どうして僕が歌うのか、そんなに気になるんですか。



 あなたも物好きですね。いえ失礼、いいですよ、大丈夫。構いやしません。どうせあなたはここから去るとき、記憶処理をされるでしょう。それでなくとも僕の発言はただの妄言としてしか見做されないことが多い。気にすることはなにもありません。

 まずは彼との出会いの話でもしましょうか。
 その昔、大戦の影響もあまり受けないほどの小さな農村が山奥にありまして、その村はずれの草原にひとつだけぽつんと、ぼろの小屋がありました。そこに僕は一人で住んでいたんです。それは、村人と別段折り合いが悪いだとかそういう理由ではなく、単に小さな小麦畑の管理を僕たちの一族が任されていたから、それだけです。用事があれば村へ行って買い物もしましたし、一緒に酒を飲むような知人も少しはおりました。
 それでも僕はどうしようもなくひとりだった。何故って、僕の肉親は僕を残して皆先に亡くなっていたからです。ある者は不慮の事故で、またある者は病気で、という具合に、櫛の歯がかけるように。そうして何故か一族で歳若い僕だけが生き残ってしまった。
 僕は文句も言わずにそこで毎日を過ごしていました。それが仕事だったからです。両親が残したすべてだった。僕にとってのすべてであったからです。何の疑問も持たず、それはまあ寂しさをどう誤魔化そうか悩んだ時期もありましたけれど、何とかうまくやってきました。
 そう、大事なのは、彼のことですね。

 彼は僕が知る限り初めて見る、翼を持った人間でした。
 こう表現すると皆さんどうしても天使というものを思い浮かべてしまうようですけれど、違いますよ。偉い画家が残したような、神話や聖書に出てくるような天使の姿ではありません。後々彼が教えてくれた話によると、彼の体の細胞は、人間のそれとは大きく異なっているものだそうで、ともかく彼は、人間に近い姿をしていながら、限りなく不老であり、翼を持った存在でした。
 天使と言うよりは、鳥に近いんです。彼は高度も気温も恐れなかった。どんなに高い場所を飛んでも、上手に気流にのってみせるんです。暑いとか寒いとか、飛んでいるときはそんなことは感じないのだと、そう言っていました。
 彼と出会った頃、僕は生きていくために必要なことは何でもやっていました。畑だけでは間に合わず、村で食料を買うために、糸紡ぎだろうと荷物運びだろうと何でもしていました。僕はその日、村人から依頼に出されていた木の実を集めようと、森に分け入っていました。
 そこで怪我をしている彼に会ったのです。

 驚きました。真っ白くけぶるように輝いた人間が、翼にうずもれて木に寄りかかっていたんですから。しかも左肩のあたりに大きな傷がある。そこからとめどなく赤い血が噴出し、しとどに翼を塗らしているのを見て、我に返った僕は、家にとって返して綺麗な水と布と薬草とをたくさん持ってきました。そう、これも後から聞いたんですけど、このとき彼は僕が恐怖のあまり誰かを呼びに言ったか逃げ出したかしたと思っていたそうです。だから大荷物を持ってとって返してきた僕が息を切らしているのを見て、大層驚いたと言っていました。
 そんな彼の意に反し、僕は恐怖だとか嫌悪だとかそういった類の感情を一切抱いていませんでした。勿論、先ほど申し上げたとおり、驚きはしましたが、それも一瞬でした。尊い一瞬でした。僕は声をかけてから彼の傷口を水でよく洗い、薬草と水を練り合わせて簡易的な血止め薬を作り、それを塗り、布で縛り、覆いました。額に汗をかいていたようだったのでそれも拭きました。そして最後に気がついて、水を手で掬って彼に飲むように告げました。彼には人間のような手がないのです。翼は何も、背中から生えているわけではない。だからといって彼に嘴があるわけでもない。彼は一瞬僕の顔を見た後、すぐに礼を言って水を飲んでくれました。ひどく掠れた声だった。
 それが、僕と彼との出会いでした。

 それからというもの、僕は孤独ではなくなりました。井戸に水を汲みに行って、小さな畑の様子を見て、家の修理をして、彼の分まで食事を作る。そうやってちょこまか働く僕を彼は上空から見守ってくれていました。僕は彼のための寝床をこしらえ、彼のための新しい衣服を縫い上げました。彼はすべて喜んでくれた。嫌な顔ひとつせずに、僕が準備したものを珍しそうに観察していました。
 仕事が一段落つくと、僕は外にある小さな椅子をひっぱってきて、自由に空を飛びまわる彼を見ていました。
 嵐が来て外に一歩も出られないような日は、有り合わせの食材を詰め込んだあったかいスープを作って二人で飲みました。両親のことを思い出して眠れないときは、彼の翼の中で眠りました。彼が悪夢を見てうなされているときは、その額に手をあてて何時間でもじっとしていました。そういえばどんな夢だったのか一度も訊いたことがなかった。訊いておけばよかったな。
 そして、どうしてあの日、あんな大怪我をして、あんな森の奥で倒れていたのか。彼の怪我が治ってきたある昼下がり、僕は包帯代わりにしていた布を取り替えながらそっと尋ねました。その問いに対して彼は、自分を大型の鳥だと勘違いした猟師たちが撃ってきたのだ、と答えました。彼らに捕まって見世物にされるのがいやで、大怪我をしたのに無茶をして森の奥まで逃げたのだと。血の跡で見つかるかもしれないとも思ったそうですが、結局猟師は来なかったそうです。そこで彼は力を使い果たして、もはやこれまでと木に体を預けて眠りにつこうとしていた。
 いくら不老に近い存在でも、決して不死ではない彼は、あの怪我で死んでしまうかもしれなかったのです。だから助けてくれてありがとう、君は命の恩人だ、と彼は言ってくれました。
 不老に近いということは、もしかしたら数十年、いや百年以上かもしれない、彼はあのままの姿でいたのでしょうか。ひとりで。何度訊いてもそれについては教えてくれませんでしたけれど、そうだったのかもしれません。



 僕は彼に言われた感謝の言葉について考えていました。

 僕が彼の命の恩人。
 それはとても甘美な言葉でした。彼は僕を信頼しきっている。もし突然、僕が彼の体に刃をつきたてたら、彼はどんな顔をするでしょうか。もし発砲したら。もし村から帰ってこなかったら。もし。
 実現させたいわけがない想像を、何度かしました。
 あなたにはまだ分からないかもしれない。それだけの威力があったんです、彼からのあの言葉には、それだけの毒が含まれていたのです。あの言葉は僕の空っぽになっていた体を駆け巡り、僕が本来どんな人間だったのかを教えてくれました。

 この歌は、彼が空を飛んでいる姿を見て、僕が作ったものです。
 僕の故郷の、古い言葉を使って、僕は拙い詩を書き上げました。僕は字の読み書きさえ覚束ないし、音楽だって村の酒場で時々聞くくらいで、楽器の演奏なんてもってのほかです。それでも彼が自由に青空を飛びまわる姿を見ていると、届かないと分かっていても自然と詩が浮かびました。簡素な旋律に、その詩をのせて、楽器もなしに口ずさみました。
 遥か高くを悠然と飛ぶ彼には、絶対に聞こえないように。



 別れは突然でした。
 僕が何かを言ったわけでもないのに、僕の行動を怪しんだ誰かが国のお偉方に連絡したのか、それとも彼がいつも僕の家上空を飛び回るのを見られてしまったのか、とにかく何にもしていないのに、ただ二人で慎ましやかに暮らしていただけなのに、ある日唐突に警官服の人々やらが押し寄せてきたのです。警官服というには少し違うかもしれません、今まで見たこともないような黒尽くめの男たちが、のんびり食事の支度をしていた僕たちを取り押さえました。土足で家に入ってこられて、準備していた食器は割れました。彼は驚きに顔を染めていましたが、やがてとても悲しそうな顔で僕を見て、自分から彼らのほうへ行こうとしました。僕は叫んで止めました。
 貴方の居場所はここじゃないのか。貴方の命は僕のものだ。
 取り押さえられて暴れまわる僕を、彼の静かな双眸がとらえました。その蒼い瞳の奥で、木漏れ日が揺らいでいるように僕には見えました。彼は拘束されている間も、僕をじっと見ていた。焼き付けるように。僕なんか見ていないで、僕みたいに少しは暴れまわればよかったのに。僕なんて気にしないで、すべてを振り払ってその翼で逃げてしまえばよかったのに。もうすっかり傷は治ったのに、彼の肩には僕の布が巻かれたままでした。
 それからすぐに彼と僕はまんまと捕まって引き離されました。彼はどこかの研究所へ、そして僕はこの病院へ。



 おかしいですよね。

 おかしいです。酷い話です。ここの研究者やお医者たちは皆、僕が夢を見ていたってそう言うんです。ひとり暮らしが寂しかったから、そんな夢を見てしまったのだと。気がふれてしまったんだと。彼は妄想の産物だったのだと。
 でもそんな筈はないんです。ここにあるこの古いお皿、これは無理を言ってあの家からとってきてもらったふたつ揃いのお皿なんです。彼が来てから僕が手作りしたから忘れる筈がない。毎日のように二人で使っていました。彼は人間と同じ手がないから、食べ方が汚くなってしまう、と言っては恥ずかしそうにしていましたっけ。これだけは、最後のあの日そのまま棚に入っていたから割れないでいるんです。
 そう、それとこれも。この服も僕が、捕まったあとに無理を言って持ってきてもらったものです。僕が彼の背に合うように、彼の翼の邪魔にならないように採寸して縫い上げた、彼の替えの服。余った布を継いだものだけど、僕たちにはこういうものしか着る物がなかった。これだけで充分だった。お互いさえいればこれでもう何も要らなかった。

 満足していただけたでしょうか。

 僕はこうして毎日、病院の小さな庭に出て、切り株に座って歌っているのです。彼に絶対に聞こえないままだった、そしてこれからも聞こえないであろう、彼のための僕の歌を。どんなに頭をいじくられても、いくら心臓に機械を繋がれても、僕は彼を忘れない。彼は確かに存在していた。
 あなたはどうお思いですか。いえ、やっぱりいいです。どうせあなた、ここから出るときに、僕と話をしたことに気づかれますよ。そしてあなたも記憶処理を受けるんです。催眠術だとかそういったものを。まあ、僕の発言なんてすべて大嘘だということになっているので、誰も真に受けたりしないんですけれど。



 お願いがあるんです。
 どうかあなたがどこかで、真っ白な翼をもつひとが空を飛んでいるのを見ても、銃口を向けたりしないでください。そのひとのために寝床と食事を作ってあげて。きっと孤独だろうから、もっと孤独になるようなことはしないであげて。
 そして僕が毎日ここで空を見上げて口ずさむ、この歌の意味を、決して教えないでくださいね。









twbngkで投稿したもの 2014-12-15