サトウさんに近づくとシューベルトの「ます」が聞こえる。サトウさんの胴体には穴が開いていて、そこに置かれたスマートフォンは「ます」を律儀に鳴らしてサトウさん及び周囲の人間たちに着信を告げる。サトウさんの胴体に開いた穴の位置はちょうど胃があるはずのあたりである。どんな服で隠してもいつのまにかそこだけへこんで、服ごと元のとおりにぽっかりと穴が開くらしいのだがそれはコントロールできないものらしく、本人は少し恥ずかしそうにしている。恥ずかしそうなサトウさんの顔はとてもかわいいと私は思う。サトウさんといえば皆が連想するものは穴から聞こえる「ます」だった。スマートフォンはいつもサトウさんの穴に置いてあって、そこで鳴ったり震えたりして持ち主に着信を教え続けた。
 理科室に忘れ物を取りに行ったら扉の向こうから「ます」が聞こえてきて、緊張して室内に入ったが誰もおらず、サトウさんの気配を出していたのはサトウさんのスマートフォンだった。私はためらわずにそれを拾って観察する。カバーも何もついていないシルバーのスマートフォンだった。細かい傷がカメラの近くについていて、傾けるたび小川のようにきらめいた。不規則に流れる「ます」と共に私はスマートフォンの持ち主を探した。持ち主であるサトウさんは教室に戻っていた。スマートフォンを差し出すと、サトウさんは恥ずかしそうにそれを受け取って穴に戻した。とてもしっくりくる光景だった。礼に公園で屋台のおやつをおごるとサトウさんが申し出て、私はサトウさんのことを見ていたかったので、その申し出を受けた。
 季節がら公園には屋台がたくさん出ていた。いつもこうだったら気分が浮かれていいと思った。いつもこうだったら慣れて浮かれなくなるのかもしれない。サトウさんは糸こんにゃくを買い、私は団子を頼んだ。ベンチでそのまま何を話すでもなく二人で正面を向いて座っていた。サトウさんの穴から「ます」が聞こえる。「ます」がやむ。また「ます」が聞こえる。また「ます」がやむ。十二回目の「ます」が流れてきたとき、団子を食べ終わっていた私はサトウさんに、電話に出ないのか、と尋ねた。私はサトウさんの顔を見ていなかったが、彼女が首を横に振ったのはわかった。代わりに出てあげようか。私は更に尋ねた。サトウさんはまた首を横に振ったようだった。恥ずかしそうにしているかどうか見そびれた。会話が終わっても十二回目の「ます」はまだ続いていた。
 サトウさんが食べ終わるのを待ってから私たちは別れることにした。公園を出る途中くずかごの前で振り返る。視線の先にサトウさんの後ろ姿はまだあり、私は彼女の後ろ姿を見つめながら右手を開いて、そして空気をねじるように握りなおす。穴のなかに団子の棒が落ちていった。「ます」が聞こえる。

サトウさんの穴 200322