ボウ・アンド・スクレープ、そして上目遣いに笑顔、同居人はいつでも礼儀正しいのだ。心に生まれつきの欠けがあったとしてそれが丸や四角なら、もしくは人のかたちなら簡単に満ちるだろう。そうでないから困難になる。音や光はじっとしないので欠けを塞ぐには相応しくない。ああでもないこうでもないと間違い続けて欠けはどんどん大げさになる。ふたり手と手を取り合って、日の香りの染み込んだ縁側を越えて庭へおりる。先程まで身にまとっていたスーツやびろびろとなさけなく伸び切った靴下、着古して全体的にふるぼけた肌着なんかをつま先ですみに追いやりながら、たとえば、パーティーしようよ、パーティーしようよ、欠けが欠けでもいいのなら、そう閃いては手を打って、しかしそんなうまい話はないから流される。ふたりそろってピクニックシートの上に移動する。カラフルな孤島に漂着する。同居人の細い首の向こうに、黒髪と同化するほど見事な生け垣があって、そのすぐ向こうはふつうの道だ。車も自転車も歩行者もお犬も枯れ葉も雨も通るありふれた道だ。ふたりでうんうん言いながら頭を突き合わせ何夜も悩んで買った、古い日本家屋はふたりきりで住むには広すぎて、掃除も装飾もいつまでたっても追っつかない。とりあえずものを置く場所があるからと安価な雑貨や本や服が雑多に積まれていく、家は、まぎれもなくふたりで決めた我々の家であるが、こうして見るとただでかいだけの物置に見えてくるのだった。ごはんができているよ。同居人はいつの間にか座り込みこちらに椀を差し出してくる。腰元をさやさや草が撫でる。手入れしない庭は欠けを知らない顔をしているがそのじつ欠けだらけだということを所有者の我々だけが知っている。おかえりなさい、ただいま、いただきます。青空が肌にのしかかって場違いで重い。椀の中身はうるわしい泥水で、夢の中でいつも探している水源によく似ているのだった。欠けは、しかしもしかすると欠けではないのかもしれず、それが欠けであると誰も証明できないことにうっかり気づきそうになるが、たぶん気づきは正確でない。ごちそうさま。見事なるボウ・アンド・スクレープ、幕は下りない。


はだかおままごと / 不可村天晴 @nowhere_7 / 211227 / Repost is prohibited.