この世の人間たちは揃いも揃ってみんな手間がきらいだから、当たり前すぎることは改めては言わない。たとえば学校に入って人間がいちばん初めに習うことといえば白鳥のことで、一般的に白鳥は冬が終わる頃にシベリアに戻っていくというのだが、本当は白鳥たちは北の大地になど帰っておらず、彼らだけの墓場へ旅立っている。遥か遠く北の大陸には、あの有名な、珊瑚の死骸の集まるバラス島を思わせる場所があって、白鳥ならみんなそこに行くと決まっている。白鳥たちは冬を越えたらその場所に行かねばならないことをちゃんとわかっているのだ。そして大人たちだって誰もがそれを知っているが、なにしろ面倒なので誰も教科書を直さない。当たり前すぎることは人間たちはわざわざ教えあったりせず、だから真実には自分ひとりでどうにかしてぼんやり気づくしかない。
改めて言わないものだから手遅れになるものも多い。白鳥たちが白鳥である前に魚だったことを知っていても誰も言わないので、子どもたちは魚釣りに行っては泣く。せっかく釣った魚を育ててもその魚はいつのまにかいなくなる。何も知らない子どもたちはそんな別れには耐えられない。白鳥たちは白鳥である前は魚で、魚である前は蝶で、蝶である前は熊、熊である前は百合の花だった。百合の花だって大昔は百合ではなかった。当たり前すぎて面倒がられ、そしてすべて手遅れになる。幼なじみはつい前の霜月に、魚をやめて白鳥になった。
飛び立つ白が雲に溶ける。
夜の空気をたっぷり吸ったベッドはわたしの体をも呑み込もうとどんどん沈み、月の光がわたしの肌にしみとなって移り、そうなるとどんなにこすっても取れない。手を伸ばすとすきま風とともに白鳥の声が聞こえてきた。わたしの指は虚空を掻いて、やがてベッドへ落ちる。白鳥たちの声は続く。わたしは掻きむしってしわだらけになったパジャマも気にせずに玄関の鍵を開け、夜道を抜けて水辺まで走る。白鳥たちの声がわたしを走らせる。幼なじみの声が聞こえる。これは幼なじみの声だ、わたしは幼なじみの声を聞き分けられていると思い込む。わたしなら白鳥たちの声がわかる、何を言っているのかもわかるのだと、そう必死に自分に言い聞かせる。自分が薄情な人間だと思い知るのがこわいからだ。わたしがまだ人間なのだと思い知るのはつらいからだ。いや、こんなに胸が苦しいのだから、わたしにはきっとあの声がなんと言っているのかわかっているのだろう。説明できないだけでわかっているのだ。白鳥だけでなく、この世にあるなら魚だって、花野の蝶だって熊だって、季節外れの百合の花だって、いつか帰る場所がどこなのか、自分の命がどこからやってきたのかを知っている、それと同じようにわたしにはあの声が誰のものなのか、今わたしになんと呼び掛けているのかがわかっているのだ。もうすぐ冬が手遅れになる。川べりのガードレールにひっかかる、わたしの肉が白い花びらに変わることはいつまで経ってもなく、わたしはひたすら闇に流れる道を見ている。
そして何度もわたしを呼んで 200217
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