音楽は聴くものではなく見るものであり、それは楽譜を読むとかイメージされた絵画を楽しむとかそういうことではなく、ただひたすら見るものなのだった。私は音楽を見ることができない。他の人間たちがすっかり、音楽を聴かなくなった、見て楽しむようになったことを、外出しない私だってうすうす気づいてはいた。外出せずとも情報は入ってくる。音楽を未だに聴いているのは私ぐらいのものだと、私の恋人ははっきり言う。彼は私に、私が音楽を見ることのできない最後の一人になってしまったことを告げにやってきた人間だった。三年前のその朝、私は自分の寝息で目を覚ました。自分の寝息のやかましいのが気になって、音楽のことなど露ほども考えていなかった。彼の来訪をうけて私はただ単に驚いただけだった(もしかするとほとんど驚いていないのかもしれない。私にはそういうところがある)。音楽を見ることができない人間に対して、わざわざそれを告げにやってくる人間がいるなんて想像したこともなかった。音楽に疎い、音楽とは日常の、あるいは非日常の彩りでしかないと思っているような私にはなんとも想像がつかないが、音楽の世界にはこういった役割の人間がいるものらしい。彼がここを訪ねてきたとき以来、彼はなぜか私の家に居ついている。いつしか私たちは恋人同士になり、そしてそれは三年経った今でも続いている。
 彼は気ままに音楽を作っている。私はそれを聴くことしかできないので、聴く。彼の音楽は塔に飾るためのものだった。いつかこの国が滅びるときのために鎮魂歌として捧げられる。塔というのはこの国の北端にある、細く長い、窓のほとんどない、針のような塔のことである。私たちの魂が冥土に昇りやすいようにそう作られている。音楽は今や見るものなので、昔よりは用意に飾れるのだという。
 さて音楽を聴く最後の一人になってしまった私だが、それを告げられたところで驚いただけで悲しいわけではなかった。音楽を見ることができないことは悲劇ではないし、弱点でもない。私はこの家から出ないので気楽である。生きる上でなんの支障もない。彼はというとことあるごとに私をからかうがそれだけだ。実際のところ、私が音楽を聴こうが見ようが、彼にとってはどうでもいいことなのだと思う。私と彼がここでこういったくだらない話をしていることが重要なのだ。誰かから見れば彼が私をからかうことはとても醜いことなのかもしれないし、また他の誰かから見れば恋人同士の戯れとしてとてもいいことなのかもしれない、しかしそれはその誰かの真実でしかなく、私と彼との真実ではない。私たちを邪魔できるのは私たちだけだ。
 彼は私をからかうわりには音楽の見方など教えてくれないのだった。塔に飾るための音楽は着々と完成に近づいており、精巧に織られた長い長い絨毯のようで、私は途方にくれる。彼の冥土の土産に私の寝息があればいい、私はそう思いながら疲れはてて眠る彼の隣でまぶたをとじる。

盤上にて 191117