Blue Eden rara avis







 俺を家で待つのは母親だけだ。あばらやのような、がらくたの破片で組み立てた殺風景な家。わずかに地面が剥き出しになった床は湿っていて、板はたわんで腐り始めている。見渡せど見渡せど瓦礫ばかりで緑はほとんどない。けものは鼠や野うさぎくらいしかいないし、虫も魚もあまりいない。よごれた水が跳ねる。火のまわりだけがわずかにあたたかい。
 母親の他に俺に肉親はいない。俺の父親は俺が五歳の頃に行方不明になった。かれこれ十五年ほど音沙汰がなく、まあ、十中八九、死んでいる。外部の人間は生身の肉体なのだ、ただでさえ寿命は短いし、こんな荒れ果てた大地でひとりぼっちで生き残れるはずがなく、もし運よく別の集落に拾われたのだとしても噂にならないわけがない。内部に行ってしまった? その可能性もまずないだろう。そびえたつコロニー。俺にとっては夕日を吸い込む方角にある、俺の好きながらくたを撒き散らす、ばけもののような大きな半球体のドーム。球のもう半分はご丁寧に地下、というか、海中へ広がっているらしい。コロニー内部の者たちは外部の人間をいないものとして扱っているようで、ゴミ捨ての際に出てくる係員に向かって手のひとつでも振ってみればそれがよくわかる。昔の話だが、助けてくれえ、助けてくれえ、と言ってコロニーのゲートに向かって走っていったやつを見かけたことがあった。そいつを見事に無視してゲートはゴミだけを排出し、時間通りに閉じていった。データだかなんだか知らないが、なにかあやしげな手術を信仰しているわりには自信がないのか、内部の係員は誰も彼も大袈裟な装備で、本当に人間なんだか生きているんだかわかりゃしない。噂が本当ならあいつらはこの大地を捨てて宇宙か海に行くつもりだという。俺たちはゴミなのだ。お笑い草だ。あいつらに外の誰かを匿う余裕などない。
 父親は俺と母親を捨てたつもりではなかったのだ、というのは母親から説明されたことだ。行方不明になる少し前、父親と母親はまだ親になったばかりの少年と少女で、小さく落ち着きのない、まだまだ死にやすい命、つまり俺をこの世に繋ぎ止めるのに毎日必死だったという。それは俺が病弱だったとかそういうわけではなく、ただ単にここでは幼い子ども、特に冬生まれは死にやすい、というそれだけの理由だ。ただでさえ人の少ないこの大地で、偶然同じ年に同じ集落へ生まれ落ちた両親はすこぶる仲がよく、喧嘩などしたことがなかった。ついでにいうと集落の他の人間たちは若い夫婦とその子どもに親切だった。誰だって滅びるのは怖いのだ。
 記憶にある父親がいつも笑っていたのは気のせいではなかったらしく、それについては母親が保証してくれた。俺の父親は若く、細く、背の低い、よく笑う、気のいい明るい少年だった。集落の年寄りによく可愛がられていたという。俺と違って機械が苦手で、狩りも畑仕事も苦手で、非力だった。外部で生きていくにはなんとも頼りない人間だった。ただ父親には、廃棄された書物から得た知識があった。がらくただらけの荒れた大地を散歩するのが好きで、夢のようなことをよく口にするものだから、その点においては周囲を戸惑わせていたらしい。俺より先に立ってがらくたの山を歩き回り、止まっては首をかしげ、なかなか晴れない空を見上げ、黒ずんだオイルが帯のように流れる海を眺め、振り返っては俺に笑顔で何か話しかける、そんな父親の姿を俺もおぼろげに記憶している。俺にララ・エイビスという名前をつけたのは、集落一番の夢見がちかつ物知りだった父親だそうだ。ララ、さびしげな神話のひとつ、ひとのよろこびとさえずり、ララ。空を見上げて鳥に憧れ、海を見下ろし魚に焦がれ、ひとは歌う。ララ。ララ。
 夢だのなんだの食糧にもならないことを言うのは内部の人間だけだ、こいつは内部のスパイだと、よその集落の者から因縁をつけられたこともあったという。そして好奇心が人一倍あるあたりは俺とそっくりで、どうやら父親の死はそれに起因するようだった。確かに俺の父親は夢見がちではあったのだろうが、周りは彼が自分から行方知れずになるなどとは露ほども思っていなかった。彼は日々に満足しているように見えた。子育てに一生懸命だった。だからその日もただの散歩だと誰もが思って行き先も聞かずに待っていたのだ。しかし彼は二度と戻らなかった。興味のひかれるがままにがらくたの山を進んでいって、どこかで足でも滑らせて帰らぬ人になったというのが大方の見解である。しかし真実は誰にもわからない。対話は不十分で、彼の死体を誰も確認できなかったのだから。
 集落の大人のおかげで幸運にも二十歳を迎えることのできた俺の最近やることといえばもっぱら親不孝で、母親を放って旅に出てばかりだ。旅をしているとき、俺は自分のことをどこから来たものでもないと思う。どこへ行けばいいのかは、これはよくわからない。
 最近わからないことが多くてそのたびに腹立たしくなるがこれは病気なのだろうか。もしかして、集落の年寄りが物忘ればかりする、あれに俺もなってしまったのだろうか。そうだとしたらどうしたらいいのだろう。それもわからない。旅先で出会ったあの変な、友人と呼ぶのも躊躇われる、しかしなぜか俺を助けてくれるあの男に頼めば解決するのだろうか。あいつはやたらと年上ぶる。俺のことを見るときの、ほほえみをたたえた童顔、そのくせどこか超然とした青みがかった薄紫の瞳、俺はあの目が苦手だ。それにしてもやつはどうして年上ぶるのだろうか? 虚勢を張っているのだとしたら一体やつは何から何を守りたいのだろう。さばを読んでいるにしてもせいぜい上下三歳ほどの差だろうし、しかしそんなの大した差ではないだろうに。あの男を頼るのはなぜかとてもいやだ。でもこれもどうしてなのか、自分の中で理由が判然としない。相手はそこそこ親切で信じられる人間なのに。内部に蔓延る価値観には賛成できないとやつは言う、それならやつは俺と同じで血の通った肉体なのだろうし、俺の味方だと思っていていいはずだ。俺だって内部なんか好きじゃない。データ化なんて信じない。でもたとえ同じ意見だとしても、あいつに心を開くのは癪だ。わからない、何もかもわからないことだらけだ。
 ところで息子に親不孝をされることを、しかしたったひとり残った肉親である母親は微塵も気にしていないようで、好きにしなさい、と俺に言う。一応こんな俺でも母親には恩を感じているので、こまめに帰るようにしているし、ときには連れていこうかと尋ねてみたりもするのだが、ばかなことを言うんじゃないとすげなく返される。何を隠そう母親は極端な出不精なのだ。とにかく外に出ることが億劫らしい。父親がいなくなってから、罠の設置も、畑の世話も家の修理も、体を動かすことや外に出ることはすべて俺の役目だった。母親は変化が好きではなく、好奇心に従っていては痛い目にあうことを知っている。笑顔を振り撒きながらどこかへ消えた父親を恨む気持ちはないらしく、だが、誰もが俺の父親のように夢を見ながら夢のようにきれいに死ねるはずがないともわかっている。この集落には怪我や病気をして死にきれずに苦しみながら生きている者が多くいる。母親は彼らに食糧をわけてやりながら、おまえの人生なんだし好きにしなよ、と俺に向かって言うのだ。
 言われなくてもそうしようと思う。俺はもう、自分で自分の生き方を決めていいはずだった。親不孝かもしれないが、たぶん不義理ではないのだ。認めたくはないが今の俺にできることにはきっと限界がある。ときどき想像の中で、自分で作り上げた巨大で丈夫なバイクを乗り回し、この集落の人間全員を乗せて楽園のような素晴らしい場所へ連れていく、なんてことを思い描いたりもするが、それは今のところ所詮夢でしかなく、あまりに荒唐無稽すぎる。俺はもう大人だから、それがただの夢想でしかないと知っている。叶えたければもっともっと時間や力や知識やものが必要なのだ。いつか叶うのかもしれなくても、今ではないことは確かだ。
 母親はここで死んでもいいと思っていて、俺はそうは思っていない。俺は母親のことを軽蔑などしないし、母親とここを旅立てないことを悲しいとも感じないが、俺はここで死にたくない。何もかも奪われたまま、いつまでも不自由なままで死を諾々と受け入れてたまるか。俺は自分の足でここを出ていく。自分の命の尽きる場所を自分で決める。うまいものを腹一杯食べて安全な場所で好きなだけ眠り、明日の心配をすることなく素晴らしい景色を眺め、ほしいと思ったがらくたはすべて掻き集めて、死ぬまで機械をいじってどこまででも走っていく。やりたいことがたくさんある。何がしたいのかわからないほどにたくさんある。



 昔はこの集落にも四十人ほどいたらしいのだが、今は見る影もない。古い家から崩れて瓦礫に戻り、共同の畑は痩せ、がらくたの山に追いやられてどんどん狭くなっていくばかりだ。俺はこの集落で最後の子どもだった。俺の下の世代を作りたくてもこの集落には出産や育児に適した年頃の人間がいない。近くにある他の集落に移り住んでしまうか、それか滅びることを受け入れるか。よその集落の娘と俺を結婚させて存続を図ろうとしている者もいるようだが、お生憎、俺はもっと違うところへ旅立つと決めたのだ。
 この集落を滅ぼしてしまうのは俺かもしれない。それに関しては後ろめたくはあるがそれだけだ。集落の人間たちはいい人間だ。よくなければ生き残れずにあぶれて死んでいくから当然と言えば当然である。強くなければ、賢くなければ、そして優しくなければこの大地とこの社会では生きていけない。それでもたまに絶望する人間はいて、彼らは鈍器や刃物を片手に昼も夜もなく泣き叫び暴れる。そいつがその絶望から戻ってこなければ俺たちも俺たちを守るためにそいつを捨てなくてはならない。本当は救ってやりたいが、どうしても無理なこともある。いつか俺たちもそうなる日が来るとわかっているから、全員でその命の終わりを背負う。方法はさまざまだった。俺はたまに、自分が死んだことを受け入れられずに家のあたりをうろうろする、かつて人間だったなにかを見かける。
 おっさん、もう帰りなよ。
 どこに?
 さあな。少なくともここじゃないことは確かだ。自分で見つけなよ。もうあんた、自由なんだぜ。
 集落の人間にこれでもかと迷惑をかけた罪人たちは、しかし罪人と言い表してしまうにはやたらと覇気のない顔で去っていく。目が覚めたように一様にどこかを向いて、そして煙のようにいなくなる。彼らを見送って俺は思うのだ。もしかすると父親もまだこの集落付近をさまよっているのではないか? そしてすぐに我に帰って困惑する。こんなことを思うということは俺は父親に会いたいのだろうか。なんて弱いんだろう、これではまるで子どもみたいだ。俺は一体何を考えているんだろう。わからない。
 いなくなった父親を探して歩いたことはある。そのときは子どもだったからだ。その頃の俺にはまだ父親が必要で、幼い俺は次の日だって父親に遊んでもらえると信じこんでいたからだ。変わらない毎日が続くと思っていた。父親が死んだらしいということをまるで実感できていなかった。死がなんなのか知らなかった。それほどまでに幼かった。結局、迷った先で父親を見つけることはできず、俺はすごすごと母親のもとへ戻った。当時の俺には自由に動くためのものが何もなかった。大きな体も、器用な手足も、乗り物も、保存のきく食糧も、知識も、特技も、よそで通用する金も、持続するほどの夢も意志も。いなくなった父親に会いたいというほんのりした思いだけでは何もできないのだ。俺は俺をどこにも連れていってやれなかった。若干ふてくされながら俺が肩を落として帰宅したとき、まだほとんど少女だった母親は俺を視界に入れるなり体を跳ねさせ、そして次の瞬間には俺を抱き締めて泣いていた。無事でよかった。そう言って、俺にしがみついたままやがて泣き疲れて眠った。俺は薄暗い夜空の下、母親の頬を流れる涙と、それのせいで付着した砂粒を至近距離で眺めながら、なじんだトタン板に背をあずけ、ここで死ぬしかないのか、どうすれば自由になれるのかをずっと考えていた。そういえば、父親は自由になれたのだろうか?
 俺が未だに父親に会いたいのかどうかはわからないが(なにせ今生きている母親への孝行も忘れるほどだ、父親の存在なんか俺はふだん忘れている。そもそも父などないままに生まれてきたのかもしれないとさえ思う)、俺はもうあのときの五歳の子どもではない。手足も伸びたし知恵もついた。エンジンは未搭載だが乗り物も作ったし、旅に必要な小道具もかなり揃えた。鼠の解体の仕方も、魚の干し方も、水の沸かし方もわかる。ここではないどこかを探し続けるというはっきりとした意志もある。俺は自由だ。
 そして俺は気づくのだ、いなくなった父親は今の俺と同じ気持ちだったのではないか、と。妻子を捨てたつもりはなかったかもしれないが、散歩の行き先を誰にも告げなかったのは、自由になりたかったがゆえのことかもしれない。どこで生きてどこで死ぬかを自分で決めたかったから、博識で、散歩が好きだったのかもしれない。だからなんだというわけではなく、俺だって父親のことを恨んでなどいないし(恨むには思い出が足りない)、かといって今更恋しさを募らせるわけでもないが、しかしだとしたら、たとえばの話、もし父親が生きていてコロニー内部に拾われていたとしても、それならそれで構わない。内部の人間のことは気にくわないが、どうせ他人だ。もう相手は自由なのだ。俺も自由だ。何もかも俺とは関係がない。もしそれが相手の夢だったならもうそれでいい。
 ただ、ふと思うことがある。結局はそう、俺もコロニー内部の連中と同じで、この大地を捨てていくこと。そして、俺はきっと故郷の集落、母親、そして父親にとってのララ・エイビスだったのかもしれない、ということ。ララ、それはひとのハミングではなく、「珍しい」という意味をもつ古い言葉だ。俺は白鳥の中に一羽まざった黒い鳥、ありえなかったはずのこと。父親は傲慢にも俺に夢を託したのかも知れなかった。父親の夢が俺だったとして、では俺は俺の夢にはなれないのだろうか。俺は父親の夢の残滓でしかないのだろうか? そんなことはないだろう。俺は自由なのだから。期限つきの人生だからこそ俺は本気で生きられるし、この先何にでもなれるのだ。願わくは俺自身にとっても俺がララ・エイビスであるようにと祈りながら、今日もあの街を目指して、抱えるように押しているバイクの前輪を傾ける。首に巻いている布を口許まで引き上げ、手作りのゴーグルを着ける。
 朝靄の中、汽笛と鐘の音が聞こえる。








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@humptyhumtpy さん主催のTwitter企画 #空想の街 に参加しているキャラクターのおはなし。ラストの鐘の音は街にある時計塔のものをイメージしております。