墓の町は静かで、墓から出るなんとかいう成分が植物の成長を阻害するらしく、花ひとつ咲かない。ここに越してきてもう三十年ほどになるが年々人口は減り続け、代わりに墓がたってばかりである。墓は、つるりとしたものもあれば、とげとげしくざらついたものもある。そんなになるのは何もかも死んだひとのせいだと住人たちは口々にいう。霧だか靄だか霞だか区別のつかないものがあたりを一日中覆い、それのせいで昼間でも町は薄暗く、ずっとランプをつけていないといけない。寒い。私はこの町の景色にはもうすっかり馴染んでいるが、寒さにだけは慣れない。
 並んだ墓は階段のように、または檻か舟のように私たちの通行のじゃまをする。私たちはまっすぐ進もうとしては墓に立ちはだかられ、そのたび律儀に苦々しい顔をしながら墓を見上げるものだが、不思議とぶつかったりはしない。墓はときどき私たちよりも存在感があるものだから、いくら見通しが悪くてもぶつかる前に気づくのだ。そう、墓は図々しく、そしてふてぶてしい、太陽も空気も何もかもが灰色のこの町で、死してなお存在を主張するものは死者である。
 学者が三人、ひときわ大きい墓を囲んでずっと話をしているようだった。よそから来たにんげんたちだろう。花はどうして咲かないのか? そんなことを議論しているように聞こえたので、私は心のなかで、それは墓からにじむなんとかいう成分のせいです、と答える。そういえばその成分がなんなのか教えてくれたひとは一人もいない。この説明を私にしてくれたのが誰だったのかも思い出せない。
 私たちは無知である。花が咲かないせいで季節もわからない。

さわれる死 191230