左手の薬指が転がる。とっさに、指輪に噛みちぎられたのだ、と思った。実際の原因は仕事で動かす機械だ。指輪に機械がひっかかったか何かしてそれで薬指だけ切断されてしまった。ずっと気をつけていたのにこんな事故が起きてしまった。不可解だった。ところで転がった薬指なのだが、これが筍か蝋燭かのようにつやつやしており、まったくもってのんびりしている場合ではないのに、そのときの私は自分の薬指の美しさにしげしげと見入った。もちろん痛みは壮絶なもので、現場も惨々たるありさまだった。誰もいなくてよかったと思った。痛みで感覚が麻痺していたのか、焦ることは一度もなく、薬指を大事に水筒に入れ、最低限の仕事をこなしてから山を降りた。たくさん働いた私の薬指なのだから水ぐらい飲みたいだろうと思った。帰り道その足で病院に行ってみたが、到着した頃には時間が経ちすぎており、切断された指はもうもとのとおりには縫い付けることができなくなっていた。
 まず作業中に指輪をするなという声がする。それは私の背中あたりから出てきて、ぐるりと回って私の肩をくすぐる。言い分はもっともだと思う。医者にも仕事仲間にもそう指摘された。作業の前には余計なものはすべて外してロッカーにしまっておくものだ。自分でもなぜあの日に限って徹底しなかったのか不思議だった。きっとあのときしていた指輪が私の薬指を食べようとしたんだと思います、私の薬指は案外きれいだったので、指輪が噛みちぎったとしても無理はないでしょう、医者に弁解するようにそんなことを話していた私はやがて詰まる。私はより詳しく語るために私のしていた指輪がどんな指輪だったのか思い出そうとして、そこで初めて、あのときの私が本当に指輪をしていたのかよく思い出せなくなっていることに気がついた。工場で仕事をするというのに指輪をするなどやはりおかしい。私はファッションに明るくないし、まず興味もない。わざわざ買うにしてもそのための店がどこにあるのかも知らないし、通販で調べたことさえない。山にいる私には野草の花輪くらいしか縁がない。そんなものを作って指に嵌める暇さえない。周囲の者が作って渡してくることもない。
 病院から家に帰ってくだんの指輪を探してみたがどこにもなかった。次の昼間に山に出て、事故現場の周辺もくまなく探したが、出てこなかった。ひとしきり探してそしてすぐ私は仕事に戻る。薬指のない状態で進める仕事はたいへん難しいものだった。だが、不快ではないのだった。なくなった薬指と、なくなったのかよくわからない指輪と、どちらに対してもそう思った。本当に指輪が私の薬指を噛みちぎったのだとしたら、どういう心づもりだったのか聞いてみたいと思った。
 それから三年経つが私は薬指を欠いた左手で変わらずに仕事をしている。今でもあのときの指輪は見つかっていない。

ゆびわのはなし2 190715~200824