一着しか下着がないので出かけるときに苦労するのだが、出かける日を減らせばいいと気がついてからは楽だった。好きで買ったわけではないデザインの下着を、わたしはすりきれそうになる今も履いている。幼い頃からこの一着だったというわけではなく、もっと持っていた頃もあったが、いつのまにかこれ一着になっていた。いよいよ買い足さねばならない、とはいつも思っている。思うのだが、売り場でいざ下着と相対すると、下着を買うよりは他のものを買ったほうがいいような気になる。そんな気になった挙句にわたしは下着売り場を出る。下着売り場を出たわたしは食品売り場で下足揚げなどを買って帰宅する。今まで食べたどんなものよりこの下足がおいしいと思いながら咀嚼して、そして下着のことをいっとき忘れる。しかし一着しかない下着でもいいところはある。職場で怒られたときに、わたしは一着しか下着を持っていない、ということをだしぬけに思い出すと、なんとなく、いい気分になる。かんかんに怒る上司、気にしない同僚たち、そしてわたし、自分の下着のことを考えているわたし、この対比がいい。満員電車の中でもどこでもわたしは自分の下着のことを考える。親が電話をかけてきたときも、自分の白髪を抜くときも、いちいち考える。下着のことを考えて気分がよくならないのは、買い足すことを思い出したときだけだ。店の前の道路はずっと前から工事中でもしかしたら終わるつもりなどないのかもしれない。わたしの下着は今日も一着である。

三枚六百円 190622