いつもどおりの外出用の真っ白な衣服を身にまとい、これまたいつもどおりの硬い革の鞄を持ち、ボタン付きの黒い靴をつっかけて家を出る。少し歩けば到着する店にいくと青い服を着た店員たちが世界の滅亡を祈る柱のように等間隔に立ち尽くしていて、存外暇なのだということがわかった。しばらく雑然とした店内を進んで必要なものを見繕う。誰にぶつかることもなく歩く。めそめそ音がするものだから源を探してみると、卵の隣で李と牛の乳とが泣いているのだった。売られたくなかった、売られたくなかった、李は頻りにそう言っている。卵は安請け合いをしているようだった。詳しく聞く気が起きないのですぐに立ち去って他の場所へ行く。本と、本と、本と、ぶつぎりになった裸と、本、炭、皿、蝋燭。季節のスパイス。何が欲しかったのかだんだんわからなくなってくるのだった。明かりは透明でついでに言うと夢のようでそれにしては浮遊感もあり、重くて、場違いなのだ。床の掃除は今も店員の一人がしているが天井はどうだろう。世界がひっくり返ったらどうするんだろうかと思って、爪を剥がそうとしている老人に訊ねてみる。老人は窓の向こうの白い空と、陳列された裸と、まだ泣いている李とのあいだで視線を何度か行ったり来たりさせ、ヴァニタスと一言叫んだ。
 店員の一人を呼んで会計を頼む。金貨を用意するために鞄を覗き込んでいるところに、天使いかがですか、と声をかけられ、相手の顔を見るつもりなどなかったのについ視線を向けてしまった。店員はこちらを見てはいなかった。黙々と手元の品物の計算に精を出しているだけなのだった。天使いかがですか。口がそう、それだけ言えるよう調教でもされたかのように繰り返す。そしてこちらが聞いてもいないのに店員は教えてくれるのだ。天使は昨日北の国から入荷したばかりなんだそうだ。北の国の天使は手のひらほどの大きさでとても愛らしい。世界が雪に閉ざされ始めると什器へ並ぶようになる。店員の音吐に圧され、天使ひとつ、と返してしまう。かちゃんと音がして会計の桁が増える。
 しばらくして戻ってきた店員の手のひらに包まれた天使は指の隙間から羽根をこぼれさせているだけでよくわからなかった。小さい綿埃のようだった。ふわふわでちょっとの刺激でも潰れそうだから気をつけて、と忠告を受けて頷く。店員の手の貝を挟んで、二人、しばらくぼうっとする。店の奥ではまだ李が泣き止まず、つられて客として来ていた小さな女の子たちがぐずりだした。窓の向こうの大きな道では土埃を上げながら馬が通り過ぎる。恬然、青ざわめく野畑の死に枯れた冬、ほとんど狂喜に似た馬脚、その影が離れて店内を踊る気配を背の産毛で感じている。仄暗くぱっきりと光影分かたれた店のなか、拭かれない天井を地面として馬は黒へ帰っていった。小さなものを入れるために持ち歩いている紙袋を広げて待っていると、店員はその内部へ手ごと天使を差し込み入れてくれる。犯罪行為でもないのにひっそりと行われる天使の取引。

 家に帰って袋を机に置いた。いつも食事をとるマホガニーの丸いテーブルだ。上についているランプをじわじわ溶けさせて、紙袋の前に立つ。口だけ開き、店員がやっていたのを真似るつもりはないが両手を貝のようにまとめてそっと入れて、指先だけでまさぐって存在を挟み込む。渡されたときはほのかに温かかったはずだが今はしんなりと湿って小さく冷えていた。調理用の半透明の紙に包み直して焚き火の上でとろかしてみる。食前酒を飲みながら少しほぐれるのを待ち、様子を見つつ引き上げて、食べた。これまで新鮮な天使を買ったことがなかったので、もし喉につまりそうな食感だったらどうしようかと不安だったのだが、そんなことは杞憂で、天使は想像よりやたらとぷるぷるとしていて食べやすかった。四口で食べ切れる天使。今頃胃の中で泳いでいる。


新鮮な天使の取引/240226/不可村/Repost is prohibited.