞うのが単純に不思議だった。兄と私を養う保護者が消えたという現実だけがあり、その保護者が何者でどうなったのかなど誰も気にしていなかった。
 そんなことが繰り返される。高校のときの先輩も、アルバイト先の仲間も、皆そうしてある日空へ帰った。
 私は横断歩道の番人たる信号機の青を空目する。あの中に私の空はないかと期待してかかる。鏡を覗くたび、玄関を開けるたび、その先が私の空ではないかと慎重になる。人波に急かされるようにして歩きながら、惣菜でも買って帰ろうか考える脳裏では、まだ鳥の声に変更されていない交差点の曲が流れていた。――行きはよいよい帰りはこわい、こわいながらもとおりゃんせ、とおりゃんせ――

 十日後の朝のことである。私は洗面所で棚を引いて立ち尽くす兄を廊下から見つめていた。
 台風のひとつくらい来てほしいと思う快晴続き、汗ばむほどではないのが不幸中の幸いだ、なんて暢気に考えていた私を打ちのめす、絵画の中の兄。雀の声が響く。
 ぽかんと口を開けたままにして、ぼやけた目でタオルだらけの棚を覗きこんでいる兄を見ながら数分、私はここ十日で起きたことを思い返す。
 友人は二人とも元気だ。彼女のほうは食事でラーメンを頼むたび、今の兄と同じ顔になってはいたが、その一瞬だけでちゃんと平らげる。彼氏も咎めることなく一緒にいる。
 ただ、兄の恋人がいなくなったのは、あまりに急で私も狼狽えた。数日前に兄の帰宅が突然早くなり、それから構内で一切恋人の影を見ることもなくなり、兄にどうしたのか尋ねても逆に不審がられてしまった。話題にしたくないほど仲を拗らせたのかと考えるのが理に適っているとは思うのだが、兄どころか大学で兄の恋人とつるんでいた筈の誰もがあっけらかんとした顔で日々を過ごしているのを知り、ああ、と腑に落ちてしまった。どうやら私は友人よりも先に、未来の義姉候補をうしなってしまったらしい。
 そして今、残された最後の家族までもなくそうとしている。
 ――どうしたの。あ、いつもの野菜ジュースなら昨日買っといたよ。
 私が声をかけるより早く我に返った兄は、微苦笑しながら棚から目を離した。お兄ちゃんどうしたの、タオルになんかあったの、と形だけでも訊いてみる。
 ――タオル? いや、顔ならもう洗ったけど。
 ご丁寧に棚を引いてそこから一枚私に放ってくれるが生憎私はそれどころではない。ではないが、笑う。なんでもないよ。なんとかタオルを受け取って、また笑顔を向ける。
「ありがとう」
 ありがとう。

 自分だけの空に出会ってしまった気分というのは、一体どんなものだろう。
 誰からも聞けなかった。ひとりぼっちで居間のテーブルにグラスを置き、緑黄色野菜のジュースを注いでいく。もうすぐ後期の授業が始まるというのに大学に行く気もおきない。今日も快晴だった。レースカーテン越しに陽光と青空が降り、グラスに見事な模様を作っている。
 兄が空に会ってから更に数日経っていた。兄はもう、空へ帰ってしまった。
 自分だけの空というものは一体どんなものなのだろうか。見上げる空と同じように天気は変わるのか、鳥は横切るのか、電線やビルは見えるのか。恐らく自分の空には帰れなかった私の父を覆った日のようにひどい嵐のときもあるのか、こんな思いに苛まれているのは私だけなのか、――私は知らない。知る由もない。
 矢庭に立ち上がる。居間を出て、手つかずだったトイレットペーパーの山を崩し、真ん中の芯を覗く。廊下しか見えない。コップの中はオレンジ色。自室に入って机の引き出しを開ければ書類や鉛筆が音を立てる。メイクポーチを逆さにぶちまける。本棚には好きな漫画、箪笥にはノーブランドの服、それだけ。
 たったそれだけだった。
 化粧道具が散らばる部屋の中心で、私は、もうやめよう、と、それだけ、ぽつんと思った。
 やめよう。私に私だけの空などないのだ、誰も迎えに来ないしどこにも帰れない。私は私の空に会えないまま、これからもずっと他人の場面ばかり見て年老いていくのだろう。もう諦めよう。棚を開けるたび、戸を引くたび、穴を覗くたび、今まで淡く抱いてきたものを捨ててしまおう。
 住人が私一人になって耳の痛いほど静まり返っている家の中、優しかったジュースを飲み干しすべて断ち切った気になって口元を拭う。必修科目を落としてしまうのは避けたい、と考えて靴を履き、爪先をとんとん打って整えながら玄関の扉をがちゃりと押して開けて、
 ――手が躊躇った。
 一度閉まりかけて、しかしそれは一瞬のことで、重苦しい鳴き声を上げながら、それでも扉はしっかりと開かれていく。
 ゆっくりと、断頭台の刃が引きあがるように。

 とうとう誰もいなくなった一軒家に、ばたん、と、木の扉の閉まる、音だけが残される。





「或いはひとつの門出」終

2017.11.23.アンソロジー空冊子参加