家を燃やさなければならない。それは私たちの古い掟だった。結婚すると決まったら、その二人組は新しい家を建てる。そしてそれまで暮らしてきたそれぞれの家に火を放つ。必要な家具はあらかじめ外に避けておいて、親兄弟はみんなつれて新しい家に移って暮らすので、古い家にはもう用事がなくなる。他にも何か新しいことが決まったらまず家を建て替えて移動しなくてはならない。古い家を保存しておいて誰かに貸すということもしない。私たちは記念のために家を焼くのだ。戻らない覚悟のため、そして輝かしき前途のため、私たちは家を焼き捨てる。だから私たちの住処はだいたいいつも真新しく、私たちは汚れひとつない建物のなかで息をしている。
ときどき、私はかつての自宅の焼け跡を見に行く。
あんなにも黒々と焼け焦げていた柱も壁ももう土に還ってしまった。認められるものといえばわずかな土台のみである。責めるように私はそこをじっと見つめる。やがて私の視線で穴は深度を増し、四方八方に影が散り、その影たちから手が生える。どこまでもうつくしくうつくしくうつくしく回っているのは心でも景色でもなくその無数の手のひらなのだった。手は、いつだって二本だとは限らなくて、影の数だけ増えるのだ。それがあの日の炎のようで私はいつもぼんやりとなすすべなく眺めている。私のすねを撫でて、影はそのうち消える。ただの幻なのだから当然だった。あたりには新しい家を建てるのに必要な木材を運ぶ者たちがいて、そのそばを子どもたちがおもちゃを振り回しながら駆け回り、誰も古い家のあった跡など見向きもしない。
赤の溶けて光る、
見てごらん、見てごらんかわいそうな、かわいそうな黒々、黒々とした家、家だったもの、あとは地面に還るしかないかれらの燃える四肢たち、柱も扉も床も窓も屋根も壁もきっと彼らの胃や脳や腸や肺や腎臓なのだ。私はあの日そう言って(あるいは誰かがそう言って)立ち尽くす伴侶に近づいた。もうもうと熱がうねり、煙より炎より濃く輪郭を伴って闇夜を背景に揺れていた。私たち二人に降り注ぐ雨のような火の粉は火から生まれたのか家から生まれたのかよくわからない。そのどちらもなのかもしれない。家を燃やす炎は赤や青ではなくほとんど黒に近いということをその夜私は初めて知ったのだが、伴侶は私を見ても、燃えさかる家を見ても、何も言葉を返してこなかったのだった。伴侶の家も同時に燃えていた。家族となったお互いの親兄弟は先に新しい家へと移動してしまったあとで、お互いのこれまでの住処が燃えるのを私たちは二人きりで見届けなければならなかったのだった。この山奥の小さな小さな片田舎の町に外灯などはろくにあるはずもなく、いつもなら月や星の明かりを頼りに夜道を急ぐうしろめたい者たちが、その日は誰かの家の燃えるのを利用して歩くのだ。私たちは二人きりだったが、大勢だった。そしてひとつだった。
どこまでが夜の闇でどこからがただの影なのか私にはもう思い出せない。
もしかすると結婚するのに家を燃やしたりしたのはこの世で私一人だけなのかもしれない、そう思って私は夜中になるとときどきひっそり涙を流す。あれらはすべてただの私の幻覚だったのかもしれない。いや、あれは夢ではなく、私の今いるこの家も、この家族のなかの誰かが新しいことをするのならそのときにきっと確かに道連れにされるのだ。もしかするともうすでに燃えているのかもしれない、今まさに、今まさに、いずれ燃やされることが決まっているものはもう燃えたものとほとんど違いがないのだ。月明かりに照らされて影がのびる、影たちはまた手のひらになっていつかの私の家をなめた火のように踊る。
家を燃やす 201019
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