ニチと星の塔 本文・不可村 nowhere_7 絵・オノユウコ様 west_wave_



ニチと星の塔

 無線のつまみを回してニチに合図を送る。塔は進行方向に罠が張ってあることなどつゆほども知らずにのっそりのっそり進んでいく。先の空は日が暮れ始めていて、そのグラデーションをボタンで留めるみたいに一番星が輝いている、塔はそれだけを目指しているのに違いなかった。背後に煌々照る松明を掲げた大人たちがいるので、罠があると知ってももう後戻りはできない。崩れながら進むしかない。私は私たちがつい三日前まで住んでいた塔の追われるさまを少し離れたところから見ているだけである。ときどき今みたいにこうやって手元の無線を調整して、追っている大人たちに方向の指示を出したり、内部に残る私のニチに脱出のタイミングを提案してみたりする。
 塔の三十五階の階段から左四番目にあった私たちの部屋の入り口には一番星の絵が彫ってあり、それが塔の体に刻まれた唯一の装飾で、だからかあの塔は昔から一番星が好きだった。私たちが内部で暮らしていたときも、一番星の見える方角にあわせて廊下をねじまげたり窓を歪めたりするものだから、その現場に巻き込まれるとけっこう難儀したものだった。
 一番星の絵は私のニチが描いたものだ。今、崩れながらも歩く塔のなかに残っている唯一の人物が私のニチである。ニチ、というのは、私たちのパートナーの呼び名である。私たちそれぞれ一人一人に決められていて塔の同じ部屋で暮らす、ルームメイトみたいなもの。部屋だけでなく食事も勉強もなんでも一緒にこなす、木の実も寝床も一生分けあう相手、それがニチだ。候補は生まれる前から数名いて、大人になって気が合った相手と正式にニチになりあうことが決まる。呼び方は、友達とか家族とか恋人とかどう言い表してもいいけれど、私たちはニチと呼んでいる。私は私のニチと共に、私のニチもまた私のことをニチと呼んで私と共に。私のニチは幼い頃から絵を描くことが得意だった。彫刻も版画も、師がいたわけでもないのに、なんでもじょうずにこなしてしまうのだった。絵を怖がる大人たちはニチのやることをいやがってばかにしたけれど、私はニチの絵を見るのが大好きだったから、私たちの部屋が決まったときに頼んだのだ。ニチ、部屋の前に絵を描いてよ、星の絵を彫ってよ、扉の上だよ、私たちの部屋だとすぐわかるように、私たちの出会ったときにも輝いていた一番星の絵を。塔もきっと喜ぶから。
 それで今は無線を使って塔のなかにいるニチと会話していたはずなのだが、さっき塔が大きく揺れてからなんだかニチからの返事がよく聞こえない。私たちの塔は気難しいところがあったのでニチはそれをなだめるのに苦労しているのかもしれなかった。塔はこれまで何年も私たちをその身に隠して運んでくれたけれど、もう、そろそろ寿命だったのだ。どんどん話が通じなくなるしわがままばかりするようになった。一番星を見たがる癖もひどくなった。それに床だって天井だってたくさん崩れてきていて、修繕工事もぜんぜん追いつかなくなるほどで、そもそもがもう限界だった。新しい塔を作って移り住まなければならない。その前に今まで親しんだこの塔の息の根を止めなくてはならない、だから罠を張ったのだ、一番星のよく見えるあの丘に。塔に気づかれないようにこっそりと計画を立てて、長い時間をかけてあらかじめ穴を掘っておいて、そこまで塔を追い込んで、そして、何も知らず転んだときが塔のさいごである。粉々に崩れ落ちて瓦礫になったらもう誰も塔を元には戻せない。
 私の役目は塔が崩壊する前にニチを逃がすことである。私のニチは今何をしている? ニチの姿を探す。まだ室内に引っ込んでいるようなら出てくるまで待つしかないのかと思っていたが、果たしてニチは出てきていた。三十五階にいる。私たちのなじんだ、下から三十五番目にぐるりと並ぶ扉たち、その階段から四番目。ニチ。私は叫んだ、その声を笑いながら風が食べた。負けじと手を振る。千切れんばかりに振る、振る、古い壁が土くれになって塔に尾を作る。ニチは私に気づくことなく三十五階四番目の扉の前で塔を見上げている。細く黒い瞳が塔の切っ先を誠実にみとめている。ニチの小さな腕が蝸牛の触覚みたいに伸びている、ニチの腕は一番星の絵を必死に掻いて削っている。塔が進むので、ぱらぱらと落ちた塔の欠片はぜんぶニチのからだにかかっている。まるで火の粉のようだった。
 ニチ。もうすぐ塔が罠にかかるよ。ニチ、そうしたら塔は膝を折るよ。ニチ、塔が崩れるよ。私は役立たずの機械をニチの代わりと言わんばかりに抱き締めながら胸の奥で叫ぶ。本当に叫んだって声は風がつれていってしまうから、ちゃんとニチに届けるために心のなかでニチを呼ぶ。一番星の見える丘まであと十数歩もない。






ニチと星の塔
文:不可村 @nowhere_7
絵:オノユウコ様 @west_wave_

2020/12/28発表 2022/12/26再公開

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