この箱とおれのつきあいももう二十年近くなる。乗り込んだときには他の家族もいたが、彼らはやがて他の箱に移ったり、死んだりして、ここはもうおれだけになった。鳩たちが帰ってきて、彼らの足にくくりつけた紙の外された形跡のないことを確認する。鳩たちはおれの足下に散らばったパン屑と植物の種をついばみ、そして部屋の隅で身を寄せ合って、じっと塊になった。おれは彼らの足から回収した紙を一度開いてまた畳む。
 二十年前のおれたちの誰もが想像していたコールドスリープのためのカプセルなんて上等なものは実際に完成することはなく、未来へ命を繋ぐためにおれたちがとった方法とは、ごく数名ずつのグループを作ってそれぞれが箱の中にとじこもって、一面海になった地球の上をただよってやりすごすことだった。いろいろな箱が海の上に浮かんでいる光景を上から俯瞰して見たことなどは一度もないが、この生活が始まった直後の時代にもしも箱から出てあたりを見渡したのなら、どこまでいってもそういう景色が続いていたはずだ。海水に強く、衝撃にも強く、家具や食糧を多く積んでも耐えてくれる箱のひしめいていた海。
 すぐ隣に気の合う人間のいる箱があった場合、今までの箱を捨てて移り住んでもいいことになっている。しかしそうやって引っ越し先を探すのは今となってはとても面倒で難しいことだった。おれの家族は運よく、隣り合わせた箱の人間と意気投合したので、おれと長く住んだ箱を捨てて出ていった。どうやってそんな箱を探すことができたのかというと、それは各々の箱に必ず住まわせるように言われている鳩たちのおかげだった。箱が近くなった、と判断したときに、鳩を放して手紙をやりとりしたり、お互いの鳩に餌をやったりする。そういうやりとりでお互いの箱の距離をはかった。もっと昔は箱どうしがぶつかった音がそのあたりに響いていたものだった。ぶつかった衝撃に耐えるために、箱のなかにある小さな机やベッドの脚にしがみついたこともあった、それくらいに箱どうしの遭遇はありふれていた。しかし今はもうそんなことはほぼない。ちょっと気配を感じても小窓を開けて鳩を出したときにはもう離れている。おれの鳩が誰かの箱にたどりついたことは一度もない。
 外のことを考える。ほんとうに、二十年前の外は海に箱がひしめいていたのだと思う。おれの頭のなかに荒々しい海がじんわりと広がって、そこに箱が浮かんだ。その箱どうしがぶつかる。箱から出た鳩が飛び交う。ときどき、箱のひとつから人が出てきて、すぐ隣にある箱へ移る。そこから何度も朝と夜を繰り返すと、やがて箱と箱との距離が空いていって、箱は出会わなくなる。海そのものがほんとうはもうないのだろうかと疑いかけ、揺れている感覚があるし小窓から鳩を出すときに波が見えるので海はまだあるはずだ、とおれは思い直す。箱から放たれた鳩は成果をもたずに帰る。それぞれの箱はいよいよ離れ、さらに離れ、お互いが見えなくなるところまでばらばらになり、黙って海をさまよっている。ひとつの箱が海原にぽつんとある。おれの海の上におれの入った箱が浮かんでいる。それがおれの箱である。箱の小さな窓から内部を覗くと、隅で鳩と一緒になってうずくまっている男が見える。男は目を覚まさない。
 おれは目を開けると窓のそばまでいって外を確かめた。海はまだそこにあるようだった。

大洪水以後 200420