しあわせになれない Ver. Blue私には姉がいる。姉は五つ年上で、ものを見分けることが大の苦手である。筋金入りだった。具体的に言えば、ペガサスとユニコーンをいつも取り違える程度だ。それは馬のいる家の娘としてはとても致命的なことだった。馬のいる家に私たち姉妹が住んでいたのはもう十年以上前のことになるが、その頃のこの国は高度経済成長のまっただなかで、家の増築が大流行し、いかに広い新居を持つかが大人たちの意地の張り合いになり、子どもたちはそこに自分の部屋を持つかどうかで友人を品定めしたものだった。私たち姉妹は遊びに貪欲で、いつだって広い家がほしかったが、友人を選ぶなんてことは面倒でとてもできなかった。私たち姉妹はいつも二人きりだった。第一自分の部屋など家にはなくて、遊び場も砂利をしきつめた馬小屋だったし、両親は節約がだいすきで、家を広くすることになど頓着していなかったのだ。両親の趣味は、家の前から馬小屋に続く道の砂利を洗うことだった。私たちはその手伝いにしばしば駆り出され、そのたびに小遣いをねだったものだった。私は年の割に賢かった。学校ではいつだって首席だったし、ものを見分けることは得意だった。磨いた石の特徴はどれもちゃんと覚えていられた。広い家がなくても、私はしあわせなふりができていた。しあわせになるための条件に、しあわせであることは含まれない。だから、私は結果的にしあわせな子どもだったのだと思う。 とげのある砂利を磨くあいだ、馬小屋からペガサスたちのいななきが聞こえた。私を呼んでいる声だった。隣にいた幼い姉は立ち上がり、ユニコーンが鳴いているね、と言った。姉は見分けることだけでなく聞き分けることも苦手なのだ。ペガサスの鳴き声とユニコーンの鳴き声は違う。つめたいかどうかでわかる。よりつめたいほうがペガサスだ。姉のことは放っておいてもよかったのだが、私は姉のためを思って、つまりは自分の安心のためだけに、姉に彼らの違いを教えた。このまま姉が馬小屋の外で暮らすようになったら、ものを見分けることが苦手な姉はあっさりと死んでしまうだろうと思ったのだ。姉のことを好きかどうかという問題とは別に、姉に死んでほしくなかった。とりかえしのつかないことが起こる前になんとかしなくては、と、そう思ったのだった。幼い私は姉の腕をとり、馬小屋まで連れていき、ペガサスの鼻をさすってみせた。ペガサスはこっちだよ。角がないでしょう。翼が広くて、そして体の水色が私たちの垢で濁っているでしょう。声を聞いて。ほら、彼らはペガサス。私がそう教えると姉は元気よく頷いた。わかった、もうまちがえない。それでも姉は次の日にはけろりとしながらユニコーンのもとへ走っていく。そうじゃないと何度言ってもユニコーンのもとへ走っていく。かといってユニコーンなら覚えているというわけではないらしく、ユニコーンに乗ろうとしてペガサスに乗ってしまうことなどが何度もあった。来る日も来る日も姉は間違え続けた。 姉は明日、結婚する。交際も、結婚も、姉から声をかけて決まったという。最後に会ったとき姉とその伴侶となるひとはウェルカムボードに絵など描いて笑っていた。隣の国から取り寄せたという立派な木製のボードには、翼と角のある馬が描かれていた。それがペガサスなのかユニコーンなのか、私は尋ねてみたが、二人は首を傾げてきただけで、だからそれ以上は何も言えなかった。二人の家から我が家まで続く長い砂利道を走って帰る。もう、家にあの馬たちはいない。馬小屋は母が調味料の保存庫にしてしまった。あのときあの小屋で私たちと遊んでくれた彼らは今、遠い戦地にいる。幼い子どもに育てられたペガサスとユニコーンは物怖じしなくなるので、戦争では重宝されるのだ。私は姉の家を振り返らなかった。私の足の裏にはいくつも砂利が入り込み、砂利たちは私を早く早くと急かしたのだった。見分けることが苦手な姉は、明日、結婚する。 19/11/30~12/01 #ペーパーウェル03 「翼・羽のある生き物」 不可村 天晴 @nowhere_7 Tweet #ぺーパーウェル03 |