空間があります。ここには他に何もありません。何も、というのは、人及び物体が存在しないという状態です。人というのはこの宇宙においては頭部と胴、脚部で成り立っている場合がほとんどです。頭部には脳と呼ばれる灰白色のやわらかな、蛋白質によって構成された臓器がつまっており、個体の記憶の保持、緻密な感情伝達、意思決定の役割を担っています。詳細は明らかになっていませんが、頭部が司令塔となり、全身に伝っている神経を使って生命活動を行うとされています。記憶や感情は頭部以外にも保管されているという研究もありますが、やはりまだ全貌はわかっていません。また、精神と呼ばれるものも頭部にあるという見解が一般的ですが、その実在には疑問の声があがっています。精神とは虚弱のものを指します。人によってはそれを心と呼び習わします。可視化は非常に難しいですが、傷がつくことで存在の活動は鈍くなったり活発になったりと何かしらの異常を示すため、まったくないと断ずることもまた簡単ではありません。傷をもってして精神の存在を立証しようという試みもあります。基本的に人は塑像の骨子のごとく、内部に芯をもって外側に肉がついた構造ですが、頭部はその例外といえます。本来芯であるはずの硬いものが覆いとなり脳を守っています。ここには脳はありません。頭部とみなされるものは存在しません。同じく、胴も存在しません。胴とは、脳を除いた生命維持のための重要な内臓が密集した袋を指します。ほとんどは脳の下部に位置します。生命活動にはエネルギーが必須ですが、エネルギーを得るためには工場が必要です。いわば胴とはそのための工場です。生体分子を体内へとりこみ全身へと循環させる働きを司っています。必要なエネルギーにはいくつか種類があり、水、光などが代表的なものとなります。ここには水はありません。水とは、空間と時間を固めた流体の物質です。諸々の生物の起源とされています。ここには光もありません。光はさまざまな色をもつ、濁りを知らない不可触の現象です。まれに痛みをもたらします。ここに胴は存在しません。胴を支えるために、効率のよいエネルギー摂取のために、存在は脚部を必要とします。細かな運動と作業、そして感情表現に特化したものを前足、手と呼びます。移動を担当するものは足と呼ばれます。ここに手及び足は存在しません。手足では、頭部において覆いになっていたものが骨子となり、外側に伸縮する肉と皮が付属します。激しい衝撃によって損傷する場合がありますが、頭部や胴と比較すると単純なつくりであるためか回復が早く、また、万一があってもすぐに致死とならないケースが多いです。人においては臓器などの再生は困難であり、多くは回復に留まります。エネルギーの貯蔵、クッションとしても優秀な脂肪は、つぶして遊ぶことができます。動きを司る筋肉はほぐされることで本領を発揮します。定期的なメンテナンスが推奨されます。ここに脂肪はありません。筋肉はありません。ここに足はありません。ここには何もありません。空間はあります。時間もあります。しかし、それ以上のものはありません。影はなく、悲しみは存在できず、また喜びも存在しません。涙はありません。砂漠もありません。同じく、吐き気もありません。ここにはそれら一切を生かすための材料がありません。いかなる現象も拠り所なくしては存在は不可能です。発生した時点で収束に向かいます。現時点ではそのようになされています。設定は絶対となります。そのため、物質依存の変化も空間においては起こりえません。時間の経過はまぬがれませんが、存在がないためそれを目視することは敵いません。よって、ないものと看做します。空間のみがあります。空間を終わらせる場合、そのままの状態でまばたきを三回、そのあとであなたが笑顔だと思う表情を顔面に浮かべ、指を振ってしばらくお待ちください。あなたに目がない場合は心と思われる機関を閉じてください。顔がない場合、それに準じるものでも構いません。指がない場合は空間を終了させることはできません。心がない場合も同様です。処理をしています。完了いたしました。ここにあなたはありません。空間を終わります。


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