おなか、という名前の飛行船は私たちの憧れだった。おなかは何でも引き受けてこころよく仕舞いこんでくれる、うっとりするほどの見事な流線をもつ楕円体の、くすんだ生成り色をした、世界中を縦横無尽にめぐる立派な飛行船である。おなかが私の家の上を通るとそこだけぽっと飲み込まれたように地面に影が生まれ、それはおなかの存在を如実に感じさせて私を興奮させた。おなかの存在を知れば誰だっておなかに乗りたくなるし、おなかで働きたがるひともおなかで暮らしたがるひとも後を絶たなかった。おなかに乗ったひとは簡単には戻ってこない。そこがあまりに過ごしやすいことをみんな思い知ってしまう。おなかの乗船チケットはいつだって大人気で、子どもの私はそれを手に入れておなかに乗ることがずっと夢だった。
 下のベッドから細い足が突き出ている。その足はやがて私のキャリーを探り当て、器用に押したり引いたりする。そうやって暇をつぶしているのは面識のない赤の他人で、念願叶っておなかに乗って行く旅の途中でぐうぜん相部屋になった狼である。一度挨拶をしてからというもの彼女は私の行動にいろいろと口を出してくるようになった。聞いてもいないのに狼は自分のことをよくしゃべる。むかし学生だった頃に狼は友人たちとルームシェアをしていて、そのときは同じ狼の仲間がたくさんいたらしいのだが、今はもう一人なのだそうだ。他のみんなは自分がどこから来た命なのかを探るために、本当のふるさとを求めて世界中に散ってしまったという。狼も自分のルーツをたどるために世界を見て回るのが夢だったらしく、南の森、それとも雪の大地、という具合に、おなかに乗って各地を見ながら旅を楽しむのだと私に言った。
 おなかは常に小刻みに振動していて、私たちの会話を吸い込んだりばらばらに捨ててしまったりした。私たちは生きとし生けるものの憧れの飛行船たるおなかで出会った旅人同士、おなかのすることはなんでも受け入れた。おなかはいつもあたたかく、低い音がずっと響いていて、船内はやや薄暗い。一ヶ月ほど経っても私たちはまだおなかの一室に居座っていた。本当のふるさとは見つかりそうなのかと狼に訊いてみると、彼女は聞こえなかったようで返事をしなかった。本当のふるさとが見つかってよかったねと私は言い直してみた。狼は返事をしなかった。身投げするように下のベッドを窺うと狼は赤いコートを抱き枕にしてこちらに背を向けて横になっていた。肩の動きから狼が起きているのがわかったが、私はそれ以上深追いせずに自分のベッドに戻る。
 毛布にくるまって、たぶん、今から更に一ヶ月経っても私たちはここにいるだろう、と私は思った。おなかの変わらない振動と重低音を骨で感じながら目を閉じる。もうずっとこうしていた気がする。

おなか 200316