私の家の風呂場は本当は真っ白で、ではなぜ今そうではないかというと、黴だらけだからだ。掃除を横着したのではない。むしろ私はこまめに掃除をするほうだと思う。私はこの家で生まれてこの家で育った。初めて自力で入浴できるようになったとき、風呂場はまだきれいだった。つるつるとしたタイルとパッキンを、あみだくじでもたどるようにずっとなぞっていたのを覚えている。その頃の私はよく泣く子どもだった。どこででも誰かにいじわるをされ、言い返すこともできずにひとりぼっちでいた。母は早くに亡くなっており、多忙な父は私に構えなかった。誰にも庇われなかった私は、人生はつまらないと思った。それでも、中学校にあがってから親友と呼べるひとができて、彼女とは話題のクレープを食べに行ったりしたものだった。親友は勉強がよくできた。彼女は親切で、なんでも根気よく私につきあった。私は彼女のことを好きだと思った。大学にいってテニスサークルに所属して、彼女は変わった。大切なひとがたくさんできたと言って、彼女はいなくなった。私は風呂場で泣いた。ふと気づくと風呂場は黴だらけになりかけていた。焦った私は毎日毎日掃除した。ある日、大切な課題を忘れて叱られ、肩を落として帰宅した。風呂場を覗くと、元の黴だらけに戻っていた。デッキブラシを持ち出して体重をかけて床を磨く。かっと熱くなった顔面からぽとぽと汗が落ちる。床は白くならなかった。次の日もそうだった。その次の日もそうだった。そのうち私は諦めて毎日をすごすようになった。今は大学を無事に出て、一流企業に勤めて、友達も恋人もいる。毎日帰ってすぐすることは風呂場の掃除である。あの頃とは違って私は泣いていないが、風呂場は白くならない。

黴色 191027