羊たち





第六幕 某公立高校三年生




 失礼します。実は子どもの頃から憧れてたんです、この部屋。へえ、こうなってるんだ。
 なんだか特別なかんじ。この静けさは気持ちがいい。
 三月ももう半ばっていうのに、いかにもここは北国ですよね。寒さがずっと居座っていて春の忍び込む隙もないわ。晴れたのが救い。

 聞いて神父さま、あたし受かったんです、大学。
 そうです、■■県の第一志望。すごいでしょう。アパートももう決まりました。いえ、別に荷物なんてそんなにないんですけど、新しい町に早く慣れておきたくって。
 ありがとうございます。神父さまには心配かけてたみたいだったから、今日こうしてご報告できてよかった。

 冬の間ですか。それはもう受験大詰めですから来る日も来る日も学校に出ずっぱりでしたよ。前期終わっても結果出るまで安心できないからずっと後期と滑り止めの対策してました。あの期間の空気がいちばん耐えられなかったな。何もしないなんて無理、もう落ち着かなくて、居残りして赤本とにらめっこです。受かってからだって、奨学金の手続きだの、引っ越し先探しだの何かと多忙で。卒業式の練習もさせられてたし。あとほら、三年を送る会とか、神父さまも学生の頃やりませんでしたか。もうてんてこまいで一気に年取った気分だわ。
 受験ももちろんでしたけど、豪雪だったっていうのもあってどこにも行けませんでした。吹雪をかいくぐるように家と学校を往復するだけの毎日。高校最後の冬なんて誰でもこんなものなのかしら。
 家は相変わらずです、父はお酒飲んで寝てるだけ。母は……未だにどこで何してるのかよくわかりません。お金だけは入れてくれてるから助かってるけど。でもあたしも大学生になるし、そろそろおしまいかな。いえ、別に今更、話したいことなんてありません。急に親にこっち向かれてももうあたしのほうが困るっていうか。だからこれでいいんです。このまま家を出るつもりです。

 雪が積もるまでは公園にいました。
 あたし、外で勉強した方が集中できるんです。言うほど不便じゃないですよ、まあすぐ日が暮れるし虫が出るし、屋根はないしトイレはちょっと近寄りたくないけど、ガーデンテーブルや自販機ならあるし。それに何より、煮詰まったときすぐ空を見上げられるしね。
 だから別に神父さまに気を遣ったとかそういうわけじゃないんです。この教会の居心地がどうっていうつもりもなくて。せっかく気にかけていただいてたのにつれない真似してごめんなさい。でもあたし、やっぱり、どうしても教会に居座るのはさすがに申し訳なくて、抵抗が。他の人に迷惑かかる気がしたんです。だったら公園のほうがまだいいのかなって思って。
 あたしは大丈夫。一人じゃなかったから。

 よく笑ってくれるひとです。あのひとがいてくれたから受験までの間、不安に呑まれずに済んだんだと思ってます。
 最初はうちの父に似てる気がして、ここだけの話、少し怖かった。だめですよね、こんなの偏見だわ。
 向こうから話しかけられたわけじゃないんです。むしろ逆で、たぶんあのひと、あたしが怖がらないように最初は避けてくれてたんだと思う。あたしが公園に寄る時間帯とか、気配とかを過敏に感じ取ってあたしに悟らせないように――父に重ねてしまったあたしの心を読んだのじゃなくて――こんなこと言いたくないけど、「この町で昼間から公園にいる大人がどう見られるか」を知っていたんでしょうきっと。それにあたしを巻き込むまいと守ってくれてたんですよ。あのひと、そういうひとだわ。
 詳しいきっかけはもう忘れちゃった。そんなに劇的なことがあったわけじゃないんです。でもいつしか、あたしはあのひとを怖がらなくなったし、あのひともあたしと入れ違いに公園を出て行くことはなくなった。
 楽しかったな。
 暗記のためのクイズ出してもらったり、プリント十枚できたら自販機でレモネード買っていいとかルール決めたり。家に帰れない気持ちとか、学校もあんまり居場所だと思えないこととか、共通点がけっこうあるってわかって、どんどん親近感湧いちゃって。「勉強なんて十年くらいブランクあるから自信ない」ってあのひと言ってたんですけど、そのわりに物知りで、根気よく付き合ってくれたっけ。駐在さんもあたしたちを案じてくれていたみたいで、巡回中に声をかけてくれましたね。ちょっと恥ずかしかったけど、でも平和なことこの上なかったわ。いいことよね。
 公園を出て角を曲がったところにおばあさんが一人でやってる商店があるでしょう、あたし、そこで肉まん買って、あのひとと半分こしました。あのひと、ごちそうだ、って笑ってた。その言い方がすごくうれしかったんです。あのひとにかかるときっと何でもたからものになるんだわ。魔法みたいな声音のひとだなって、このひとはほんとうに心の底から喜んでくれてるんだってわかって、あたし、自分まで熱い熱い肉まんの一部になって食べられるのを待ってる気分になった。

 この町は冬になるほど雪のせいで閑静さが増していくけど、あたしは子どもの頃からそれが苦手だった。逆にうるさく感じませんか、静かすぎると、耳の奥で波がざわめいて、それだけが際だって落ち着かないんです。夜は特にこわいの。この心の悩み事みたいに繰り返し寄せる細波の音は、あたしから終わりを取り上げる。今すぐ走って振りほどきたくても、それは無理な相談なんです。あたしは子どもだし、雪がすべてを黙らせるから。
 一人でいること自体はいやじゃないの。あたしを一人にさせているその理由のほうがあたしはきらい。
 でも、この秋は冬の足音に怯えなくてよかった。公園に行けばあのひとに会えるってわかってたから。



 神父さま、怒らないで聞いてね、

 救いって何なのかしら。人助けって何のためにあるの。
 たとえば、一人でいるあたし。お酒に溺れている父。公園にしか居場所がなかったあのひと、
 お願い、流していいから。話すだけできっと満足できるわ。違うの。神父さまたちの教えに疑いがあるわけじゃないんです。これは単にあたしの生き方の問題ってだけ。もっと普遍的な話なの。
 自分をかわいそうだと思ったことはありません。何度も言うけど、一人でいるのはつらいことじゃない。孤独とはまた違う。家族のこともそう。あたしはあたし。強がりなのかなって何度か自分を怪しんだこともあったけど、今は胸を張ってそうじゃないと言えます。
 でも誰かに気にかけてもらえてることに気づくたび、それって結局はあたしがあたしだから心配されてるんじゃなくて、ただあたしがみんなにとっての救うべき対象だから大事にされてるんだって思い知る瞬間がいつもつらかった。貧しいから、幼いから、いろいろあるけどそれだけで括られてしまうのがさびしい。それはもちろん事情を考慮されるのはありがたいけど、思いやりとはどこか違う壁を感じるときってあるでしょう。あたしだって気づきたくない。黙ってやさしさを信じて受け取りたいのに、ふとしたときにわかってしまう。
 あたしみたいな人って「かわいそう」なの? 「問題がある」、「救われるべき」存在? じゃあどういう状態でいるのが正しいの。このまま生きていてはいけないの?
 確かにこんな世の中大変なことはいっぱいあるけど、苦労なんか数え切れないくらいしてきたけど、だからって不幸なんかじゃないのに。それにもし不幸だったとしても何がそんなにいけないことなのかしら。不幸でいることは、ゆるされない?
 お仕着せの幸せなんていらないわ。頼んでもいないのに救ってこようとする人こそよっぽど傲慢で悪いものに見える。
 ごめんなさい、こんなの失礼ですよね。わかってるんです、ほんとはみんな、あたしが思うよりひらたくて、ひたすら親切なだけなんだって。でも納得できない。あたしの事情を知った人はみんな口を揃えて「早く幸せになれるといいね」「助けてあげたい」って言う。そう返された途端、なんだか自分が途轍もなくみじめになるの。あたし、っていうものが芯から影まで消えてしまう。ここにあるのは「酒浸りの親を持つ貧しい子ども」になる。何もかもぐんぐん遠くなってまあるい氷に閉じ込められて、まるであたし、罪そのものになったみたい。
 もし他人を憐れんで罪だとみなして、手を加えることでしか自身の幸せを自覚できないとしたら、人間って思うより不自由で間抜けなのね。そんな幸せ紛い物だわ。
 また変なこと言っちゃった。反省します。あたしが未熟だからだめなのかな。神父さまみたいにもっと大人になってたくさん勉強したらわかるようになるのかしら。神父さま、口を挟まないで聞いてくれて、ありがとう。わかってます。いつか、いつか自分だけの答えにたどり着けるといいな。



 あのひとのことまで代弁したみたいになっちゃったけど、知った口きけるほど打ち明け合ったわけではないんです、ほんとは。あたしからどうしても緊張が抜けないみたいにあの人も同じくらい気を遣っていたと思う。それがあのときのあたしたちには心地よい塩梅だったってだけで。
 試験の日がいよいよ近づいて、公園からは足がどんどん遠のいて、あのひとの姿が英単語とか公式とか年表で上書きされそうになったときでした。
 ナイフみたいなあのひとの青い笑顔。
 写真です。駅ですれちがった知らない誰かが歩く拍子に振り上げた、雑誌の隅っこでした。持ち主はあっと言う間にいなくなったけど、現役受験生の記憶力をとことんまで活用して覚えたから絶対に間違いないわ。あのひとだった。
 今すぐ本屋に駆け込みたい衝動をどうにかして踏んづけて、必死でやりすごしました。だってあんなに勉強につきあってもらったんだもの、浮ついて悲惨な結果を残すのだけは避けたかった。あたしとあのひとは時間を共有したのよ。同じように悩んで、同じように笑ったの。そんな相手に恥をかかせるわけにいかない。絶対にやりとげてからまた会いに行くんだって決めてたの。
 音楽雑誌だと思うんです、あれ。あとで買いに行こうと思ったときにはもう影も形もなくなってたけどきっとそうに違いありません。どんなにはじっこでも雑誌に載るってすごいじゃないですか。しかも音楽ですよ、音楽。アーティスト。そりゃあんな独特のオーラあふれるひとなんだから世界がほっとかないよなあって、あたし、自分のことのように誇らしくなっちゃった。あたし音楽やってみたいんですよね、ここだけの話。大学行ったらチャレンジしようかと思ってたくらい。だからなおのこと胸が高鳴っちゃって。合格発表の日にも実はそっちのほうが気になってました。
 ほんとうは、直接会ってあのひとにいろいろ聞きたかった。
 答えてくれないと思ったんです。じゃなきゃ自分から教えてくれたはずだもの。聞いて嫌がられたらどうしようってそれが怖かった。言えない何かがあってここに来たのかもしれない。そこまで想像できていて勝手に憶測を広げたり、調べ回るのは人として言語道断、あたしが試験に落ちるよりも不義理だともわかってた、でも、どうしてもどうしても知りたくて。
 そんな考えだったからばちがあたったのかな。
 自由の身になってから向かった公園にはもう誰もいなかった。子どもの頃から見慣れた桜の木のわずかな雪しずりが波と一緒に残響を立てて、なんでもかんでも吸い込む雪がその音を消せなかったから、もう春が近いんだとわかりました。何日か通っていつものベンチで待ってみたけど結局、あのひとには会えないまま今に至ります。腿につく木の板、こんなに冷たかっただろうかとあたしは毒気でも抜かれた奇妙な気分で座ってました。あたしの相手をしてくれるのは、ぜんぶ夢だったとでも言いたげに揺れる空と、ぬかるみの氷だけ。だんだんと小さく解けてゆく氷がなんだかあのひとみたいだった。



 どうしても考えてしまう。本人に会えないからその穴を確かめるみたいに、埋めるみたいに。
 あくまで語らなかっただけで、あたしや父に事情があるように、あのひとにだってやっぱりわけがあったんだろうと思ってます。そうでなきゃただでさえ寒々しいこんな町のあんな場所でさまよっていた説明がつかない。もし好き好んでやってただけなんだとしても、それならそれで構わない。あたしがあのひとと一緒にいたかった気持ちなんてそんなことに左右されないもの。
 こんなに世界を疑っているのに、あたしあのひとへの自分の気持ちだけはなんだかはっきりわかるんです。あのひとはあたしを見て対等に話してくれた。最初こそ問答無用で守ろうとしてきたけど、知り合ってからはそうじゃなかった。
 無理に事情を教えてほしいわけじゃないの。そんなのどうでもいい。
 そばにいたい、それだけ。



 神父さま、もしよかったらですけど。どこかであのひとを見かけたら、あたしが「ありがとう、また会いたい」って言ってた、って伝えてくださいませんか。それから駐在さんにもお礼を。
 何だかんだ言ったけど、それでもあの人たちがあたしを助けてくれたのは事実です。十八年間のここでの人生が苦しいだけで終わらなかったのは、みんなのおかげ。楽しかった。
 自分で伝えろって話なのはわかってます。すみません。きっといつか面と向かってちゃんと言うつもりです。絶対に再会したいもの。でも、具体的に次いつここに帰れるか自分でもわからなくて。単純にこれからまたすごく忙しくなると思うし、それにやっぱり、この町にはつらい思い出のほうが多すぎるから。
 誰が悪いわけでもないんです。強いて言うなら、波の音。
 もちろん神父さまにも感謝してるわ。改めて言わせてください、あたしのこと、心配してくれてありがとうございました。どんな子どもでも必ず、あなたみたいな大人に見守られていて、だから育っていけるんだって知りました。たとえ義務感から出た行動だったのだとしても、神父さまのことは変に勘ぐったりはしないわ。だって神父さまも、あのひとと同じであたし自身をまっすぐに見てくれていたと感じたから。
 次会うときは見違えるくらい輝いていられるようにあたし頑張りますね。この町の波、ううん、自分自身の弱気に負けないように、自信も知識もいっぱいつけたいの。そうしたらきっと、あのひとともっと打ち解けあって、今度こそ肩を並べられる気がする。
 ありがとう、神父さま。あたし今日のこと忘れない。さよなら、どうかいつまでもお元気で。








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