彼はわたしのことを春と呼んだ。一年生の夏、サークル活動で出会い、交際することになった恋人だった。しんそこ楽しそうにわたしのことを春と呼ぶのだった。ちなみにわたしの名前に春という字や読みは入っていないし、わたしは春生まれでもなかった。もしや浮気相手と間違えているのか、昔の恋人の名前なのかと思って調べてみたがどうやらそうではないらしかった。彼に浮気相手はいなかったし彼はわたしに会うまで独り身だった。なぜわたしを春と呼ぶのかたずねると「あなたは春に似ている」と彼は答えた。彼のセンスはちょっときもちがわるい。
 青春時代の恋人について誰もが挙げるだろう特徴を彼もまた備えており、大学に入ったばかりの頃のわたしがそれに抗えるわけがなく、わたしは彼のことを唯一無二の最高の運命だとあっさり思い込んだ。あたりまえだった。うすい腹と腰、姿勢の悪いところ、すりきれたジーンズを穿いているところ、ときどき火をつけるのに失敗する煙草は新発売のメンソール、寝癖で傷んでいる髪、ざらざらとした手のひらと大きい爪でシャーペンの芯を何度も折り、笑顔が少し寂しそうで、顎に大きなほくろがあって、日が長くなる気配を敏感に感じとって帰宅が遅くなる、こんなことを少し思い出すだけで対象をくらくらさせるというのは彼の才能だと思う。彼は迷子の仔山羊、七夕になると商店街に出る笹のようだった。彼に出会うまで、絵に書いたようなこんなに都合のいい男があるものかと思っていたが、実在したのだった。大学生になったばかりのわたしは通学途中の電車の中でも彼のことを意識してふるまった。中学生のときに好きだった男子が卒業アルバムに書いてきたアニメの決め台詞とか、高校のとき好意を寄せていた相手が修学旅行の写真に変な顔で写ってばかりいたこととか、昔たしかに本気で好きだったはずの彼らのブレザーの襟と肩の輝きは、今の彼もそうだったのもしれない、わたしはそれをきっと見たことがあるという「ないはずの記憶」に還元され、わたしはわたしを全知全能だと錯覚した。彼はたぶんわたしに会うために生まれたのだとわたしは思った。わたしはきもちわるいにんげんだった。いつのまにか、これまでのわたしが軽蔑してきたような人間になっているわたしに気づき、わたしは何度か一人で泣いた。
 彼はわたしを春、春、と呼びつけ、近所のホームセンターやスーパーに連れていっては買い物を一緒にしようとした、彼は幸福というものにおかしな幻想をいだいていて、それはわたしが恋人という関係性にもっていた幻想よりもよほどひどいように見えた。牛乳売り場に行く。賞味期限が先のやつを選んで買えと彼は言って、わたしはそうした。冷凍食品はたくさんの種類を買って食べ比べることにした。名前のよくわからない魚の切り身はこわかったので、わかりやすい豚肉を買った。ビタミンは人間の体に必要だから、それから緑黄色野菜は小学生のときから何度も家庭科のテストに出されるから大切だと思って、トマトとピーマンとにんじんを買った。春はえらいねと彼が籠を戻しながら出口で言った。スーパーからは購買意欲をそそるための安っぽい音源の曲が流れていて、自動ドアの開閉とともに小さくなったりうるさくなったりした。
 まだ見慣れない気がして帰り道だと認識できないアスファルトの上、どうしてわたしを好きだと思ったのか隣を歩く彼に聞くと、春のにおいを好きだと思ったから、と答えた。よくよく問いただすと、サークルの活動で着替えたわたしの脱け殻からただようわたしの体臭が彼にとって至高のものだった、なぜだか安心して懐かしくなってしまったという意味らしかった。やっぱりきもちわるかった。わたしは荷物を持たないほうの手で彼を撫でてやった。撫でられた彼は今までで初めて見る顔で笑っていた。わたしは彼の春だった。

春に似ている 200330