念願叶って歌になったと聞いたのでわたしは熊に会いに行った。熊は待ち合わせ場所の喫茶店の前でハンカチをにぎりしめて泣いていた。小さくしぶしぶした目からいくつも滴が流れ落ちた。町興しだといってなんだかんだ活気を取り戻している商店街の片隅にある喫茶店ではサイフォンがやかましく音を立てており、それは熊の泣き声をごまかすのにちょうどよかった。わたしは根気強く、ことの次第を熊から聞き出す。熊は泣き声混じりにとぎれとぎれに説明するのだった。とあるにんげんたちが私たちを歌にしてくれるのだそうです。連絡が来ました。みんなで考えて、お願いしますと返事をしました。私たちはそのあと、うれしくて、さっそく歌唱保存団体を立ち上げました。オーバーだと思われますか、にんげんたちもそうやって何かの記念には集まるでしょうに。私たちのこれは歌唱を保存するものです。感謝を伝える手の掲げ方の特訓もおこなっております。老若男女総出のお祭り騒ぎでございます。もうつくづくご存知でしょうが、私たちはながらく、不遇の扱いを受けてまいりました。なかったものとして扱われてきたのでございます。どんなに苦しかったことか。しかし今回、私たちはやっと主役になれます。これでさまざまなひとたちに愛されるでしょう。熊はそう言うのだった。
 そして一転声をひそめる。しかしこうも思うのです。私たちはもしかすると誤解されて知られてしまうかもしれない。他人のつくる歌では、私たちのほんとうのやさしさやおそろしさが伝わらないかもしれない。あまく見られてしまったらどうしましょうか。
 私は顔を上げ、熊の使うハンカチの刺繍を見た。そして言う。そのときは。そのときは? ええ、そのときは、わたしを食い殺していただいて構いません。
 ほんとうですか、と熊は叫び、すぐに顔を伏せてありがとうありがとうと繰り返す。小さな耳がぱたぱた揺れて私の頬へ風を送ってくる。私たちは紙とペンと判子を出してそれにサインをした。誓いの文書だった。熊はそれを大事にしまいこみ、また泣きながらコーヒーを飲んだ。別れ際に何度もこちらを振り返り、ずっと笑っている熊は、とても幸せそうだった。
 ほどなくして発表された歌の効果で、予想したとおり熊は瞬く間にひとびとに愛されるようになった。誰も熊をおそろしいものだとは思っていない。わたしも特にそうだとは思っていないが、文書のコピーはまだとってあるし、だから誓いは有効で、わたしはいつか熊に食い殺される。熊とはたまに喫茶店でおしゃべりする。熊はあの文書があるかぎり世間の目が怖くないらしい。熊が熊たちの強さを誇示するためにわたしの頭を潰す、体を食い荒らす、わたしはいつかくるその瞬間を夢に見るほど心待ちにしている。

熊とわたし 210125発表(191111制作)