私がダンススクールで踊っていたとき、同居人はそこから十キロ離れた浜辺の料理教室でバタ・サンドを作っていた。夏で、晴れで、長期休暇中で、どこまでも海の見える町に来ていて、これから定期的に通えるわけでもないのにわざわざ地元の料理教室になんて行かなくてもいいだろうと苦言を呈した私に、これから定期的に通えるわけでもないのに海まで来ておいてわざわざダンススクールで踊らなくてもいいだろうと言い返してきた同居人は何を隠そう無類のバタ・サンド好きである。同居人はバターのことをバタと短く言いがちで、バターサンドのこともバタ・サンドと言うのだった。バターと伸ばしてしまうと途端にべたべたするからいやなのだという。いいバタは、溶けたとしても意外とべたべたしていないものなのだそうだ。そんな同居人と長く一緒にいた影響で、私もバターのことをバタと呼ぶ。その同居人の語るところによると、いいバタ・サンドはいいバタ選び、いい土地選びから始まる。牛乳や牛ではなく、牛を育てる土地、いや、牛が食べる草、その草の育つ場所としての土地が大切なのらしい。カロテンをよく含む夏の草ならば黄の濃いバタ、冬の干し草ならば白に近い淡いバタ。味が濃厚なもの、菓子作りに向いているもの、パンにのせてそのまま食べてしまってもいいもの、バタにも様々なものがある。バタ選びが終わっても大切なことはまだあって、それはバタに混ぜる具はどうするのかということなのだが、オーソドックスなところでラム酒に漬けたレーズンでもいいし、レモンピールやオレンジピールといった柑橘類の皮、チョコレートを溶かしてバタ・クリームに混ぜるのもいい、それからナッツ類なんかも意外と合うものだ。いずれにせよ気をつけないといけないのは油分だ。クッキーに挟んだとき、余計な油分が染み出てきて、クッキーに模様を作るようではいけない。手で持って食べるときにクッキーがべたつくのは言語道断で、あまつさえバタ・クリームのせいでゆるゆるとスライドしてしまってもいけない。クッキーはほどよく固く、単体で舌にのせたときになめらかなものがいい。手の熱をバタ・クリームに伝えない厚さのものがいい。バタとは決してべたべたしていない、すっきりと高貴で冷たく、硬質なものなのだから、その良さを存分に出せるように完成させなくてはいけない。今回の旅先ではバタ・サンドが好まれているとかで、地元民によって定期的に料理教室が開かれてはみんなでバタ・サンドを作るのだという。同居人はそれを教わりに行ったのだ。
 私の行ったダンススクールはダンス好きなら誰でも知っている、一度は通いたがる有名な学校だった。子どもの頃からダンスが好きな私も例に漏れずその学校が憧れだった。旅行者でも体験教室に入ることができると聞いていて、それで今回の旅行で行けることが確実になって、私はずっと楽しみにしていた。時代劇で出てくる大奥の座敷のように広いトレーニングルームは鏡張りの壁で、音を吸収するカーペットが敷かれていた。好きな音楽を参加者がそれぞれ持ち寄って、一人ずつかけた。私もいつも通勤中にかけている音楽を流した。たった二時間の短い体験教室だから、私たちは決まった振り付けなど考えずにただ踊った。鏡にはだだをこねている幼稚園児みたいな動きの人間たちが二十人ほど映っている。操り手がやけをおこしたマリオネットみたいになっていた。どかどかと私たちは跳ねた。汗が飛び散ってカーペットに染みた。私はいつの間にか自分の心のなかに誰かが勝手に入り込んでいることに気づき、水面に体をぶつけて虫を落とそうとする魚のように必死になって追い出そうとしていたのだが、侵入者には一向に効果がないようなのだった。そのうち侵入者は一脚の椅子をひいて腰かけてしまう。私が疲れはててどうしたものかと考え出した頃、二時間が経ったことを教えるチャイムが鳴り響いた。私たちかりそめの生徒はどんなに名残惜しくても踊ることをやめて解散しなくてはならなかった。
 砂浜の駐車場に停めていた車には私のほうが早く着いた。それから実に一時間と二十分と五十二秒、私は車のなかで同居人を待っていたのだった。他に誰もいない砂浜の駐車場、スピーカーから流れるいつもの曲、誂えたように暑さ眩しさを長引かせる太陽と砂浜、もはや動きがないように見える青い青い海に囲まれて、私は同居人を待ち続けた。先ほどの狂乱と興奮のことをときおり思い返しながら待った。心のなかの侵入者はいまだどこ吹く風といった態度で居座り続けている。やがて現れた同居人は悪びれもせずに私に向かって笑顔で手を振り、小さなビニール袋から何かを出した。一目では私にはわからなかった。同居人はそれを差し出しながら私のもとに駆け寄ってきて、開け放していた車の窓からひとつ私の手に乗せて、それで私はようやくそれがなんなのかわかったのだった。バタ・サンドだ。同居人の好きなバタ・サンド、この地で好まれているというバタ・サンド、同居人はまるで落ち着きなく助手席にすべりこむと、たくさん作ったからあなたも食べなさい、と私に言って、袋から次々とバタ・サンドを出してはしゃいだ子どものようにぱくぱく食べた。同居人の挙動を見守るあいだ私はずっと無遠慮にバタ・サンドを持ったままだったのだが、バタ・クリームは溶けず、クッキーはスライドしなかった。同居人の作ったバタ・サンドは余計な染みなどできない高貴で硬質なバタ・サンドだった。私が踊っていたとき、同居人はバタ・サンドを作っていた。海の近く、長期休暇中、それはほんとうに確かなことで、たぶん私はいつまで経ってもこのことを忘れないのだろうが、いやな気はしなかった。心のなかを覗く。椅子に座った侵入者が何かを食べている。私は一目見ずともそれが同居人の手作りのバタ・サンドだともう知っている。

私が踊っていたとき、あなたはバタ・サンドを作っていた 201005