浜にアイス屋が出るようになった。浜には毎日来ているが、いつのまに出たのかはわからない。いつのまにか出ていたのである。その看板にある店名というのがこれまたへんてこで、町の子どもたちはいつもその店名を節をつけた歌にしてひやかしており、シーズンオフだというのに浜辺は毎日にぎやかしい。私は店員とも子どもたちとも知り合いではないのでやりとりに関してはどうでもいいのだが、アイスの味は気になった。黄色い移動販売車の中に並んだ冷凍ショーケースはいけないものを封じ込めるコックピットに見えて、それはほとんど棺桶なので悪趣味さにめまいがしそうで、メニューもないせいでどれがどんな味なのかわからず、店員に尋ねたところ、店員はどれも同じ苺味だと答える。数分悩んだのち、あえて私は右端のケースを指差した。赤が鮮やかでいちばんおいしそうに見えたのだ。できあがったコーンアイスをなめながら海を見る。コーンはやたらと脆く、口をつけるたびくちびるにくっつくので食べるのに難儀した。ぺりぺりはがす。一緒にくちびるの皮まで剥きそうになる。波からは夏の怒りがとれており、浜辺に打ち寄せる様は疲労感たっぷりだった。潮の香りが人工的な苺の香りとまざる。一年前、ここで私に愛の告白をしてきた男がいる。彼はサーファーで、人生で最高の波に出会うためにシーズンオフでも欠かさずに浜辺へ通っているのだと語った。それは本当らしく、今この瞬間も彼は浜の端をうろうろしている。あのとき彼は私に、意外なことに交際は申し込んでこなかった。何事も波が来ないことにはだめでしょう、彼はそう言って俯いていた。私はその瞬間、その日の朝に見かけた、空き地で死んでいたもぐらのことを思い出していた。うなだれて、まるで茶色のフェイクファーの塊のように丸まって、ひっそり放置されていた。一頻りもぐらに思いを馳せ、そして私は彼に言う。では波が来るのを待ちましょう。彼は顔をあげた。そして言った。ええ、ふたりで波を待ちましょう。
 一年経ったが、私と彼はつきあっていない。それどころかあのとき以来、挨拶すらもしていないが、それでも毎日彼はここで波を待っている。私はそれを知っている。私と彼が見逃してしまっただけで、人生最高の波はとっくの昔に来ていたのかもしれないし、そうではなくこれから来るのかもしれない。一年前にはなかったアイス屋を振り返ると、店員が商品を食べているのが見えた。くちびるにコーンの破片がついている。私は自分のアイスの最後のひとかけらを飲み込んだ。潮騒が聞こえる。

水曜日のもぐらたち 190929