水晶玉の卵は成体にそっくりで、うっすらと透明でつめたい。卵というよりは幼体といっても通るかもしれない。何十年も昔、水晶玉専門の養殖業者がこのあたりに居を構え、占いの盛んな隣町に孵ったものを、この町のスーパーには卵を卸すようになってからずっと、水晶玉の卵はこのあたりの人たちのソウルフードになっている。もちろん僕の家でも当たり前に食べる。特に夏場はいい水晶玉の卵が店に並ぶから、母が必ず冷蔵庫に入れていたものだった。兄と姉と僕のおやつは必ず水晶玉の卵だった。下品な子どもだった兄は食べるのに飽きると水晶玉の卵を指でつぶし、ねばりけが出てよく伸びるそれを糊にしておもちゃを作っていた。だから兄の作ったおもちゃにはよく蟻がたかっていた。姉は、付属の黒蜜ときなこがきらいで、水晶玉の卵はそのまま生でのみこむのがいちばんいいのだと信じこんでいたようだった。卵と卵の境目がなくなってなじんでとけるまで、姉は卵に箸をつけないのだった。その食べ方を強制されて辟易していた僕は彼らから隠れて一人で水晶玉の卵を食べていた。店がおすすめだとしている食べ方を守った。卵はもちもちとしていて、成体より透明度もそんなにない。とにかくやわらかい。それだけ食べてもほのかな甘さを舌に感じることができるが、黒蜜ときなこをかけると更に風味を楽しめる。竹を模したプラスチックのフォークを添えられ、発泡スチロールの青いトレーにぎっしりと並べられ、とどめといわんばかりにラップで呼吸を止められたそれらに意思はないように見えた。
挨拶に行った先の食卓には水晶玉の卵が並ばなかった。隣町出身の婚約者の実家の食卓だった。彼女たちは代々占い師の家系の者で水晶玉は大切な商売道具だから、その卵なんか食べるのはもっての他だという。彼女から初めてその堂々とした発言を聞いたとき、僕はすっかり上品な大人になって都会へと旅立った兄と姉のことを思い出した。彼女とは結婚を前提に付き合ってもう三年経っていたがそんなことを教えてもらったのはそのときが初めてだった。婚約者の実家の人たちはみんないい人たちだと僕は思ったが、僕の土産のセレクトが失敗したことは火を見るより明らかだった。義父となるはずの人は目を離したら爆発するとでもいいたげな形相でずっと冷蔵庫を見ている。上から三段目、扉側ではない。僕が土産に持ってきた四人分の水晶玉の卵が気になっているのだということはよくわかる。わかりやすい男だった。義母となる人はそんな夫の様子などどうでもいいらしく、茶色い煮付けをせわしなく口に運びながら(煮付けというものはだいたいどんなものでも茶色だがこの家のものは僕が今まで見てきたどんな煮付けよりももっときつい色をしていた)僕にめちゃめちゃめちゃめちゃ話しかけてくるのだった、曰く、水晶玉を正しく扱えるのが真の占い師でわたしたち家族はずっとそれを守って生きてきた、水晶玉は貴重なものだからたとえ養殖といったって安心なんかしてはいけない、そうやって欲を出すから人間はいけないのだ、日常的に水晶玉の卵を食べているやつらもいるようだが蛮族だといっていい、わたしたちは生きとし生けるものの卵は食べないということで徹底して生きている、このくらいしないと人間は他の生きものに許してもらえないんだ、黒蜜だかきなこだか知らないけれど水晶玉の卵に味をつけるという発想もおぞましい、卵は卵で愛でられないもんかね、変な顔をするんじゃない、あんたのことは責めてないから。責めてないからね。
食後に僕を送るという婚約者にそれとなく水晶玉の卵のことを切り出してみると、すべてを言う前に包みが目の前に突き出された。受けとる。ひんやりしている。水晶玉の卵。結婚するまでに食べる悪癖が治ると思って待ってたのに、治りそうもないからあなたとは別れます、もちろん結婚もなし、今日だけでなく永遠にさよなら。そう言った彼女の長い黒髪が宙に舞い、そして彼女は目の前から消えた。次の瞬間から僕の前にあるのはハイヒールの踵を返した他人の女の背中だった。夜景の光は視力の落ちた裸眼では丸くぼんやりとしか判別できず、それはまるで水晶玉の卵を思わせた。
帰ってから四人分の卵をテーブルに並べる。青いトレーにかかったラップを剥がそうとして、きれいに剥がれないので爪で引きちぎって開けた。そのままと、黒蜜と、きなこと、ぜんぶかけたものと四種類に分けた。半透明でむちむちとしている粘りけのある卵を咀嚼しつづける。
水晶玉の卵 200622
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