幸せという名の島を探している。幸せという名の島は、なにも未発見の地というわけではなく、シーズンになると観光雑誌にも載る。ただ、雑誌の情報も毎回変わるし、紹介の通りに行ってもなかなかたどりつけない。いつだったかは小笠原群島のどこかに紛れこんでいた。あるときはフランスだったり、またあるときはインド洋だったりした。島にあるものも毎回変わる。とても楽しかったと、行って帰ってきた者たちは口々に言う。彼らの見た景色はひとつとして同じものがないのだった。私は幸せという名の島を探している。私は、私の行ける、幸せという名の島を探している。島はまだ見つからない。
0901, 2019






街にBGMを流す仕事をしている。
ずっと晴天のこの街では、曲は複数点在するスピーカーから流す決まりだ。明るい曲の日も悲しい曲の日もある。住民の希望した曲の中から、審査の上で私が選択し流している。 その日の街がどんな様子か、よく知っていなければこの仕事は務まらない。街を見渡せる局で私は一日のほとんどを過ごしていた。学校のこどもたち、大人が集まる商店街、車通り、広場。必要とされる曲が何か、彼らのふるまいや心に似合うものが何か、ここから見極めねばならない。
この街で生きるということは、自分の人生に相応しい曲がつくということだ。それは住民である私たちの誇りだった。欠かすことなど想像ができなかった。
ある曇りの日、街に合う曲がどうしても見つからない。住民たちは誰も彼も訝しげにスピーカーを見上げている。街は、悲しいのでもない、嬉しいのでも陽気なのでもない、もっと雑然としていて落ち着きがなく、浮き足立っているくせに陰鬱だった。こんな街はこれまで経験がない。知っている曲は全滅だ。
もういっそ広場に楽器を持ち寄って住民たちで演奏してしまうしかないのか、と思った瞬間、住民の頬に滴が落ちてきた。曇り空は見る間に黒くなり、人々は慌てて屋内に駆け込む。私はというと――窓を開けながら、沈黙を吐いていたスピーカーの電源をそっとオフにした。 オフィスのソファにゆっくり腰掛け、瞼をおろし、耳を澄ませて、天からのBGMを聞く。
雨が降り続いている。
0128, 2019





夕陽の色を決める担当に決まったのだと恋人から打ち明けられた。彼女は生真面目なもので、夕暮れをきちんとそれらしく染め上げられるか不安でならないという。まさか、小説で見るような職に、自分が就く羽目になるとは思ってもいなかったのだろう。私は彼女に付き添ってとことん話を聞いた。
彼女が無事に就任した半年後のその日、夕暮れどきを私は道で迎えた。昨日と夕陽の担当者が変わったことに一瞬気づかないほどに、それはふつうの夕暮れだった。その頃とっくに私たちは別れており、連絡しあうすべはひとつも残されていなかったが、ありふれた夕陽を作った彼女を私は褒めてやりたかった。
今でも夕陽は彼女の担当だという。夕暮れを迎えるたびに、私はアパートで悩んでいたあの頃の彼女を思い出す。
1108, 2018





いつも薔薇は被害者だと思ふ

僕はさして薔薇の味方でもないのだが
そんなにしては かはいさうぢやあないかと思つたのだ
父の手が薔薇の棘をはずし 薔薇は抗はずぽつりと棘を手離した
棘などはじめからなかつたかのやうに
どこか清々してゐる茎を眺め
嗚呼かはいさうだとそれだけ思つた
御覧、つのだよ、 父が笑つて棘を鼻に載せてゐた
僕らかうして恐竜に戻るのだ、
おまへもやつて御覧なさい、
棘をなくした薔薇と 加害者たる父

僕は想像する
今でもあの薔薇園には あの時の父と僕とが横たはつてゐて
それが何かの拍子にむくりとよみがへること

いくつか昔の皐月の光を
7月 14, 2016





近頃同じ夢ばかり見るんだ、そう言う彼の目に懐かしい砂漠がある。
真昼の無人の電車はあまりに長閑で、行先に何があるのか知らない顔で、眩しい。
夢の内容を訊くのは野暮だろう。切符を買ったときの、沈黙がすべて。
#男女心中道行電車100字書き出し
2月 4, 2016





メーデーメーデー、聞こえますか。
他のひとに届いたって意味がない。きみだけに呟いています。誰もいないと知っていてもです。
どうか忘れて。ぜんぶ忘れて。僕以外のひととしんでしまうくらいなら、何もかも。
メーデーメーデー、でも僕のことは、助けなくていい。
#satellitepoem 企画参加
11月 23, 2015






その場所は、書けない者は真っ先に処分される世界でした。ひどく狭く、いえ実際閉塞的で、出入り口のないようなそれでいて床も壁も罅割れだらけの灰色の、同じ年ごろの者が集められる場所でありました。風も入り込まず、硝子は曇り空を見ることもできません。
そんな中、仲間たちに囲まれ瀟洒に敬虔に書き続けている者があったのです。この場所では共に書く仲間がいなければ作品は認められづらく、常にひとりのぼくは大層疲弊しておりました。そしてぼくは彼か彼女かもわからぬそのひとが今日もまた書いてよこした猫の子育て物語を黙って読んだ挙句、

そのひとの喉元と鳩尾に指を添えました。相手は微塵も動じることなくいつものように微笑んでいるだけでした。

そんなある日、そのひとは突然筆を執ることをやめたのです。前触れなく、そのひとと組んでいた筈の人々が談笑しているのが耳に飛び込んできたものですから、ぼくは驚愕してかれらを問い詰めました。本人の姿が見えません。
あのひとは何故あなたがたのもとから去ったのか、今何処にいるのか、
かれらは事も無げに答えてくれました。
何故、ということは分からない、けれど今、おもしをつけた縄を右腕に巻いて廊下で寝ているよ、そう、時計がある時刻を示すとおもしが真上に落ちるように、あのひとは自分からそうしむけたよ、
最後まで聞けずぼくは廊下へと走ります。求める姿は、

そのひとはまるで気が違った青い花でした。

灰と茶の混ざる罅だらけの埃っぽい廊下に髪と服が散っています。ああ時間がない、ぼくは真上を確認し、間違いなくこのままではおもしがあと数十秒ほどで落ちることを知りました。
不思議なことにそのひとは一切口を開かずにただ微笑んでいるのです。
何故筆を置いたのか、何故こんな真似をしたのか、責めるのは後回しです。どんな事情があっても受け入れましょう、それほどの何かが起きたのでしょう、ここは強制的に群れて書かせられる世界です、嫌気もさすでしょう、こんなものは表現ではないと復讐のひとつも言いたいでしょう、でも、
せめて目の前で散ることだけは許せなかった、そんなぼくを幼稚だとお思いになられるでしょうか。ええ何とでも仰ればいい、とにかくその時ぼくはもう、解けない縄を切る刃もなく、焦り、全身脱力して秒針の音を聴いているそのひとを少しでも生かそうとおもしから遮るように馬乗りになりました。
万が一落ちてもこれならぼくだけに当たります。一度だけなら耐えるつもりで、ぼくは無心でそのひとに繋がる縄を噛みちぎりました。刃物も時間もないその場ではそれだけが唯一の武器でした。そのひとはのんびりと、春の陽気にあふれた空でも見るように、縄を噛み潰すぼくへ微笑むばかりでした。
歯が縄を切ったのと、時計の針がその時刻をさした瞬間は、全く同じだったでしょう。
果たしておもしは落ちて来ませんでした。縄は切れているのに、時間はそしてまた動いていくのに、ひたすらに静かな廊下でぼくとそのひとがふたり、廊下へとピン留になった蝶のように静止しているのみでした。
恐々とぼくは、おもしから庇っていた筈の相手を再び見つめます。時間がくる前と同じように微笑んでいるそのひとの肩へ腕を回し、何か言わなければと思い、ああ声が出ない、と思った途端、
一切力の入っていない相手の体が緩く曲がり、やさしい瞳が半開きのまま斜めに回る瞬間を見たのです。
相手の右腕を見ます。縄は間違いなく噛みちぎられていました。時刻はすぎましたがおもしは未だぼくらの上で揺れています。一体何が、どうして、間に合った筈が何故、嘘だ、と、感情などは疑問に押し流されぼくは静かに、静かに、心だけを騒がしくしてそのひとの肩を片手に支えておりました。


気づくとぼくは灰色の教室の中心にひとり立っておりました。手に握りしめている小さな小さな箱にあのひとが入ってしまったのだと急速に理解してしまったぼくの絶叫が廃墟へ響きます。
あのひとは自分で選んだのです。ぼくの何もかもがあのひとの何にもなれなかったのです。
仲間と共に書かなければ処分される、そこはそういう場所でした。ぼくはもう何日書かずにいたのか、存在を許されずその場を追われます。素通りしていく教室でひとり、錆びついた車椅子へ拘束された誰かが、動きたい動きたい、と呻いているのを聞きながら、ぼくは小箱を手に隠し顔を覆いました。
かなしいのでもさびしいのでもない。真実がどうあれあのひとが選んだのだから小箱を守るだけです。脱力しきり世を捨てたあのひとがえもいわれぬひかりを持っていたことももうどうでもよい。
ぼくを苛むものは肩を起こした感触でした。ぽっかりと空白の中、微笑みを見つめた数秒の記憶でした。

このうではなんのためにあるのでしょうか。 書けなければ折るべきでしょうか。書くためだけにあるのでしょうか。

せめてこの小箱だけはひそやかにあれますように。ぼくはおわりのあしおとを背景にひとり、廊下の隅で車椅子のきいきい泣く音におのれが溶けていくのを感じていたのでした。




そうした事件のあった以来、ぼくはどうにも自分の生がわからなくなり、そしてこちらでまたあのひとのかけらに出会っても、それがほんものなのかどうか判別することも難しく、
夢はまぼろしでも現でもなく単に事実であるということを胸に、ぼんやりぼんやり、今日もたゆたうことしかできずにいます。







終幕


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(本当はこの手で散ってほしかった、あなたがしんでもいえないひみつ)

(振り返らないでと祈り追うぼくをあなたはいつも置き去りにする)

11月 20, 2015





 なにかひとつ、今宵も銀の毬栗が喉を通ってゆくようです。
 カーテンにとまった紺碧の蝶は、身丈が肘から指先ほどありまして、しかしどうしてもそれを取り除かねばならなかったのでした。
 ためらいながらちり紙を手繰り振り返れば、カーテンの蝶は増えておりました。翅が透き通ったものと、目玉の模様のある、蛾のようなものと。
 さて、身投げする学生のリボンのようにおとなしい紺碧の蝶を、暴れぬよう息を殺して腕にとめるようにちり紙で覆い、最後にビニル袋へしまいこみ、そのくちを縛ったときでした。机の上にあった、いい加減がたのきたパソコンがひとりでに起動し、ラジオ番組の始まりを告げてきたのです。
 焦りました、弱りました。己にはそれを欠かさず聴かねばならないわけが、聴きたいわけがあったのです。その声を逃してはいけない、遅れてはならない、その一心で部屋を出て、現場へと己は向かいました。
 現場では、己の知っているはずの人間が三人、己の知らない顔と名と体で、卓を囲んでおりました。
 卓の上では銀に鈍く光るメスが四本、無造作にならんでおりました。己が卓につけば、ちょうど四人でありました。
 メスは持ち手の両端から刃先が伸びており、揺さぶることで刃先の向きが変わり、それにより賭事をするのだと、隣の者が言い添えてくれました。なんとも変わった賭博があるものです。
 第一こういった賭博は好かない。賭けるものが何であろうといけない。
 しかし目の前に、先にお話ししましたラジオの声の主が、やわらかに腰かけているのに己は気が付いたのです。知っている人間であるはずなのにやはり、相手は、知らない顔と名と体で、こちらへ微笑んでおりました。
 いえそれはおかしい。己は相手の声しか知らぬはずなのです。本当の名も顔も姿も、今初めて見合ったはずなのに、己は随分と懐かしいような、それなのにあやかしでも見つめているような、妙な気分に陥りました。それでも声だけは、声だけは知っていると、ラジオの常連であるからこそ確信していたのです。
 果たして相手は、こちらの知らない笑みで、とどめにまったく知らない声で、最後のひとりを指しこう言い放ちました。
 こちらのかたのような、かしこいかたがよろしい、と。
 首を振り、自分でも分かるほどに己は肩を落として卓を離れました。
 あんな笑顔と言葉で存在を否定されたのです。あの場に在ることは恥でした。メスを使った賭博にも自信がなかった。カーテンにはまだ二匹、蛾だか蝶だか分からないものがとまっていて、処分されるのを待っているのです。
 マットレスが跳ね上がり、虫が羽ばたきながら虹を作り、そこで己の足がとまります。
 いや、ここで帰るほうが恥ではないか。己の運ひとつ試さずに背中を見せてこれではなんにも変わらない。あんな言葉がなんだろう、確かに深く傷ついたが、今から相手の指先の向きを変えることもできるのだ。
 己は踵を返し卓へと戻りました。そんなこちらの態度に驚くでもなく他の三人は銘々にメスを持ち上げます。
 己も小さな椅子へ腰かけ、最後の一本を握ります。両端が心許なく揺れている、銀のメスを、目の前で微笑む相手へと掲げ、ぼやける顔の前で、そうっと振りました。
 さてメスの刃先がどのように向いたのか、己の意識はそこで途切れております。
 生き死にの狭間で綱渡りをしていると、どうにもまた、わからないラジオのチャンネルを回したくなる日があります。しかし次にラジオを聴いたなら、喜びと怒りで今度こそどうにかなるだろうと、己はそんな気がしています。
2015/06/21





あなたは自由がすぎるのだ
言葉を紡ぐその体
伸びゆく両手も両足も
吾と添えぬなら切ってやろう
そうとも知らずにまた笑うなど
かなしい、かなしい、いとしい、かなしい、
真実可哀想なのは、
8月 15, 2015





皐月はきみのめぶいたきせつ
「首を吊るなら櫻が好かろ
 櫻は枝が細いと云うが
 柳ほどではなかろと返し
 今宵も花で 綱を編む」
皐月はきみが沈んだきせつ
今から己も散るきせつ
5月 4, 2015