Blue Eden 果てなき道を







 一緒に旅をしていてわかったことなんだけど、ララはかなりへんなひとだ。
 ララはときどき、拾ったがらくたで簡単なおもちゃを作ってくれる。「俺はあくまで直すことが仕事だから」と言ってふだんは一から作りたがらないから、わたしはたまにそうやってものを作り出すララの姿をとても貴重に思っている。ララを驚かせないように邪魔しないように、そういうときはそっと黙って話を聞いているんだけど、残念なことにララはすぐわたしの視線に気がついて、無心で作ったりしゃべったりしていた自分を恥じるようにちょっとすねたみたいな怖い顔をして、黙り込んでそれをやめてしまう。わたしはべつにかまわないのに。やっぱりララはへんなひとだ。
 ララはなんでも教えてくれた。がらくたで作るおもちゃの仕組みだけじゃない。火の熾し方、小さな獣の捌き方、なるべく足を痛めない歩き方、食べられる草とそうでないものの見分け方、天候の読み方、気をつけるべき虫たち、もしも怪我をした場合に備えての応急処置、人の手が入っていないような場所を通るための重要なこと。サバイバルや機械に関することだったら驚くほどララには知識と経験があった。旅に関しては初心者だって言ってたけど、でも生まれた場所が場所だったからサバイバル術に強いのかもしれない、とララはいつものぶっきらぼうな口調で説明してくれた。
 美しい川を見つけても喜んで走って行ってはいけない。わたしたちにとって水場が命綱であるように、他の動物たちにとっても水場は大切な場所で、だからこそ水場にはいろんないきものが集まって、時に危険なこともある。水場を見つけたら駆け寄らず、まず近くの茂みにじっと隠れてそこから様子を窺って、安全だとわかったときにタイミングを見計らって行く。絶対に長居をしないこと。そして、雨が降りそうなときは無茶をしてはいけない、雨は体力を奪うものだから。そういうときはさっさと寝床になりそうなところを探して屋根を作っておく。しっかり眠ってしっかり食べる。わたしの場合はあまり心配がないことだけど、もしも、もしも怪我をしたり、どこか痛むときはむやみに動かないこと。自分の体を観察してよく知っておくこと。それから、いくら冒険がしたいからといっても、道なき道をむやみに進むのはよくない。獣も通らないようなところにはそれなりの理由がある。食糧や飲み水、寝床の確保のために、川に沿って進み、人の作った道を探すのが肝要だということ。そうすれば人里にたどりつくこともあるし同じような旅人との遭遇率も上がる。食べ物はなんでもよく洗ってよく火を通すこと、珍しいものに飛びつかないこと。聞き慣れない音、におい、色、光、何でも警戒すること。慎重すぎるくらい慎重でいいこと。植物たちや虫、石、キノコなんかがその土地のことをよく教えてくれるから、いつでも彼らをよく見ておくこと。火や刃物は危険だけど、でもちゃんと上手に扱えばこれ以上ない味方になってくれるから、扱い方をよく知っておくこと。どんな生き物に対しても友好的に接したほうがいいけど、でも警戒はとかないほうがいいこと。相手が優しそうな人間であったとしてもだ。



 どこまでも広がる星空の下、くらくらするような焚き火の上に、ララが部品の余りで作った小さな熱気球を浮かべる。わたしは気球が浮かぶ原理をララに説明されなくても知っていた。熱い空気は冷たい空気よりもとっても軽いから、こうやって温められると浮かんでしまうのだ。たしか空気は熱で膨張するんだ。ここに働いているのは浮力っていうものだった気がする。でもわたしはそれを資料で見たことがあるだけで、実際にこうして確かめたことなんてなかった。ほんとに空気って熱されると上にいくんだな、とちょっとびっくりして、魔法でも見るようにふわふわ浮かぶ布を見ていた。ララの顎が焚き火に照らされている。わたしたちの頭上にはまたたく星たちを抱いた夜空がある。
 ちょっとへんなところもあるし、人付き合いが上手なようにはとても見えないけど、ララはサバイバルや機械のことだったらほんとに詳しいんだ。それになんていうか、生きていく気がララには強くあるかんじがする。単純に知識だけだったらたぶんわたしのほうがあるのかもしれない、でも、わたしのそれは所詮頭の中だけの知識だ。わたしには経験が足りない……年齢が低いからというのもあるけど、やっぱり、ずっとあの施設の中に閉じ込められていたからだと思う。だって学んだことを活かして何かをするチャンスは全然なかった。だからわたしは何も知らないのとおんなじだ。わたしは何も持っていなかった。わたしの持っていたものは、経験の伴わない知識と、ちっぽけな思い出と、わたしの想像だけ。



 ララとふたりで黙々と道を歩いていると、勝手に思い出が頭の中で再生されることがある。昔と今でわたしをとりまく環境はぜんぜん違うのに、どうして昔のことが思い出されるのかはよくわからない。違いすぎるからかな。
 生まれてからついこのあいだまで、わたしはコロニー内部の医療区にある、とある大きな施設のどこかの、小さな部屋にずっといた。施設の先生たちはみんな優しかった。わたしと先生たちはけっこう仲がよかったのだと思う。先生たちはみんな医療区のスタッフだった。医者だったり、看護師だったり、研究者だったり、データ化に関わることをする技師だったり、肩書きはさまざまだ。でも思い返せば不思議なことに教育区の教師は見かけたことさえない。たぶん、わたしの存在をその人たちに知らせるのが先生たちは面倒だったのだと思う。厳密にいうと、わたしの存在を知った人間の記憶の処理が面倒だったのだろう。
 育児や教育のプロではなかったみたいだけど、でも先生たちはほんとにみんな親切だった。絵に描いたような悪人なんていなかった。少なくともわたしからはそう見えた。――わたしは閉じ込められているかわいそうな女の子で、そして周りにいるのは意地悪な大人たち、秘密にされたひどい実験、確かに言ってしまえばそうかもしれないけど、そんなに単純なものじゃなかった、と思う――あの人たちはわたしに対してとても適切なことをしてくれていた。それはもしかしたら、教育のためのプログラムが先生たちの体や頭にインストールされていたからなのかもしれないけど、そうであったとしても、それをしてもらえるくらいにはわたしは大切にされていた。
 施設にいたとき、朝はだいたい決まった時間に起きて、顔を洗ってうがいをして、ごはんをもらう。部屋はいつも清潔で壁紙も床も天井も真っ白だ。鳥の声はもちろん聞こえない。目覚ましは先生たちの声であることも多いけど、部屋に勝手に流れてくるヘヴンちゃんの声だったりもする。ヘヴンちゃんはすごく人気のある電脳アイドルだ。食べ物はすぐ隣にある環境保護区から運ばれてくる。食べなくてもわたしは死なないけど、わたしはデータの体じゃなく一応これでも生身の肉体だから、ちゃんと動くにはごはんが要る。食べたら歯磨き。少し休んで、いろんな姿のヘヴンちゃんの出てくる映像を見ながらストレッチ、読書。お昼になったらまたごはん。歯磨きして、足りなくなってる歯磨き粉の補充を先生たちに申請したりなんかして、ちょっとお勉強。部屋にあるいろいろな機械がなんでも教えてくれる。読み書き、計算、他人との話し方とか。終わったら休憩。お昼寝。音楽を聴いたり、本棚にある昔の本を読んだり、絵を描いたり。先生たちと一緒に部屋の掃除をすることもある。暇なときはヘヴンちゃんを呼び出してゲームか何かすればいいんだけど、わたしはあんまりヘヴンちゃんが好きじゃないから、暇つぶしの相手はだいたい先生たちに頼んだ。夜ごはんを食べて、また歯を磨いて、シャワールームで体を洗って、よく拭いたら髪の毛をとかして、着替えて眠る。その繰り返しだった。
 部屋に窓は一応あったし、許可がおりたら施設の中を歩くこともできた。中庭におりて、環境保護区から送られた花たちに触れることもできた。広い部屋でボール遊びもできたし、そこでだったら大声で歌ってもよかった。生まれ育ちについても一応教えてもらえた。
 でも施設の外に出ることだけは許されなかった。それで誰かを恨んだことはない。そんなことをしてもむなしいだけだと思ってたから、しなかった。ただ、わたしは世界の人たちのことを知らないし、世界の人たちはわたしのことなんてまったく知らない、それを思うといつもへんな気持ちになったものだった。みんなはどんな情報にでもアクセスできて、でも、わたしの存在は秘密で、みんなはわたしみたいな子どもがいることなんて想像もしないんだ。それってすごくふしぎなことだ。まるでわたしが世界に存在していないみたい。知られていないって、きっとそういうこと。なかったことにされちゃうんだ。
 先生たちは世の中の大人はみんなデータ化手術を受けてるって言っていたけど、それが真実なのか、当時のわたしにはよくわからなかった。でも先生たちはみんなデータ化手術を受けていたみたいだし、便利そうだというのはわかった。知っていることをすぐ共有したりできるのはほんとに便利だろうな。ああいうことをみんながやっていたら、仲間はずれがいやでわたしだってデータ化したくなるだろう、とも思った。だって実際に施設の中ではわたしひとりだけややこしい存在で、あとはみんなデータ化した大人たちだったんだもの。
 データ化の順番を待つ子どもたちはどんな気持ちで生きているんだろう。データ化なんてして、人類は一体何のために生きているんだろう? 答えがどこにもない。データ化が悪いものだとは思えない。いろんな事情の人がいるんだろうし、わたしにはそんな判断はできない。でも、ほんとにデータ化は人類に幸福を運んできたのかな。命いじりのことだって納得はできてない。なんでそこまでして死なない命を求めるんだろう。わたしにはわからなかった。今もわからないままでいる。ただとにかくこういうのはいやだと思ったのだ。どんな資料を読んでも、本来の命は生まれて老いて死んでいくもろいものだって出ている。多くの命がそれを当たり前として生きてきたんだ。そこから外れるのはいやだと思った。このままこの体でいるのはいやで、でもデータ化したいわけでもなくて、命いじりを完成させたかったわけでもなくて、それだったら「ふつうに怪我や病気をして、ふつうに老いて死んでいく、ふつうの命」になりたいとそう思った。いつかそうなりたいってずっとずっと思っていた。でも、データ化をもてはやす先生たちには口が裂けても言えなかった。
 こんな風に、確かにちょっと隔たりはあった。先生たちとどんなに仲良くなってもわたしは自由にならなかったし、わがまま放題というわけでもなかった。でも、みんな冗談なんかもよく言ってくれてたし、施設の外のことも少しは教えてくれたし、レクリエーションや勉強にも付き合ってくれたし、わたしのことをいじめたりなんか一度もしなかった。
 でもあれはもしかしたら、わたしのことを「世話をする対象」だと思っていたからこその親切だったのかもしれない。どんなに仲がいいように見えても、でもやっぱりいびつだったかもしれない。ふつうの家族や友達だったら朝から晩まで行動を見張ったりしないし、何か行動するのにいちいち許可なんかいらないということを、わたしはもう知っている。ララたちに出会ってよく知ってしまった。相手を同じ人間だと認めていたらあんなふうにはならなかった。こんな実験も起きなかった。わたしには実験体、被験者としての番号しかなくて、名前なんか誰もつけてくれなかった。番号じゃなくても、「あの実験の子」「生き残りの子」「失敗だった例の子」、そんなふうにしか呼ばれなかった。でもそれが当たり前だった。
 もしかしたらわたしは施設の人たちがきらいなのかもしれない。ララといてそう思った。もう会いたいとは思っていない。そういえば出てくるときにもふしぎと未練がなかったから、きっとそういうことなんだと思う。
 わたしは施設から逃げ出すつもりなんて最初はなかった。ただ自分の願いを叶えるためにほんの少し外に出てみたかっただけ。医療区で爆発事故が起きたとき、自然と足が外に向かって動いてしまった。誘い出されるみたいだった。こわくはなくて、でも、わくわくもしていなかった。ふしぎなんだけど、ずっとこうしてきたような、こうすることが決まっていたような、そういう気持ちになった。先生たちがせわしなく騒いでいるのを遠くに聞きながら、見つかったら事故がわたしのせいにされるかもしれないと思って、そこで初めて走った。どうせどこか行くのならば、コロニーの内部じゃなくて、外がいい。走って走ってゴミの排出ゲートを抜けて、砂埃の晴れた先にはどこまでも続く重い空と、荒れ果てた大地とよどんだ海が広がっていた。



 ララとは焚き火を囲んで空を見ながらいろいろな話をする。サバイバルのことや機械についてだけじゃなくて、それ以外のこともいろいろだ。それが嬉しくて、わたしは夕飯どきや寝る前が楽しみだ。ララは決してはっきり言わなかったけど、わたしに興味があるみたいだった。ララの澄んだ黒目がわたしを見るとわたしはなんだかくすぐったくなってくる。もちろんわたしもララのことを知りたい。今までどうやって生活してきたのか、家族とはどうなのか。何が好きで、どうして好きになったのか。いろんなこと。
 ララはヘヴンちゃんのことを知らないという。ヘヴンちゃんというのはわたしのいたところで一番人気のアイドルだ。顔も体も声も変幻自在に変えられるし、年齢も性別もない、決まったことがなんにもない人工知能の存在。コロニー内部で生活しているとどこでもヘヴンちゃんに出くわす。データ化の案内のコマーシャルなんかもヘヴンちゃんがやってたりする。ヘヴンちゃんの存在はいろんな人を元気づける(何にでもなれる可能性のかたまりみたいなものだし)。でもさっきも言ったように、わたしはあんまりヘヴンちゃんが好きじゃない。ヘヴンちゃんの動画、マンガ、歌、本、たくさん見てきたし、施設の部屋にある雑貨もたくさんのヘヴンちゃん(みんな見た目が違うけど)の柄だったりして、確かにその存在には何回も助けてもらったと思う。でもヘヴンちゃんを見ていると、なんだかわたし自身を見ているみたいでわたしはちょっと落ち込んだのだ。何がしたいのかこれからどこへいくのかもよくわからない、他人の都合で生み出された、にんげんだけどにんげんじゃない、にんげんじゃないけどにんげんみたいな、おかしな存在。
 親っているの? ララはわたしにこんなことまで訊いてきた。ぜんぜん気まずそうじゃなくていつもどおりのそっけないかんじだったので、わたしは少しだけ笑ってしまった。ララはけっこう遠慮がなくて、ちょっと心配になる。
 わたしにだって親はもちろんいる。育ててくれた先生たちじゃなくて、存在のもとになった親のことだ。希望者の遺伝情報を登録しておく機関が医療区にはあって、命いじり再現の実験のための子どもはみんなそこで生み出されたって聞いている。だからわたしもそこのドナーチャイルドだ。でもわたしの両親であるドナー二人はどちらも身元を開示していなくて、なのでわたしは彼らのことを何も知らない。会ったこともない。向こうもわたしのことなんて知る由もないと思う。先生に一度だけ、どんな人なのかって訊いてみたことがあるけど、「たぶん偉い立場の人だろう」みたいなあやふやなことしか教えてくれなかった。わたしのことを励ましたつもりだったのかもしれない。偉いとかそういうことが聞きたかったんじゃないんだけど。そもそも先生たちも詳しいことは知らないんだと思う、だってわたしは失敗作で、命いじり再現の実験を指示した人にも見向きもされない存在で、先生たちは単にわたしの世話係ってだけだったし。――偉いと言ったらブルー・エデンの社長とか? 社長は知ってる、髪がくるくるしていて静かな目をした軍服のお姉さん。笑顔ではあるんだけど何考えてるのかわからない人。ちょっと前にはあの人がブルー・エデンの広告を出していたから見たことがある。それとも偉い人って、お医者さんたちのなかで偉いって意味かな。そっちは見たことない。まさかね――会いたいっていう気持ちはあんまりない。会ったってこじれるだけの気がする。親のことを訊いたのは、あれは興味というよりは、なんとなくみたいなかんじだ。魔が差したってやつ。何しろ暇だったし。
 わたしがひととおり答えたあと、ララは何か考え込んでいるみたいだった。かわいそうとか言ったら殴ろうと思ってたけど、ララは、結局わたしについては何も感想を言わなかった。
 ララも自分のことを教えてくれた。はっきりと何があったかは誰も知らないけど、ララの遠いご先祖さまはデータ化に反対してコロニーの外に生きることになったということ。そこからずっと命が続いていて、今ララがいること。みんなはそれぞれ小さな集落をつくって細々と生きていること。ララが小さい頃、お父さんが散歩から帰ってこなかったこと。お父さんは夢見がちで、物知りで、そのおかげでララは外の世界に興味が湧いたということ。お母さんは背が高くて、いつでもララが出て行ってもいいように放任していたこと。ふたりとも機械はそんなに得意じゃないということ。名前をくれたのは、お父さんだということ。
 最終的にララは「でも、親ってきっかけみたいなものに過ぎないし」と結んだ。そのとおりだとわたしは頷いた。それはたぶん、そうだといい、という願いがいっぱいつまった頷きだったと思うけど、そしてララももしかしたらわたしと同じような気持ちだったのかもしれないけど、わたしたちはそのことは言わなかった。
 コロニーの外にはヘヴンちゃんののった電波も届かない。もうそんな端末はない。外がどんな環境なのか、勉強したので少しは知ってはいたけど、まさかララみたいに生活している人がいるなんて思ってもみなかった。外に人はいないものだとわたしは説明されてきたからだ。知らなかったらなかったのと同じ、わたしはララと二人で仰向けに寝転んでふと思う。ララの鼻先が暗い空の星を指している。ララにとってわたしはなかった存在だった。わたしにとっても、ララはなかった存在だった。そうだ。わたしたちは死んでいたのと同じだったんだ。



 また別の日のことだ。
 森の中を進んでいたとき、少し離れたところで何かが動いているのが見えた。その日はすごくよく晴れた日で、それはそれはもう空が真っ青で、耳が痛いほど静かで、ララの大きな足が草を踏み潰す音と、ララの押すバイクのタイヤが雑草を巻き込んで粉々にする音しか聞こえなかった。わたしはおなかが空いてきたと思っていたところだった。こんな体だけどおなかは空くんだもの、ちょっと不便だよね。それで、ララにねだってララの押しているバイクに乗せてもらっていた。葉っぱと葉っぱの隙間から見える、雲ひとつ通らない無口な青空から前に目を移して、そこでやっと何かが動いているのに気がついた。その何かは鹿みたいに見えた。勉強したことがあるから、知ってる。きっと鹿だと思った。でも何をしているのかまではすぐにはわからなかった、そのときのわたしには。隣にいたララは機敏にあたりを警戒してすぐに立ち止まり、音をあまり立てないように、でもすばやく、わたしの乗ったバイクを木の影に隠して、ララ自身も木を背にしてじっと息をひそめだした。
 上からこもれびが差し込んでいて、妖精でも出てきたら面白いだろうにな、とか考えた。でも出てこなくて不満だった。そんなことを考える余裕がわたしにはあった。だってほんとに、わたしには、鹿が何をしているのかぜんぜんわからなかったのだ。草や葉が巻き上げられて森はきれいだった。その日はありふれたふつうの一日だった。鹿は苦しがっていて、怪我をしていたんだと気づいたのは、鹿が動かなくなってしばらくしてからだった。鹿が死んだのだということを理解するのにもわたしにはけっこう時間がかかった。いきものが死ぬのを見たのはあれが初めてだった。
 ほんとに死ぬんだ。
 最初にわたしが思ったことはそれだった。だって他になんて思えばいいの? 苦しんでいたのはかわいそうだと思う。苦しいのはつらい。わたしは怪我をしないけど、痛いって苦しいと似ていると思う。苦しいのはわたしだってわかるもの。いやだ。
 でもあの鹿は死んだ。死ねたんでしょ? かわいそうも何もないと思う。苦しくて、死んで、それでおしまいだ。わからないけどそういうもの。初めて見たけどそういうものなんだ。だって相変わらず空はものすごく晴れていたし、ララも周囲に敵がいないか確認したあとは顔色ひとつ変えないでさっさとその場所を離れただけだった。あの日はやっぱりありふれたふつうの日だった。
 わたしはきっと、あれが知らないものだったからとまどってるだけだ。そういうわたしに自分で気づいていて持て余している。こわいって思うことすらできない。強がりではなく、たぶん、わたしはこわがっていない。
 施設にいたときにたくさん勉強していたし、外に出てからいろいろ目にして、ララからはサバイバルのことを教わったりもしたけど、それでもやっぱりわたしは何もわかっていないんだ。死ねる体になりたいと望んでいるはずなのに、わたしは未だに死ぬということがよくわからない。
 だって、ほんとに死ぬんだっていう感想、ララの飛ばす小さな熱気球を見たときとおんなじような感想だ。これでいいのか悪いのかもわからない。わたしはたぶんおかしい、ってことしかわからない。だってわたしにとっては死ぬことは当たり前じゃなくて、みんなにとっては当たり前のことで、ほらもうこんなに違うもの。
 外に出て一番びっくりしたのはそのことだった。みんないつか死ぬのが当たり前。誰でもそういう顔で生きている。いちいち自覚しているわけではないみたいだけど、そうじゃなくて、立ち居振る舞いに滲んでいるというか、とにかく心の奥底では自分が死ぬ命だってわかってて(こういうのはアンモクの了解っていえばいいのかな)、自分自身の小さな命をまるで花束でもかばうみたいに大事にしながら生きているみたいな、そういうかんじに見えたのだ。外に出て以来、わたしには見かける人々の持っているその空気がわからなくてずっとずっと不思議だった。みんななんだか怯えすぎに見えた。何に怯えているのかもよくわからなくて、外の人たちはちょっとおかしいと思った。それから、もしかするとわたしが世間知らずだから、みんなのマナーがわかっていないのかもしれない、とかそういうことを思っていた。そうじゃなかった。
 ときどきララのことも大げさに見えることがある。おかしいのはわたしだってもうわかってるからぜったい口には出さないけど。――なんで武器なんて持たなくちゃいけないの?(おなかは減るけど、食べなくてもわたしは死なない。いきものを殺す理由はない)、どうしてララはそんなに慎重なの?(わたしは怪我も病気もしない)、わたしは知らない人も怖くないのに(だって誰もわたしを殺せない)。――わたしがうっかり危ないことをすると、ララはちょっと怪訝な顔をする。ララはわたしが死なない命だってことを心の奥底ではわかっていないのかもしれない。実感がないのかも。そう、だってララは寝ていただけのわたしを助けたような人だもんね。ララが分からず屋なんじゃない。わたしの当たり前とララの当たり前が違うということ、どんなにそしらぬ顔でいても、ときどきむきだしになってしまう。
 外の命はみんな不便だ。子どもを生むことひとつにも男と女が必要で、原始的なことをしなきゃいけない。何でも調べられる機械だってない。食べなかったら死ぬ。崖から落ちたら死ぬ。雨に打たれたら死ぬ。病気で死ぬ。殺されたら死ぬ。
 死んだら死ぬんだ。
 他人事のように思える。じっさい他人事なのだ。どうやったらわたしはあれをこの身に宿すことができるんだろう。わたしは持っていない。こわがることもできないのが悔しくて、置いて行かれたみたいでさびしい。仲間はずれはいやだ。みんなずるい。



 鹿を見かけた日から幾度目かの朝のこと、わたしは近くの小川で顔を洗ってからララのもとへ戻って、ちょっと離れたところで立ち止まって、寝るときに巻いていた布をたたんでいるララを見守っていた。ララは背が高い。足や背中がすごく細くて、でも力持ちなので筋肉もちょっとはある。その体が動いているのをじっと見ていた。衣擦れと風の音が聞こえる。おもむろにわたしはララに向かって訊ねる。ララは死ぬのってこわい?
 そのときちょうど、ララは布をたたみ終えて、バイクにつけている荷物入れからコッヘルを出して、朝ごはんの準備に取りかかるところだった。ララは作業の手を休めずに「怖いよ」、とすごく低い声で呟いて、そしてそのあと一拍おいて、わたしに訊かれたことをたった今自覚したみたいに、視線をちょっとわたしのほうに動かしてから「怖くねえよ」と訂正した。わたしはララの髪の毛をぐちゃぐちゃにしたくなったけど、ララの髪の毛は何もしなくても爆発したみたいにぐちゃぐちゃなんだった。朝靄が出ていて、ララの髪もわたしの髪も湿気でとても重くて、その朝は焚き火の火がなかなかつかなかった。
 「死ぬのは面倒で、痛い目にあって死ぬんならそれはきっと苦しい。死んだら好きなことが何もできないし誰にも会えなくなるだろうから、それを考えると死ぬのはやっぱり悲しいし怖い。俺はやりたいことがまだまだある、死んでたまるかと思ってる。死ぬのは避けたい。でも、死ぬこと自体はたぶんあんまり怖くない。ちゃんと死ねるのならそれはむしろ安心できるいいことなんだと思ってる」、ララはその日の夕方にそう言った。たぶん朝からずっと律儀に考えていてくれたんだと思った。きっとララは死なない命が苦手っていうか、好きじゃないんだな、コロニー内部の生き方がだめだって言っていたのはそういうことなんだ。はいまの顔が心に浮かんだけど、わたしは黙っていた。
 ララもいつか死ぬの? あの鹿みたいになるの? そう訊いてみたかったけど、それもやめた。当たり前のことを訊くのはやめなきゃ。わかっていることをララにわざわざ言わせるのはよくないと思った。
 「生きることを遠慮したらそこで終わりなんだ。自分の命を誰より優先させることをためらったらいけない」ララはそうも言っていた。ララ自身がそうやって生きてきたんだというのは、深く説明されなくてもわかった。ララは多分そういうやりとりに慣れている。少なくともわたしよりはずっと。
 でも、難しいことはたぶんあんまり考えなくていい。わたしは悩まなくていいはずだ。だっていつかはわたしもあの鹿と同じようになれるのだ。このままララと一緒にいればきっとそうなれる。ララがそう約束してくれたし、わたしはララを信じてる。わたしたちはおそろいだ。あの鹿は未来のわたしなんだ。なあんだ、じゃあやっぱり何も悩むことなんてないじゃない。



 ララが言った「自分の命を誰より優先させることをためらったらいけない」という言葉は、つまりは「もしものことがあったら生きるために相手を置いていくように」という意味なんだというの、なんとなく、気づいている。ララはララが生きるために生きていて、わたしはわたしが生きるために生きている、いつだってそうしなくてはならない。ぎりぎりまではもちろん助け合うけど、それ以上は無理なんだ。もしもララに何かがあってほんとにもう見捨てるしかないってなったら、わたしはララを見捨てなきゃ。わたしが生きて望みを叶えるために。ララだって「無理だ」と判断したらわたしのことを助けるのをやめていなくなる。そうしなきゃいけない。ララの命を守るためだ。ララにだってわたしとの約束以外にもたくさん夢があるんだから。
 それはよくわかってるんだ。でも、わたしが生き残る確率のほうが今のところ高いよね。
 ララはわたしより先に死ぬんだな。
 わたしは年下だし何よりこんな存在だからララのさいごをきっと見ることができる。それを考えると、この体でよかったな、って少しだけ思う。
 ララがわたしをせんろと名付けたの。だからわたしの上を死ぬまでずっと歩いていってほしい。いつか死ぬのなら、それがわたしより絶対に早いというのなら、わたしの目の届くところで死んでほしい。だってララがわたしを見つけたんだもの。線路の上で寝転がっていたわたしを助けた、ううん邪魔したひとなんだもの。わたしに死をくれると約束してくれたわたしの死神、わたしのイレギュラー、大切なともだち。



 ララと一緒にいるのでなんとか楽しいかんじでやれているけど、じっさい旅ってすごくたいへんだ。好きなように水浴びもできないし、虫だらけのところで寝なきゃいけないし、思ってたより町はないし、旅はめんどくさい。別に後悔してないんだけど、ちょっと甘く見てたかもしれないな、とは思っている。今までわたしはけっこう苦労してきたつもりでいたから、この先どんなひどいことがあってもきっと自分だったら平気、広い世界に飛び出したって大丈夫だと油断してた。でもわたしが考えていたより世界はもっともっと広かった。
 毎日何が起こるかわからない。
 道ですれちがう他の旅人たちも優しい人ばかりじゃなくて、挨拶もなしに脅されて金目のものを巻き上げられそうになることだってある(でもこれはまだいいほうだと思う、問答無用で襲われたことはまだないけど、そういうことがあってもおかしくないよね)。人里にたどりつけても、住んでいる人たちに拒絶されることもある。運良く治安のよさそうな人里に入ることができても、「人間の命について研究している人はいますか」なんて訊いてしまったせいで不審がられてしまうこともある。こっちの話を聞いてもらえたと思ったらあやしげな集団に取り囲まれてどこかに連れて行かれそうになったり、旅なんて悪いことだとお説教をされたこともあって、当然だけどわたしたちはがっかりしてしまう。こんな調子で、何かがうまくいくことのほうが珍しいくらいだ。
 でもララにめげた様子はない。物騒な人たちに騙されそうになったとき、こんなもんだよな、ってあとから笑いまでした。ララが笑うのはけっこう貴重なのでわたしは嬉しかった。他にも泊めてもらった人から家電の修理を頼まれたり、いらなくなった乗り物の部品をわけてもらったり、そういうこともなくはない。ララは怒ったような顔をしているけどちゃんと喜んでいるのがわかる。ララのいろんな様子が隣で見られるんだから、わたしだって別にいちいち落ち込まない。
 旅をしているといい景色もたくさん見られる。わたしはひとつとして同じもののない世界がおもしろくて、世界にいられることがうれしくて、ほんとうによかった、と胸がいっぱいになる。花の咲き乱れる山、氷の地面、真っ赤な森、いい香りのする川。昔の人の廃墟、誰かの落としたぼろぼろのハンカチとか、そこを照らしている太陽。わたしはいつも風に抱かれながら歩いている。青空も星空も毎日少しずつ違うから目が離せない。
 世界はわたしを待っててくれた。だからわたしはちゃんと世界を歩いて、いろんなものに会いに行くんだ。わたしが生きているってことを、何もかもに伝えるために。



 今のわたしの朝は、ひんやりした空気、それからあんなに焦がれた鳥たちの声で始まる。包まれてわたしの体が変わっていくようなきもちに浸っているとララがわたしを呼ぶ声がだんだん大きくなる。せんろ。だからわたしは何度でも目を覚ます。
 わたしはせんろ、わたしに果てはまだ見えない。








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@humptyhumtpy さん主催のTwitter企画 #空想の街 に参加しているキャラクター「せんろ」のおはなし。