最近掃除を怠っていたものだから、私の船の手すりのふちにはうっすらと埃がたまっているのだが、私の師はというと村で一等うつくしいのはこの船だと褒める。うつくしいかどうか、私はあまり関心がない。それにこちらがどう思っていようと船はそれを受け入れないだろうと思う。にんげんたちの感覚など船には微塵も関係がないのだ。それに、そもそも船と私は対話などできない。
 船はひとりで管理するには重く、広く、そして複雑だった。生まれて初めて船に乗って、私をかるがる乗せて波に揺られる船の床板を見下ろして、ああこれは私より重いのだ、だから私を乗せられるのだ、と気づいたときのことをよく覚えている。足の裏にきしみが走り、視界が傾き、私は船の一部になった。風の強い夜がくるとどの船乗りも港に船を帰らせて、埠頭にしなる縄を絡ませ、誰もはぐれることのないようにする。おとなしく首をくくられている船たちの隙間を縫うように走り私は私の船に乗る。私は私の船が嵐を待っていたように感じたので、黙って操舵室で横になっていた。照明が落ち、私の鼻先にガラスが突き刺さり、本の山が崩れ、船は揺られて私は眠る。傾いたせいでずりおちないよう、ひんやりするガラスをゆめうつつに握りしめて、鉄の臭いをかいだ。あの夜のごううごううという声が誰のものだったのか私ははっきりわからない。私は朝まで眠っていた。
 船は嵐の翌朝、心中未遂を起こした酔っぱらいみたいになる。私はそれだけは自信をもって好きだ。不本意なものを体に付着させて放心しているその姿は絶望的なようでいてへんに明るく、なかなか見ごたえがある。私は操舵室から出て船の上をくまなく歩き回る。足取りは嘘のように軽くなる。マストからぼろぼろと海草が降り、甲板に点々と貝や魚の死体があがり、それはこの世の終わりか始まりのようでいとおしかった。船と私は対話などできないが、そのときばかりはなんとなく気持ちがわかる。遺書が台無しになった自殺志願者と、それに巻き込まれて死にぞこなった私。それでもたぶんやはり、船には何もかもが関係ないのだ。これまでのことは隅から隅まで私の妄想でしかない。万にひとつ妄想ではなかったとしても慎むべき情事だと思う。私はだから嵐の夜の船のことを誰かに打ち明けたりはしない。
 嵐の夜のことを考えていたら師のほかに父もきて、母と小さな妹までつれてきてはしゃぐので、それで彼らが私の船をやたらと気に入っていることがよくわかった。掃除をしなさいと師に言われ、父の前だったので私は上品に顔を赤らめ頭をさげる。師も父も母も満足そうに船から降り、そして妹はつれていかれる。もっと埃をためようと思った。相手にそっけなくすればするほど心中は楽しいだろう。

わたしのふね 200113