私がふたたび満ちるまで少なくとも一ヶ月は待たなければならない。私の満ち欠けはこの村でも遅いほうで、兄はというときょうだいなのに私と異なり周期が早い。兄のせっかちで落ち着きのない性格と関係があるのかはわからないが、兄は朝食に現れたときには満ちていて、食べ終わる頃にはもう欠けはじめるという具合だ。兄の姿が見えなくなったかと思って、しばらくして廊下ですれちがって、そのときにはだいたい満ちている。兄は一日で二十二回ほど満ち欠けする。私はつい先日満ちたので一仕事終えた気分だった。満ちたり欠けたり、別に体が痛むわけでもないが、ひとつの状態を乗り越えるのはやはり重労働だと思う。中途半端でもなんとなく居心地が悪いもので、半分になっているときの私はなんだかいつも恥ずかしい。食べているところをじっと見られたり、買い物のメモを知られるよりも、満ち欠けが中途半端なほうが決まり悪い。仲間はずれにされているような気分になる。
 私よりも満ち欠けの周期が長いひとをつい先日見かけた。よりにもよって私が半分になっているときだった。彼は村の裏手にある森の入り口に立っていて、畑仕事を手伝う子どもたちや野原をいく動物たち、それを世話をする男たちをぼんやり観察していた。私にも気づいていたようだったが、私はというと何しろ半分だったので、私は挨拶せずにそそくさとその場を立ち去った。次に私がそこに行ったとき、彼は初対面のときとほとんど同じ姿で同じ場所に立っていた。私はそのとき完全に満ちていた。彼は満ちた私をじっと見てくるのだった。私も彼をじっと見返した。彼に変化が見られたのはもう数日あとのことだった。
 村のすぐ横の線路を汽車が通る。そうれ、そうれ、と声をあげ、汽車に乗った人間たちが私たちの村に向かって手を振っている。満ち欠けしないよそものの目にはこの村の私たちの生態が相当おもしろおかしく映るらしく、いつもおおげさに騒ぎ立てられるのだ。私は私たち自身のことをとりたてて珍しいとは思わないが(この村を出たことがないからかもしれない)、欠けるものを見ていると少しだけ心が慰められるのはなんとなくわかる。兄や家族が欠けるのを見守ることもそうだし、それに私にとっては私ではなく私以外の世界が欠けていくように見えているのだが、なにしろ私にとってはそれが生まれたときからあたりまえなので、どんなときも世界が満ち欠けしていると安心するのだ。
 汽車を見送るのをやめて森のほうを振り返る。彼が立っているのが見えて、私はそこへ向かってゆっくりと歩いていく。
 同時に満ちて欠けたら世界は同じように見えるし、同じように世界から消えていけるし、他人からも同じ存在のようにみなしてもらえるのにね。私は彼にそう呟いた。彼はしっかりと私の声を拾ったようで、しばらく考えているように黙っていた。彼の高い鼻の右側からすべてが欠けている。私は左の耳が欠けている。同じ速度では満ち欠けできないけれど、重なるときは必ずくるよ、彼はやがてそう言った。そうだね、いつか必ずね、と私は答えた。いつかとはいったいいつだろうとぼんやり思いながら頷いた。そうれ、そうれ、と囃し立てる声が近くに聞こえて、ゆっくりと去っていく。

月と月 200406