ロストテロメア





 ロストテロメアとはハネムーンのための場所で、私たちの誰でも結婚すればいつか必ず行かなくてはならない。ロストテロメアにはロストテロメアの樹があり、ロストテロメアの花が咲き乱れ、ロストテロメアの民が花を餌にして生きている、とそう伝えられている。私たちはいつかそこを訪れ、樹の下で花を摘み、民に餌をやらなくてはならない。
 ハネムーンの一週間前、配偶者にロストテロメアのことを訊いてみる。しかし配偶者は詳しいことを知らないようだった。私もよく知らない。樹があって花があって民がいて、彼らに餌をやるということしか知らない。ロストテロメアに行った者たちは「誰でも結婚すれば行くから」と語らないから、両親や友人から聞いたこともなかった。なかにはよく思い出せないという者もいる。私たちの幼なじみがそうだった。幼なじみは結婚してロストテロメアに行くことをずっと楽しみにしていた。しかし帰ってきた幼なじみを私たちが取り囲み、本当に樹があったのかどんな生きものがいたのか雛のコールのように質問責めにしたとき、幼なじみはどれにも返事をすることなく、やがて困惑したように呟いたのだった。おぼえていない。
 私たちも忘れるのかもしれないねと私は配偶者に言ってみる。忘れてもいいよと配偶者は答えた。もともと詳しいことなど何も知らないのだから忘れても支障はない、それより、何か土産を買えたらいいねと配偶者は笑う。自分たちのための土産がほしいらしい。配偶者は祝福されることにすっかり慣れきってしまったようで、最近とてもわがままだった。わがままな配偶者は見ていて愛らしかったので、私は指摘もせずに相槌を打った。そして、忘れてもいい、という言葉の意味を考える。せっかくロストテロメアへ行けるのに。その謎が解けるかもしれないのに? 忘れてもいい。いいのかもしれない。土産は置物がいいか食べ物がいいか、それとも服にしようか食器にしようか、私たちはああでもないこうでもないと言い合いながら手を繋いでロストテロメアへ旅立った。
 ロストテロメアには白くて古い建物がたくさんあった。朝の太陽と昼間の太陽の色がよく似ていて、夕方になると空が急に青紫になるのがものめずらしかった。建物には勝手に泊まれるようになっていて、そのあたりに木の実もなっていたし、干し肉も山のようにあったし、そこかしこに道案内の看板が設置されていたので、困ることはなかった。前に来た者たちが置いていったものらしい。建物の窓からは海が見えて、そしてその向こうに壁のような肌の巨木が生えている。色とりどりの花が手を振るように揺れている。そして、樹の周りで花を食べたり、寝転んだりしているものがある。ロストテロメア、と頭のなかで言葉が光った。
 私たちは五日間ロストテロメアに滞在した。花を摘んで乾燥させて民に配り、民がそれを食べているところを観察した。ロストテロメアの民たちは例外なくよく食べた。私たちの呼びかけには反応しないし向こうから何かを言ってくることもない。ただ食欲だけは旺盛なので、花を持ったままぼんやりするとすぐ囲まれてしまう。ロストテロメアの民たちの唇がうごめいてそのなかにするすると花が吸い込まれていくのを私は見つめている。さざなみが海から草原へ移る。やがて私は自分の口に花を持っていって、むしゃむしゃと食べた。あたりに極彩色の花びらが散らばった。
 大昔、生まれる前よりもっとずっと昔、私はここにいたような気がする。
 そう呟くと、隣にいた配偶者がうなずいた。やはりきっとそうだったのだろう、と視線を通わせて私は思った。ロストテロメアの樹の下でロストテロメアの花を摘み、それを餌にして食べる、ロストテロメアの私たち。それは突拍子もない空想に思えてしかし、妙にしっくり実感をともなう不可思議な確信なのだった。
 土産にはロストテロメアの民の餌である色とりどりの花を選んだ。半年はもつように両手で抱えきれないほど持ってきたが、一ヶ月も経たないうちになくなった。なくなった頃、私たちはロストテロメアのことをよく思い出せなくなっていることに気づく。ロストテロメアへと旅立つ二人組は今日も絶えない。






20/11/21~ #ペーパーウェル05
お題「旅」
不可村 天晴 @nowhere_7