生人間を養殖しましょうよ、とかわいい後輩かつ部下から提案されたとき、僕は即座に却下した。生人間は脆い。ほとんど咀嚼をせずに、どるんと音をさせて丸呑みに生で食べるのが通とされるので、生人間と呼ばれる。音には例外がない。みんな面白がって生人間を食べたがる。生人間が育つまでには最長で二十年近く、最低でも一年はかかる。まあいつ食べたって構わないが食いでが出てくるのはだいたい五年ほど経ってからだ。シーズンはなく、通年食べられるので便利食材としてどの店も仕入れたがる。山にも海にもいるから資格なしでさっと獲りにいける。国民食というほど立派ではないが、この国にいて食べた経験のないものを探すほうが難しいだろう。
こんなふうに生人間は我々の生活に根ざしている食材なので売ろうと思えばもちろん需要はある、だが、わざわざ養殖を始めるとなると話は違ってくる。第一にこの国の人々はいまだに養殖ものに対して警戒心が強い。そのあたりでうろうろする天然ものが一番価値が高く新鮮で美味だと誰もが信じて疑わない。真の生人間好きならば多少の泥抜きや収穫量の安定しなさなどものともせずに天然を食べ続けなければいけないと、これはもはや一種の強迫観念と見てもいいような不文律が人々のあいだに蔓延ってがっちり腕を組んで立ちはだかっている。これをわざわざ壊してまで新事業に手を出す必要性など感じられない。第二に、養殖には環境を整えるまで金と時間がかかる。あまりにものが入り用だ。そんな伝手も元手もついでにいえば人手もない。第三に、前述したとおり生人間は弱い存在だから養殖には向いていない。家畜であった歴史もない。ペットにして飼っていた知り合いたちはそのうちみんな失敗して、ぐちゃぐちゃに原型を失った生人間を処分していた。飼育法は当然確立されていない。とどめに僕は、生人間について困ったことがなかった。生人間は今のところ絶滅の危機に瀕しているわけでもなし、そもそもここだけの話だが、僕の場合は食べたいと思ったことがまずない。スーパーでパッキングされている生人間。売り場の水槽で死ぬまでのほんの数分生かされている生人間。耳から泥を出しながら箸を待っている。目が合うと気まずくなる。どるん、と喉を通られたって困るだけだ。舌を抱きしめてくるあのえぐみ、柔らかすぎる食感、間違って潰してしまったときの汚さ、歯茎に残る骨の硬さ。僕は好きになれない。自分で作るクッキーのほうがよほどいい。こんな逆張りを大っぴらに打ち明ければたちまち異端者扱いだろうからこの信頼の置けるかわいい部下くらいにしか言えないが。
どるんと音をさせて弁当の生人間を嚥下しながら、部下は食い下がった。魚醤に漬けておくと生人間は生の食感を損なわずに何日か保管しておけるのだ(そのしぶとさも僕にとっては気味の悪さに拍車をかけるだけだったが)。それで部下のいうことには、先輩、野心がなさすぎます、確かに今は自由に食べられますがこれからどうなるかは誰にもわかりませんよ、急な災害が起きてやつら絶滅しかけるかもしれません、突然変異が起きるかも、今はどこででも買えるけど、どるん、価値がないなんて思ってはいけない。いいですか、価値は作るんですよ、固定観念なんて破壊してやる気概でないと、人が足りないなら自分がやります、今のうちに先手を打っておけば何事も安心というものです、養殖には養殖のよさがあります、よさっていうのは無理にでも作って売り出してしまうもんです、それでもうこっちのもんなんです、先輩はどうだっていいかもしれませんが自分はいつだってどこだって生人間を食卓にあげておきたい、冷蔵庫に常備したい、ねえ部下のお願いは断れないでしょう、先輩は野心はなくても優しさはあるんだから、放っておけないでしょう、小さいものは指先くらい、大きくなってもせいぜい手のひら大の生人間をどるんと丸呑みする感覚には得も言われない喜びがあります、それに先輩のような欲の薄い人にも生人間のよさだけは覚えて死んでいってほしいんです、とどのつまり生人間の供給安定は、自分と先輩の人生の安定といったって過言じゃないんだ。素晴らしい未来のために生人間には生きていてもらわなければならないんだ。
最後は余計だと思ったが、部下の熱心な演説には胸を突かれる思いがした。世話をかけている相手がそこまで取り憑かれているものなら、僕みたいになんの魅力も知らない個人が否定したところで失礼だ。部下のような人たちが万が一、生人間の足りない世界に落とされてふらふら青い顔で町中を彷徨うようになるとすると、それは想像するだに痛ましい。余裕のあるうちに設備を整えてルートを作ってしまえば誰も困らない、僕は嬉しくはないが、人のためになってしかも金になるというなら考えたほうがいいだろう。何しろ生人間はこの国の者たちにとっては当たり前の食材なのだから。
早速、生人間の専門家たちに連絡を取って生態について教わった。生人間について詳しいことはまだはっきりとわかっていないという。身近だからこそ研究のやりがいがさして感じられないらしく、そもそも研究者の数が少なかった。一人ひとり直に会って話を聞いた。部下はどこまででもついてきた。生人間好きは筋金入りらしかった。必ず生人間の弁当を持参して僕の隣でどるんと音をさせて丸呑みしていた。何年もかけて、苦心して金を集め、地元の人の信頼を勝ち取り、土地を買って山にも海にも囲いを作り、餌になりそうなものを吟味した。その頃には僕たちのやりかたに興味を示してくれる仲間が大勢増えていた。メディアで報じられることも増え、取材で誰かに会うと応援されるようになった。独特のえぐみや青臭さを育てる段階で取ってしまうか否かで周囲と議論をし、結局、はじめは天然ものと限りなく近い状態から始めるために手を加えないということになった。そのときにも部下は生人間をバケツいっぱいに詰め込んでどるん、どるんとあてつけのように呑み込んでいて僕はうんざりしたのだが、不思議なことに昔よりはなんとなく許せる気分になっていたので叱らなかった。出荷前にパック詰めするための工場施設が完成した年、研究者たちが完全な養殖状態の生人間を作り出せたと報告をくれた。自然界の生人間の栄養状態を再現できるようもう一度養殖場を整え、地元の小売店と話をつけて、ようやっと本格的に僕たちの事業は軌道に乗ったのだった。
何年も何年も経って、その間に奇妙な旱魃や嵐に見舞われ、養殖場は何度か閉鎖の危機に追い込まれたが、なんだかんだで必要だということで今もずっと工場は休みなく動いている。養殖場にいる生人間たちは食べられる運命を知ってか知らずか大人しく生きているだけだ。生人間は特に、絶滅などしてはいない。今でも売り場は天然もののほうがスペースを多く占めていて、僕たちのもの以外の養殖生人間は出回らない。
愛する部下は今日も今日とて出荷の条件を満たさなかった生人間をバケツいっぱい詰め込んで、酢だのなんだのふりかけて手づかみで食べている。ぬるぬるとした生人間が部下のあんぐり開けた口の中へと吸い込まれていくのを見つめる。ごく軽い粘性のある咀嚼音のすぐあとに、どるん。今日は部下も僕も事務所に泊まり込みだ。この事業を始めようと言われたあのときよりは、僕は生人間にすっかり抵抗がなくなっていた。それでも完全に生の状態では食べられなくて、少しでも食感を変えるために火を通すことがほとんどだった。保冷ケースの中に入れておいた賞味期限の近い生人間を悪あがきのようにさっとゆがいて食べる。飲み込むとどるんと音がする。
養殖生人間/240517/不可村/Repost is prohibited.
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