冬で、夜で、おれたちは生きている。頬をなでられる。やつの手は風のようでありながらしっかりと熱と芯をもっており、それらの感触はおれからしばし時間を奪う。おれたちのあいだに悲しいエピソードなどとくにないはずなのだがとたんに空気がしめっぽい。ものごころついたときから感動屋だったおれの隣にやつはいつだっていて、おれが泣けば笑うし、笑っていると怒るように仕向けてくる。感情を剥き出しにすれば本音で語り合えるはずだとやつは本気で信じているらしかった。そういえば子どもの頃からやつはそういう変な思い込みをするやつだった。小学生のとき、おれは背が低いものだから用水路のにおいが体によく絡まるので通学路は地獄で、とくに夏場、おれは走って帰っていた。やつもおれについて走ってきた。おれたちを追うようにもしくは誘うように用水路も長く長く続いた。てかてか虫のように光るランドセルがおれたちを熱くした。おれは用水路なんか大嫌いだったが、やつは用水路を川だとかたくなに思い込んでいて、よく釣りをしようと誘ってきたものだった。その頃のことを最近よく思い出すのは仕事帰りにやつと待ち合わせをするようになったからだろうか、おれはいつでもやつと一緒にいる。
やつのことがずっと心配だった。だからこそおれに心配されているやつがおれよりも愚かに映り、そしてそのねじれた感情はあっさりと執着に変わり、挙げ句の果てには勝手に恋のようなものになりはじめる、思い込みでおれたちは愛し合い、それで構わないから日々を過ごしている。やつはおれの隣で、赤いテキストを開き、二十五メートルを泳ぎきり、古着屋で買った鞄を使い潰し、いちごのクレープをこぼし、ズボンの穴をいじくりまわして拡げ、眼鏡をかけたりはずしたりして、舌を火傷しながら餃子を食べたりする。おれもやつの隣で歯を磨き、いびきをかき、味玉の作り方を検索し、親からのハガキを読み、煎餅みたいな布団をたたみ、出てきた腹をかき、足で戸を開け、その足の爪を切る。おれは夜更けに青い布団の上で、のんきに伸びるやつの痩せた体を見ていつも思う、こいつはいったいなんの権利があっておれのそばにいるのだろう、なぜ笑ったり泣いたりするのだろう、いや権利というとものものしい、因果とでも言えばいいのか、どうして、どうして、どうして。やつが笑う。脛毛が捩れて、指先に触れた冬の布団はなめらかな石のように硬質で、そしておれはまた時間を忘れ、とつぜん気づく。すぐ隣で笑うやつがいったいなんであるのか思い出す。おれの正体も思い出す。おれはやつを抱き締めるのだが抱き締められてもいるのでどっちがどっちかわからない。
明日また起きればやつは変わらずおはようと言うのだろうからおれもやはりそう返そうと思う。冬で、夜で、おれたちは生きている。
おれの死 200210
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