この作品には一部猟奇的な表現が含まれます。
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 私にきょうだいはいないが、食べられるための家族はいる。どこの家にも一人は絶対にいる。ストックをたやすなと上から言われているからだ。食べられるために存在する彼らは私たちとそっくりだが、かなり違う組織でできた体を持って生まれてくる、彼らの呼び名はさまざまで、大体はそのまま「食べられるための存在」、「非常食」、もしくは「最後の家族」と呼ばれる。その体は栄養価が異様に高く、肉はやわらかく、薫り高く味が濃厚で舌触りもよい。どんな夫婦にもかならずこういう子が生まれる。親のほうもこういう子が生まれることをわかっていて、食べるために生む。手を加えたわけではなく、自然と彼らは発生した。彼らは私たちとなんら変わらない教育を受けて成長するが、ただ、捕食者かそうでないかという事実において私たちの間には絶対的な差がありつづける。
 誰かに食べられるために生まれたことを彼らがどう思っているのか私にはわからない。相手に訊いても困った顔をするだけだからだ。更にいうと私自身が彼らのことをどう考えているのかすらも私にはよくわからない。彼らはまぎれもなく唯一無二の個性的で楽しい命、食糧である大切な家族だとしか今は言えない。
 私たちは彼らのことを食べられるための存在だと呼ぶ、それはたぶん、食べるための存在だと言ってしまうと主語から受けるニュアンスがだいぶ変わるからだ。私たちに。私たちが。このふたつでは前者のほうがぼんやりと遠く、より必然的で大事なことのような印象を受ける。罪や責任はどこにもないように感じられ、よりかかるにはちょうどよい。憶測でしかないがみんな自分と同じ姿をした者を食べることにためらいがあるのかもしれない。それを、どうしようもないことだからと言い聞かせる、見て見ぬふりの理由がほしくて、それでこんなふうに食べられるための存在だとわざわざ言い切っている。もっともだと思う。古い言い伝えでも共食いは禁忌だった。ただし医学的なハードルをクリアしてしまった今、最後の枷はひとの心である。これは共食いではないと言い張るための言い訳のように彼らの身体的特徴を声高に言う者もいる。無理もない。姿形が同じ、心の通じる者の命を奪うのは、鏡を見るようでこわいのだ。もしかしたら私も彼らを食べることがこわいのかもしれない、共に育ってきたので情がわいたかもしれない、時々私はそう思ってみるが、実際には抵抗など感じない。
 幼い頃に下校中、迷子になって、皮でできた鞄のなかにおやつも金もなかったとき、隣にいたのは最後の家族だった。年が近いから同じ学校に通っていて、それで私たちは一緒にいたのだった。ひもじい思いで意識も飛ばしそうだった私はふらふらとおもむろに、最後の家族の指をちぎって口に入れた。ほぼ同じタイミングで最後の家族も私の口の中に入ろうとしてきた、どんどん夢見心地になって相手をひっぱると体を離されて、それで私はいつのまにか空腹が消えていることに気づいた。やがて捜しに来てくれた父によって救出され、その夜、右半身がかなり削れてしまった最後の家族について私はこんこんと叱られたが、父の言う「食べるようにあれが促したのが先か、促される前におまえが食べたのが先か」という問題に私は興味がなかった。そんなことより、あのまどろみの中で感じていた、どちらがどちらだったのかわからない感覚のほうが気になってしかたがなかった。今度は母に呼ばれて、どうして食べてしまったのかを問われ、私は考えた。どうして? 空腹感、迷子である不安やさびしさ、罪悪感、おいしいという気持ち、命を奪おうとしている恐怖、興奮、どれもあっているようで、違うようにも思えた。
 あのとき右半身が削れた家族はまだこの家に一緒に住んでいる。買い物をしてくるのを忘れたと帰宅した父が言い、今日は干し肉も魚も乳もないと母が嘆き、私は隣にいた最後の家族の肩を抱いた。非常食なのだから簡単にひらくわけにはいかないと父にたしなめられ、私は頷いて、そのまま外に出る。最後の家族は何も言わない。彼らは分を弁えているが決して献身的ではない。あの迷子になった日のように近所には調味料やあぶらのいいにおいが立ち込めていて、私たちは道の真ん中で抱き締めあった。私の最後の家族からもいいにおいがした。

最後の家族 200107