❤の話





 喜劇か悲劇か知らないが、非常に厄介なことだった。
 あるところにひとりの男がいた。男はものごころがついた幼い頃、とある衝動に襲われた。たまらなく言いたいことがあったのだ。心臓から手足が生えてくるような感情に男はみもだえし、火の点いたように泣き出した。おもちゃはそこら中に放り出され、彼のために準備されていた食事は床にちらばった。
 男は幼すぎて、自分が何を言いたいのかわからなかった。あるのはただの衝動と、強い感情だけだった。それから男はしばしばその衝動と感情に襲われるようになり、そのたびにひきつけを起こしたように泣きわめくようになった。
 男の両親は根気強く彼を育てた。そのうち、男は両親から言葉を教わった。両親はくりかえし、さまざまな言葉で男に愛を伝えるのだった。その夜、男も両親にはっきりと返した。「愛している」。生まれて初めて聞いた息子の明瞭な発言に、両親は小躍りした。男の家は幸福に包まれた。しかし、男は満たされなかった。

 男は無事に就学し、めきめきと成長していった。
 自宅以外でもなんの問題も起こさなかった。どんな科目でも授業をよく聞き宿題も怠らなかったためか、テストの点がよかった。教師たちは男をほめたたえた。男は勉強以外にも打ち込んだ。よくスポーツに励み、音楽や絵画に興味を持ち、それから料理や掃除も自分でやった。学校や地域のイベントにはかかさず行った。
 男のくちぐせはこうだった。「愛している」。

 男の同級生たちは彼をいい男だと言った。じっさい男は気のいい人間で、強きにおもねることはなく、困っている者がいればすぐにかけよった。それはわざとらしい思いやりではなかった。親切だが、けっして軽薄ではない。何があってもいやな顔ひとつしない。勉強ができても鼻にかけることがない。謙遜しすぎることもない。正直者で腰が低く、努力家でまじめで、親切である。男は人気者だった。
 ある朝、男は恋人に起こされた。寝言が大きすぎたためだった。それにしては喜んだ様子の恋人に、自分の寝言の内容を男が問うと、相手はこう言った。「愛している」。寝ていた男ははっきりとそう呟いたらしいのだ。
 男は驚いて、悲しげに否定した。恋人よ、あなたを愛しているのはもちろんだ。しかし、さきほどのそれは、あなたに向けた「愛している」ではない。
 恋人は不思議そうにしただけだった。
 男の寝言は治らなかった。学校で昼寝をしているときでもお構いなしに出るようになった。男はそのうち、泣きながらさまようようになった。「愛している」としゃくりあげて町中を徘徊するその様子に、友人たちも恋人も家族もずいぶんと心配した。周囲の善良な人々は男に声をかける。「愛している」と答えてやる。応じることで男が落ち着くと信じていたのだ。
 しかし、男の様子は一向によくならなかった。男はもう職に就き、自立するまでになっていたが、徘徊は治まらない。男は今夜もあえぐように叫ぶ。ノックの音と、男のかすれた涙声が町に響き渡る。「愛している」。

 中年期が過ぎ、壮年期にさしかかっても、まだ男はひどく混乱しているようだった。男を案じて、友人たちは彼を病院にまで連れていった。そこで男はこう説明した。
 「愛している」と言いたい。ものごころついたときからずっとこうだ。しかし、どうして言いたいのか、誰に伝えたいのかどうしてもわからない。言葉は他人に届けるものだ。伝えるためのものだ。それなのに届けたい相手がまるでわからない。愛の感情と衝動だけが私をつきうごかしているのだ。「愛している」と言いたい。この気持ちはどこからきたのだろう。どこへいくのだろう。どうしたらいいのかわからない。
 とうとう医者も匙を投げた。男は病院でもずっと、同じ言葉を繰り返していた。「愛している」。

 男は死んだ。老衰だった。男に子孫や伴侶はいなかったが、その死の際には年下の友人や親戚のこどもたち、医師や看護師たちが集まり、なんともにぎやかなものだった。男は男を診ていた医師たちにも好かれていた。すばらしい大往生のわりに男の顔はこころぼそげで、悲しみに満ちていた。男の死後、数日して、元気だった頃に彼の残した最後の日記が見つかった。そこにはこう書かれていた。「愛している」。






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