300字SS

 あの貸家にはもう新しい家族が入ったという。畦道には蛇、蛙、忘れな草。初夏だというのにヘッドホンをつけた耳朶が冷たい。ひとりで帰宅するときは音の出るものを、と祖母に命じられ、それなら、と、いつも何か口ずさんでいた幼少期を思い出す。介護施設にいる彼女は今年米寿を迎える。
 あの頃の私は、毎年秋になると稲束を抱きしめて道端でよく泣いていた。あとは喰われるのを待つだけの彼らが、堂々たる実りの理由は私の歌だと言っているように思えたからだった。そのエゴは私の涙をよく吸って今も重たいのだ。
 ヘッドホンの向こうの誰かが私を抱きしめるいつかのことを考える。私という束を置いて、五時を告げるひずんだ歌が町を流れていく。



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『喝采』 一次 お題「歌」
190503 #Twitter300字SS 企画さん参加作品。空白改行無視で299字。