確かに花が散るのを見た。青い花だった。151日目。思いを小さく畳み舌にのせる。一度も出さずに呑んでしまう、喉の奥でさよならも言わずに息絶える、感覚だけがやわらかに残る。確かに青い花が散るのを見たのだ。ひとひらずつ花弁の舞うのを見たはずだった。匙の形に落ちる青は目に重く、忘れがたい。



昼と夜で顔が違うのは人も街も同じだ。152日目。あいしているということばの響きを確かめたくなったので、何回か声に出して言う。みぞれが恥ずかしがっている。昨日、白い塔で買ってきた枝はまだ新鮮で、暖炉に行きたくないと駄々を捏ねている。あいしているともう一度言う。使わないことばはぎこちない。油差しを準備する。



目の前を自分が歩いていくのを見守る。髪の長さも違えば手足の動かし方も笑い方も別人だがなぜか自分だとわかる。やたらとめかしこんでいるのがいじらしく、せっかくだからと写真におさめてやる。153日目。ベーコンとバターとチーズを買って帰宅。冷蔵庫に入らない。現像するのを忘れないように、カメラは靴棚の上に置く。



154日目。足の裏で展覧会があるらしい。行き方がわからず右往左往。宙返りと逆立ちを組み合わせることでなんとか入口を見つける。木の板でできたエレベーターの箱の中に入って、地階へ行く。長く移動する間に一年経った。十年経った。小窓からの景色は土色だった。一億年ほど経過したところで目が醒める。箱の中は飲み干されたジュース缶で埋め尽くされていた。泳ぐように起きる。帰る。



「あなたのために空を買おうと決めたとき、はてしのない恥ずかしさが東からやってきて、この目をついばんだ。ふしぎと痛みを感じなかった。目はふたつのうろとなり、空を吸い込んで閉じてしまった、あなたを肥やしにしたいわけでなく、ただ恵みの雨として何度でも氾濫にいざないたかっただけだ。目覚めてから155日が経過してもまだあなたに会えない。」



サテトンブーラとタビビトノキはそれはそれはもう愛し合っていたので、双方納得の上でいよいよ子をなすと決めたのだが、喜びも束の間にサテトンブーラは死んでしまい、タビビトノキも死んでしまい、サテトンブーラのむくろからはタビビトノキによく似た子どもが、タビビトノキのむくろからはサテトンブーラによく似た子どもが生じ、今でも二人はそれを繰り返しながらどちらがどちらだったのか忘れ、ずっと一緒にいるのだという。156日目。



157日目。花屋。異常なほど清涼のかおりが漂うのに、食べるものも飲むものもない。ガラス冷機の奥から色とりどりの死体がこちらを見張っていた。無言の視線を返しても、それに反応はない。遠くからよおいどん、と声が聞こえて、愛しているという響きによく似ているから逃げ出したくなる。喉が渇いている。



行くべき場所は暗く湿っていた。汽笛の音をかきけすさざなみの呟き。窓はない。箱を開けると覚えのあるナイフが入っていて、うれしい。158日目。忘れてしまうのは困難なことだ。忘れようと努めている。ここで朽ちても誰も気づかないと思う。帰り道を探そうとしてこうべをめぐらせ、開け放していた入口の扉がゆらゆらとつまらなそうにしているのを見る。希望が光ならばここにはない。



微笑む人々の掲げる善や幸福がどれも似通っている気がして、それならつまらないと思って、そしてすぐに恥ずかしくなる。159日目。職場におむすびを持って行って食べた。子どもの頃からためてきた靴の表面は、だんだんとひび割れて、大陸みたいに分かれてしまった。廊下で拾った百円玉に埃。その金で明日のためのおむすびを買う。中身はおみくじだから何が当たるのかわからない。今日はトマトと小粋なゴリラだった。就寝する。



写真屋で飴をもらいながら現像を待った。カメラフィルムのなかに撮った覚えのない人物が紛れ込んでいる。店で一番小さな紙に現像してもらい、自室の壁に小指の爪ほどのそれを貼って眺める。思い出せないが既知の気になってくる。160日目。



161日目。仕事終わりにたまたま入った、昔むかし使っていた通学路にてフラミンゴの群れに遭遇。首が真っ赤なゴムホース。よくみるとみんな人間の顔をしていた。フラミンゴに会ったせいで時間が巻き戻り、さっきまで夜だったのに夕暮れに。ざらめ砂糖みたいなアスファルトのせいで靴底が削れる。帰らなくてはならないが、方角がわからない。



理由は誰も知らないけど、動く点Pになるためには無味無臭でいなくてはならないのだって。どうしようもないと思っている。一階の自動販売機に水。「いつかは詩は終わると思ってた。終わるのが詩だから。でも間違ってた、詩は終わらない」カレンダーに162日目の文字。水も動く点Pだった、基本的には無味無臭だから。人間は何をしても人間である、舞台袖から見えている。