弔いについて





 通販で取り寄せたチョコレートが、個包装の中で溶けていた。
 食品として扱ってもらえたのならこんな無残な姿にはならなかっただろうに、可哀想なことに伝票には無機質な黒インクで玩具と記されている。光を反射している派手なシールと、一緒に入っているチョコレート。おまけなのは果たしてどちらなのだろうかと、すっかりやわらかくなった袋を揉んで考える。
 冷やしてまた固めて食べようか、丸一時間かけて考え、やっとのことで多分もう傷んでいると判断して捨てた。ごみ箱は何も言わずに形のないチョコレートを袋ごと吸い込んだ。シールと一緒にそれを見守る。
 まだ、手立ては見つかっていない。



 我が家の平成の様子がおかしいことに気がついたのは、盆休み初日のことだった。
 とにかく元気がない。しおれている、と言えばいいのだろうか。こんなことは今まで一度もなかったため、その日は大層慌てた。山ごと蝉が鳴動しているのを他人事として聞きながら、表の店から戻ってきた父のもとへ連れていった。父は一瞥をくれてきたがそれだけで、何も言わなかった。諦めて台所の母のもとへも行ったが、母はというと手元の茄子を切っている最中で、顔をあげもしないのだった。真っ暗な中、窓からさす夕日だけを頼りに、揚げるぶんと、ひたすぶんと、せっせと分けている母へ、声をかけることもできず、すごすご部屋に戻ることにする。
 磨りガラスの向こうから太陽が恨めしげにこちらを覗いていた。影をつれて廊下をゆく途中、小さな庭から、我こそはと言わんばかりに季節の植物が手を振っている気配を肌に強く感じる。彼ら彼女らの図々しさに顔から火が出そうだった。
 それにしても、平成のことはどうしてやったらよいだろう。世話などろくにしなくても今までは勝手に元気でいたので、してやれることが何も思い浮かばない。
 友人に連絡をとってみる。事情を説明するもはかばかしい答えは得られなかった。友人宅の平成は変わらず元気なのだそうだ。一縷の望みをかけ、大学の頃の後輩や、職場の同僚にも連絡をとってみたが、皆似たような返事だった。
 どうやら具合を悪くしたのは、身近では我が家の平成だけのようである、という事実にうっすら気づき始めたのは、もうすっかり日が落ちてからだった。熱をもった携帯電話を充電コードに繋ぎ、冷房の設定温度を少しだけ上げる。カーテンを閉めながら更に思ったことは、どうやら己は平成の不調を厄介なものだと捉えているらしい、ということだった。確かに身近な存在の不調は面倒だ。対象とどんな関係でも心身共に磨り減ることに変わりはない。面倒だと思うことを申し訳なく思い、恥じ入り、だからこそ、不調は一時的なものでありますように、と祈っている自分自身を見つける。結局のところ、純粋に心配しているわけではないのだ。わざと遠ざけているものは大体醜いと相場が決まっている。
 しかしどうしたものだろう。心配するどころか、平成のことをいったいどう思ってよいのか、そこからして生まれてこの方一度として分かったことなどないというのに。



 とにもかくにも専門家に見せてみないことには何も始まらないので、翌朝になるのを待ち、救急へと平成を連れていった。こうして一緒に外に出るのも初めてのことだった。薄暗くがらんとしているのは病院だけで、町は盆の小さな祭りに向けて少しだけ騒がしかった。そのくせ、浮かれていることを隠しているような、つんと澄ましたような空気も感じる。咎めるものなど何もいないはずなのに、数日後の夜のために飾り付けられた町は何事もない顔を人々に向けるのだった。
 陽光のせいで時間がのんきだ。窓の向こうには希釈されていない青空が見え、ここだけ涼しいのが夢のようだった。
 混んでもいないのに散々待たされた挙げ句、これは寿命だ、と医者から告げられた。
 次の夏を迎えることなく、すべての平成が死んでいくだろう。医者はそう言うのだ。病でもなんでもないので、治療方法などはない。延命させることはできない。ただ、命が古くなっていくだけ。実際、我が家の平成以外にも、終わりかけている平成というのはもう発見されているらしい。
 何か手立てはないのか、としつこく食い下がったこちらに対し、医者の返答は実に静かなものだった。
 ――ありません。なんにだって寿命はありますから、あとはもう、覚悟して看取ってあげることです。
 帰路、すべてのものに全身くまなく見張られているような日光の中、入道雲を道の果てに見る。三十年分生きた平成は重かった。この時間帯はアブラゼミだろうか、嘆く声で世界を洗っていて、それに合わせてアスファルトの道路が波打っている。車もなく徒歩で平成を運ぶのには骨が折れる。朝は何も考えずに同じ道を歩いてきたが、病院から帰る今、やたらと重さが増した錯覚に陥る。
 それでも平成は、もうすぐ、死ぬ。
 途中、寂れた商店街の一角で休憩する。帽子を直してお茶を飲んでいると、自動販売機の隅に籠が取り付けられているのに気がついた。ご自由にお取りください、と書いてある、祭りに向けての広告を兼ねた小さなうちわをそこから引き抜き、ありがたく使わせてもらうことにする。ペットボトルのお茶も自分も汗だくだった。
 医者から別れ際に言われた言葉がずっと反響している。暴力的な耳鳴りのような朝の蝉よりは、昼間や夕方の蝉のほうが好ましいのだが、それよりも老いた医者の声がまだ耳について離れない。
 ――なにかの存在を実感できるのは、大体がその対象がいなくなってしまったあとです。今はもういないということを思い知って初めて、ああ、いたんだ、と強く感じるんですよ。そんなものです。せいぜい悔いなくやりなさい。



 母の実家に戻るあいだ、店番のこともあり父が残って面倒を見てくれるというので、一切を任せて家を出た。
 新幹線を乗り継いで着いた田舎は、一年前に訪れたときよりも開発が進んでいたが、母の実家は手つかずで傾いている。冷房もない古い家屋の中、障子やらをすべて開け放した居間で、とどまっている伯父は日がな一日テレビに向かっていた。ちらり、と伯父の疲れた視線が、縁側で眠りこけるこの家の平成を捉えたが、特に言葉はなかった。
 伯父にひとりじめされていた扇風機の首振り機能をオンにして、伯母が茹でてきてくれたとうもろこしを食べる。闇は闇、光は光とくっきり境界線が浮かび上がるこの季節、暑さよりも、薄ら寒さのほうを強く感じることがある。
 塩を振った枝豆を、太い親指で丁寧に押し出しながら、伯父は彼と共に生きた昭和の話をしてくれた。
「いい時代だったよ。みんな夢を追っていて、忙しくて、落ち着かなくて、東京に出たがった。そこに何でもあるって信じてたんだ。実際、あるかないか本当のところはどうでもよくて、要はそこまで浮かれたようになれるかどうかが問題だった。その空気をくれた昭和ってのは、自由で未来があってよかったわけだよ。何もなかった。でも、だからこそ何でもあった。あんたもね、平成がもうすぐ死ぬからって落ち込むんじゃない。すぐに新しいのがくるんだし」
 歯に挟まったとうもろこしのつぶをこっそり取りながら、なんて軽やかな現在の否定なのだろう、と思う。平成の立つ瀬がない。しかしやむをえない部分もある。伯父にとって昭和は、彼が勝手に完結させた彼の青春すべてであり、もう戻らないうつくしいものの象徴なのだ。
 すぐ隣の仏間で日を避けて座っている祖母が、種を器用に吐きながらすいかを食べている。やがて日焼けしていない青い畳の上、伯父から塩の小瓶とともに会話も引き継ぐようにして、彼女は口を開いた。
「寝言はよしな。あたしが幼い頃にはもう猫も杓子も戦争、戦争でね、そこの電柱の高さぐらいまで戦闘機が見えたもんだ。金もない、食いもんもない、服だって我慢しなきゃならなかったし、働くことも難しかった。あたしは親が苦労してるのを見てきたんだ。兄貴も弟もみんな戦争にとられて死んじまった。でも誰も文句ひとつこぼさなかった。だってあんた、文句言ったら殺されちまうんだ。あんな時代がいいわけあるかい。もう二度と来なくていいよ。今は何でも手に入って狐にでも化かされてるみたいだけどね、まあ、ずいぶん平和になったもんだね」
 実に忌々しいという口ぶりだった。それもそうだろう。祖母は戦争という、歴史上絶対に抜かしてはならない未曾有の惨事を経験しているのだし、戦後の苦しみだって生々しく知っている。その生い立ち上、昭和をよかったものとして一言で片付ける伯父とは、いくら親子の関係とはいえ相容れないのだ。
 二人が甲子園中継に紛れて低く言い争いを始める中で、昭和といってもそこそこ長くあったのだし、戦前、戦中、戦後のうち感受性の高い少年期をどこで過ごしたのかで見える景色ががらりと変わることにようやく気づく。祖母は若い頃の多くを、戦争の苦しみに奪われた。伯父は戦後に生まれて、多少の苦労こそあれど、それでも周囲が活気づいていく中で少年時代を過ごしたのだ。同時に話を聞くと混沌としてくるが、こうして見ているものをはっきりさせるとその混乱も納得できる。
 言い争う二人を残し、たわんだ古い床板が足の裏を温めるのを感じながら、いとこの部屋へいく。平成も半ばに生まれたいとこは自分で氷を削って食べていた。店で頼むとふわふわしたものばかりで飽きが来るのだそうだ。
「発展と衰退じゃないの、平成に限らず」
 時代というものは何なのだろう、というこちらの問いに、青に染まった舌をこちらに見せながら、相手はそう切り捨てた。
 確かに一理ある。いとこが生まれたとき、日本では携帯電話が一気に普及していた。電話やインターネット環境は一家に一台から一人にひとつになり、ゲームに触れるのは若き特殊な人間だけという固定観念は崩された。今では通勤や通学のあいまにほとんどの人が機械をいじっている。気晴らしにゲームをする、といっても、カードを配ったりゴルフに行ったりするのではなく、手元にある平面を叩く。もうわざわざテレビをつけてケーブルを繋ぐこともあまりない。調べ物があっても図書館に行って辞書を紐解いたりは中々しない。便利な板を持っているからだ。そしてそれが当たり前の世の中だからだ。冬場に水着を探そうとしてもどこにも売っていないように、もう市場には、未来のための今のものしか売っていない。
 狐に化かされたようだという祖母の言葉が脳裏で明滅している。本当に、祖母の世代から見ればそうなのだろう。改めて考えるとおかしなものだ。しかし、それも緩やかに変わろうとしている。今まで便利だとして重宝されてきたものが、明日には不便で古いものとして捨てられる。祖母だけではなく、皆何かに化かされているのかも知れなかった。誰ひとり、そうだと気づかないまま。
「ばあちゃんたちの気持ちも分からないでもないけどさ、時代ごとに悲惨さ具合を比べてどうこうなんてきりがないよ。平成には核戦争はなかったかもしれないけれど、いやな事件や災害はあったわけだし、貧富の差はまだまだあるし。もちろんいいところもあるよ、でも問題はもぐらたたきみたいに消えない、きっとずっと。だから一言で、いいか悪いかなんて決めらんないよ」
 高校生になっていよいよ饒舌さを増したいとこは、わざわざ先を切ってあるストローで皿の奥をつついていた。暑さでほとんど水になった氷がその攻撃を避けて皿の中で踊っている。
「絶滅するものに疎いよね、人間は。一旦消えたら蘇らせることはできないのに、終わりの予感を抱えてぼんやりするだけ。どうせ平成が死んでもすぐ次が来るんでしょう。みんなきっと、自分やみんながどう生きてたかなんて忘れちゃうよ。今、昭和が好き勝手言われてるみたいに、平成もすぐに同じようになるんだ」
 いとこはそう結んで宿題と思しきプリントの束を鞄から引っ張り出していた。
 鳴り損ねた風鈴が、ち、と舌打ちのような音を出すのを聞いている。



 母の実家から帰宅しても、我が家の平成は相変わらずだった。特にトラブルがなかっただけましだろうか。父に礼を言い、その日からまた平成の面倒を引き受けることにする。
 鬱蒼とした、という表現がこれほどまでに似合う季節もなかろう。ちょうど今日が盆祭りのようで、チョコレートについていたシールを貼った窓から行き帰りの人々が垣間見えた。つん、と、焼きそばのソースの焦げる匂いがして、それに混じって若い笑い声が届いてくる。それを認めた瞬間、急かされたように慌てて玄関に転がり出た。
 しおれた朝顔のそばで、息絶えた蝉を蟻が運んでいる。サンダルをつっかけた足はそれ以上動かなかった。
 気分を切り替えて、ひまわりやタチアオイの咲いている小さな庭に、幼少期に使っていた小さな小さなビニールプールを引っ張り出してくる。水を張っているあいだ、家の中にとって返して冷蔵庫の飲み物を掻き集めた。父が買いためている缶コーヒー、母が実家からもらってきた瓶ラムネ、ビール、そしていくつかの氷。腕の中を冷たくしていたそれら全部、ビニールプールに浮かべる。季節なんて簡単に作れる、とそれを見て安心すると同時に、いやこれを雪の中でやってもしかたないだろう、と否定する。
 平成を庭まで連れ出して、そこであやしてやることにする。
 向かいの家のこどもが庭にアイスの棒をさして何やら騒いでいた。多分、飼っていた虫か何かが死んだのだろう。家から大人の腕がぬっと出てきて緑の虫かごを揺らし、それを見てこどもは怒ったようにもっと叫び、挙げ句の果てには泣き始めた。それに対抗するように、電信柱のツクツクホウシの声が一層強まる。そして、そんな一幕など知らないとばかりに、商店街のほうからは乾杯の音頭とカラオケを披露する誰かの歌が聞こえてくる。
 ラムネを引き上げて飲む途中、冗談のようににわか雨が降った。焼きそばの匂いよりも、むっと季節の匂いが濃くなる。他人の内臓を直接嗅がされているような、生々しい感覚と共に、ほんの少しだけ涼しい風が肌を渡っていった。



 暗さの足りない午後六時の中、花火をひとりで消化することにする。去年友人たちと買ったものだが、使い切れなかったものが靴箱の奥にしまってあったのを見つけて持ってきた。本当は、花火くらい、春でも冬でも好きなときにすればいいのだろうが、この季節にはこれをしなくては、というのが染みついている。旬の行動とでもいうのだろうか。春以外の花見なんかもあっていいのにおかしなものだ。
 昼間に飲んだラムネの泡のような音を出す、派手な花火を使い切り、最後に線香花火を楽しむ。その間も、平成は黙ったままだった。よほど体力がなくなってきたらしく、今日一日なんの反応もなかった。盆休みが始まったあの日から、調子はずっと悪化の一途をたどっているような気がする。
 ぽつ、と赤いものがちぎれて落ちて、もう闇に一面、鈴虫の声がすることに気づく。
 取り残されるのはいやだった。せっつかれるようにして急いで後片付けをし、平成を抱きかかえて家に戻る。そういえば、数日前まであんなに窓に蛾がぶつかってきたのに、それもなくなった。少しずつ、少しずつ、時間が動いていく。腕の中にいるものが消えていく。
 夕飯を食べる気にどうしてもなれなかったので、母親に一言断っておく。今日は素麺を茹でてくれているらしかったが、それを見てもあまり食欲は湧かなかった。自分の食べる分はまた明日、自分で作ればいい、そう決めて、一段一段、階段をのぼる。
 締め切ってあった自室には光ひとつないのだった。祭りの様子は見えるだろうか、と窓をからから開けてゆくと、そこから地球の秘蔵の砂糖水がどっと流れ込んでくる。その甘さに目眩を覚えながら、なんとか窓を全開にする。
 蚊取り線香に火をつけて風上に置き、明かりをつけずにベッドに倒れ込んだ。月光と町明かりだけでも部屋は十分に仄明るく、一筋の光が鼻から喉をくすぐる糸になるのを感じながらしばらくぼうっとしている。
 平成は、ぎりぎり手の届く部屋の隅で、黙って転がっていた。
 医者の言っていた言葉がまた蘇る。
 ――なにかの存在を実感できるのは、大体がその対象がいなくなってしまったあとです。
 やはり、平成は忘れられてしまうのか。医者もいとこもそういう姿勢だった。いつまでもいつまでも何食わぬ顔でそこにあるものだと思い込んでいた人間たちをあざ笑うように、さっくりといなくなってしまうのだろうか。生まれてから一度も、平成をどう思えばいいのか分からないままだというのに、結局分からずじまいなのか。
 視線の先で蚊取り線香の灰が皿に落ちる。少しの間隔をおいて、また落ちる。何度でも落ちる。それでも終わりは来る。

 掴む間もなく失われる。

 手を伸ばして平成に触れる。むりやりちぎって、ゆっくりと手の中身を口に入れた。平成はうんともすんとも言わなかった。弱った平成は味がしなかった。声ではなく音がするのでなんだろうと思うと、それは己の顎から伝って落ちた涙なのだった。わざと、あまり噛まずに呑み込んでいく。確かめるように、蚊取り線香の灰が落ちる速度より遅く、重い腕を動かして、喉奥に詰め込む。
 口を押さえて仰のく。青い自然の照明が差し込む中、もう一度と伸ばした手には、何も触れなかった。







 うっすら、世界のキャンバスがまた切り替わる頃に、窓辺に立って町を見渡す。
 これまでは朝四時前にヒグラシが鳴くのを聴いて目を覚ましたものだった。もう今は、静かな夜明けがくるだけだ。ヒグラシさえ鳴かなくなっても、我が家から平成が消えても、夜明けは変わらずくるのだった。特別なことなど何もなく、町も太陽もつまらない顔をしているだけだった。
 それでも本当に、きっと、来年になってしまえば、どこからも平成は立ち消えてしまうのだろう。そして誰も平成を悼んでやることなく、失ったことさえ気づかず、忘れていくのだろう。
 胃の中でなれのはてがうごめいているのを感じながら階下に耳を澄ました。両親はまだ眠っているようだ。腰を曲げて蚊取り線香の灰を捨ててまた窓を向くと、ちょうど、朝の光が部屋の中を照らしてくるころだった。



 染み渡る。夏が終わる。










「弔いについて」 終

2018.08.#Web夏企画